怪猫現る
ゴトリ・・・と音がした。
志麻はハッと目を覚ますと床の間を見た。確かに掛け直した筈の鬼神丸が床に転がっている。
「う、うわぁぁぁ!!!」「キャァァァァ!!!」
その時、階下から悲鳴が聞こえた。
志麻は鬼神丸を手に取った。
・・・志麻気をつけて、相手は人間じゃない
「鬼神丸、人間じゃないって・・・?」
・・・行けば分かる、早く
「分かった!」
「志麻ちゃんどうしたの・・・?」
寝ぼけ眼を擦りながらお紺が訊いた。
「分からない!とにかく行ってみる!」
志麻は襖を引き開けると廊下を走って階段を駆け降りる。二階の泊まり客が何事かと見送った。
*******
「た、助けてくれ!」「わわわ、私が悪かった!」「ここ、これからは登勢を大事にする!」
忠吉とお信は代わる代わる詫びの言葉を口にした。目の前には仔牛ほどもある巨大な猫が、後ろ足で立ち上がって今にも飛びかからんばかりだ。その前に登勢が立ちはだかり父母を庇っていた。
「タマ、やめてお願い、おっ父とさんたちも後悔しているわ!」
猫は登勢の声に明らかに戸惑っている。
その時、襖を蹴倒して誰かが部屋に飛び込んで来た。
*******
志麻は目の前の光景が信じられなかった。
見たこともないような巨大な猫が部屋の隅に三人を追い詰めている。
猫は突然の志麻の乱入にも驚く事なく、ゆっくりと振り返った。
「ば、化け猫だ助けてくれぇ!」忠吉が叫んだ。
「え・・・?」
幼い頃、父に連れて行ってもらった芝居小屋で化け猫の演目が掛かっていた。志麻は怖くて暫く厠へ行けなかった記憶がある。その化け猫が今目の前にいる。
「そ、そんな馬鹿な!」
志麻危ない・・・
鬼神丸の声は志麻には届かない。
混乱している志麻に向かって、いきなり化け猫が飛びかかって来た。
志麻は恐怖で固まった躰をどうする事も出来ず、死を覚悟して目を瞑った。
ギャン!
重い手応えと共に獣の悲鳴が聞こえた。
目を開けると、いつの間にか鬼神丸を両手に握っていた。
ふと足元を見る・・・獣の足が落ちていた。
「やめて!殺さないで!」
登勢が目の前に飛び出して来た。化け猫を背に隠すようにして志麻に手を合わす。
「その子タマなの!」
「え、タマ?」
「私の飼っていた猫!だから殺さないで!」
化け猫は右の前足を失いながらも、志麻に向かって唸り声を上げている。
「タマ、もうやめて!私が・・・全部私が悪かったの!」
登勢は振り向いて化け猫の首にしがみつく。
化け猫は戸惑うように身を引いて、登勢を振り切ると部屋の雨戸を突き破って降り頻る雨の中に消えた。
「なんだなんだ?」
「どうした?」
一階の泊まりの客が起き出してちょっとした騒ぎになっている。
部屋の前に人が集まって来た。
「化け猫だってよ・・・」
「なんだって!」
「あれを見てみろ、化け猫の足だ、あの嬢ちゃんが斬り落としたらしいぞ!」
徐々に動揺が広がっていく。
「この宿は化け物が出るのかい!」
「もう、こんな所には一時だって居られねぇ、とっとと他の宿に移ろうぜ!」
「ああ、そうしよう。祟られでもしたら大変だ!」
「まったくとんでもねぇ旅籠だぜ!こんな大事な事を黙って客を止めるなんて!」
皆わらわらと部屋に戻り身支度を始めた。やがて全員が河内屋を出て行った。
「ああ、もうおしまいだ、こんな噂が広まったら客なんか来やしない」
「お前さん、どうするのさ、こうなったのも元はといえばお前さんが猫を捨てさせたからじゃないか!」
「何を!そうするように仕向けたのはお前じゃないか!」
夫婦は志麻に礼を言うのも忘れて言い争いを始めた。
「やめて二人とも、それよりもお客さんにお礼を言わなきゃ」
登勢が忠吉の袖を引いた。
「あ、ああ、そうだった・・・」
忠吉は今気づいたと言うように志麻に向き直った。
「黒霧様、危ないところをお助けいただき有難うございました」
三人揃って頭を下げる。
「志麻でいいよ、でもどうしてこんな事になったのか訳を聞かせて欲しいな」
「は、はい・・・」
登勢はタマを山寺に捨てに行く事になった事情から話始めた。
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