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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
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「西園寺……牡丹?」
どこか呆然とした神崎の口から、その名がもう一度零れた。
普段、滅多に表情を乱すことのない神崎が、明らかに動揺している。
榊もまた、いつもの軽い空気をすっかり消し、険しい顔で一花を見つめていた。
一花は涙に濡れた頬もそのままに、二人を見比べる。
「西園寺グループの……ご令嬢です」
念を押すように告げても、二人の表情は変わらなかった。
胸の奥に、別のざわめきが生まれる。
俊介の不倫相手だった。
それだけでも受け止めきれないのに、どうして神崎と榊まで、牡丹の名前を知っているのだろう。
「……知ってるんですか?」
榊が神崎へ視線を向けた。
ほんの一瞬。それでも、一花には二人が何かを確かめ合ったように見えた。
やがて榊が、一花へ向き直る。
「……ああ。よく知ってるよ」
「どういう……」
「その話をする前に、見てもらいたいものがある」
問いかけを最後まで聞かず、榊はデスクのパソコンへ身体を向けた。
「そもそも今日、一花さんを呼んだのは、そのためだったから」
一花は神崎に支えられながら、近くの椅子へ腰を下ろした。
頭の中では、まだ俊介と牡丹の姿が離れない。
それでも、榊の声に滲む緊張が、今から見せられるものもまた、自分とは無関係ではないのだと告げていた。
「三枝のことは、あれからも追ってた」
榊が画面を操作する。
「SNSの件も、あの女が噛んでるんじゃないかと思ってる」
「SNSも……?」
「ああ。ただ、まだ証拠はない。倉田さんの件と同じで、自分は表に出ないまま、別の人間を動かしてる可能性はある」
一花の胸が重く沈んだ。
奈緒を利用し、水野との間を繋いだ三枝。
もし今度は、何人もの人間を使って自分への悪意をばら撒いているのだとしたら――。
「それで、ネットだけ追ってても埒が明かないから、本人の方も調べてた。勤務先とか、過去に関わった案件とか、公開されてる情報を拾って、最近の動きと照らし合わせて」
「そんなことまで……」
思わず零すと、榊がほんの少しだけ口元を緩めた。
「一応、これでも元刑事なんで」
冗談めかした口調とは裏腹に、その目にはまだ険しい色が残っていた。
「それで今日、三枝がある男と会ってるところを押さえた」
榊が画面を切り替え、一枚の写真が映し出される。
人目の少ない場所で向かい合う三枝と、黒いスーツ姿の男。
一花には、まったく見覚えのない顔だった。
「この人……?」
何気なく隣を見る。そこで、一花は息を止めた。
滅多に表情を乱すことのない神崎の横顔に、はっきりとした緊張が浮かんでいた。
写真の男を見つめる目も、いつになく鋭い。
「……黒崎」
神崎は低く、確かめるようにその名前を呟く。
「この人も……知ってる人なんですか?」
「知っています」
神崎は写真から目を逸らさなかった。
「先生……?」
神崎はそのまま、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと一花へ向き直り、口を開く。
「この男と、西園寺牡丹に――大事な人を壊されました」
一花は息を呑んだ。
その瞬間、以前神崎から聞いた言葉が、鮮明に蘇る。
『決めていたことがあるんです』
『あの時は、何もできなかった』
『今度は、後悔しない方を選ぼうと』
あの時は、神崎が何を悔やんでいるのか分からなかった。
けれど今、その言葉の向こう側に、牡丹と黒崎がいる。
「それって……」
尋ねかけた一花に、神崎はわずかに目を伏せた。
「……昔、黒崎と――」
そこまで言って、言葉が止まる。
続けようとしたものの、何かを飲み込むように口を閉ざした。
「すみません。今は、うまく話せそうにありません」
「……いえ」
それ以上、踏み込むことはできなかった。
けれど、ひとつだけはっきりした。
西園寺牡丹という女は、自分から俊介を奪っただけの存在ではない。
神崎と榊の人生にも深く関わっている。
一花は再び、画面へ目を向けた。
奈緒の背後にいた三枝。その三枝が、人目を避けるように会っていた黒崎。
そして黒崎は、西園寺牡丹とともに、神崎たちの大切な人を傷つけた男。
まだ、何ひとつ証拠はない。
それなのに、これまで離れた場所に散らばっていた点が、ゆっくりとひとつの方向へ集まり始めているような気がした。
その時だった。
つい先ほど聞いた牡丹の声が、不意に耳の奥で蘇る。
『これで、みんな幸せになれます』
一花の表情が強張った。
「……みんな、幸せ」
「え?」
榊がこちらを見る。
一花は眉を寄せたまま、記憶を探るように視線を落とした。
「ここに来る前、牡丹に言われたんです」
「何を?」
「離婚して、俊介と隠す必要がなくなったからって……」
口にするだけで、また胸が痛んだ。
「『これで、みんな幸せになれます』って」
神崎の目がわずかに細くなる。
一花はそこで、ようやく思い出した。
あの時、確かに引っかかったのだ。
どこかで聞いたことがある言葉だと。
「……同じことを」
声が震える。
「水野も言ってました」
「水野が?」
「はい」
記憶の中で、面会室の光景が蘇る。
椅子に座ったまま身体を揺らし、楽しそうに笑っていた水野。
『しあわせ! みんなしあわせ!』
一花の背筋を、冷たいものが這い上がった。
コメント
1件
うわあ、今回も重い展開でしたね……。「これで、みんな幸せになれます」という牡丹の台詞と、水野の「しあわせ!みんなしあわせ!」が完全に重なったのがぞっとしました。同じ言葉を使わせるって、何か大きな意図が透けて見えるようで怖いです。しかも神崎さんも榊さんも牡丹と黒崎に「大事な人を壊された」過去があると。点と点が一本の線に繋がり始めた瞬間の、あの寒気を一花さんと一緒に味わいました。これからどうなるのか、目が離せません。