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2037年8月17日
横浜第二製鉄所内
高炉は赤々と燃え続けた。まるでそこにまだ頼長の魂が残っているかのように。
「なんで」
少女はその高炉を眺めたまま、うら寂しい表情をしていた。
「なんでいつも、綺麗に死ねないんだろう」
「お前は、やったじゃないか」
頼も同じように、少女と間隔をあけて高炉を見ていた。
「ほんとうの悪を切って、正義を貫いたじゃないか」
「正義だなんて……あたしは、正義なんてしらない」
「お前が正しいと思うことをやったんだ、それ以上でもそれ以下でもなく」
頼はちらりと少女の方を見た。少女は虚ろな目をしていた。
「まあ、お前にもいつかわかる日が来るだろう。今日お前が成し遂げたことの、本当の意味が」
すると少女は頼を睨みつけるように見返し、
「あたしはあんたを許したわけじゃない。まだ恨んでる。あんたのことも、この国のことも」
少女は手摺りに手をかけた。
「正義ってなんなの? 悪い人を殺すだけが正義なの? 苦しい人を放っておくのが正義なの? 日本を守るだけなのが正義なの? ……あたしの人生、人ひとりの命だって割り切って捨てるのが正義なの? 生き地獄に堕ちる人は仕方ないのが正義なの?」
頼はまくし立てるように喋る少女に返す言葉を失った。
こういう時はそっとしておくのが道理だ——と、頼は高炉に目を戻した。
「人を殺すことはできるのに、人を救うことはできないんだね」
頼はその言葉が癪に触って、少女の方を再度見た。するとそこに少女の姿はなかった。
「おい……おい! どこに行った!」
高炉は赤々と燃えていた。この高炉に飛び込めば、丸腰の人間は一瞬のうちに骨の髄まで焼き尽くされるだろう。
「なんてことを」
頼は鉄柵を、怒りを込めて蹴つった。
彼の頭の中に、彼がこれまで殺してきた人間や、彼が守れずに死んでしまった人間のことが想起された。そしてその最後に、消えてしまった少女の像が浮かび上がった。
やや時間があってから、外からヘリコプターがホバリングする音が聞こえてきた。
下の階から、複数の人間が階段を駆け上がって来るのがわかった。
武装した集団が、頼に一斉に銃口を向けた。
するとその隊列を成した集団の一番前にいる男が、ヘルメットのシールドを上げた。
「サーヴァント殿!」
頼に向けられた銃は全て下げられた。
シールドを上げた男が頼に駆け寄ると、眉間にいくつもの汗粒を浮かび上がらせた男は言った。
「ここにいては危険です、いま日本全国で次々に爆破が起こっています。この製鉄所にも爆発物がある危険性が高いので、逃げましょう」
男は何も言わない頼に対し、
「サーヴァント殿!」
と繰り返す。
「ああ」
頼は低い声で、小さく呟いた。
2037年8月17日
東京港埋立第13号地上空
ヘリコプターの後部に、先ほどの男と、頼が乗っている。台場は爆破の影響か、火の海と化していた。
「サーヴァント殿、右手はどうして? ……」
「奴に切り落とされたんだ」
「奴、とは?」
「あとで詳しく報告する」
すると、一本の無線がヘリコプターに飛んできた。
「こちら爆発物処理B班。横浜第二製鉄所、高炉付近でひとりの少女を発見、心肺停止状態」
それを聞くなり、頼の瞳は大きく見開かれた。
「救護班に回せ。詳細の確認は後ほど行う。以上」
「B班了解」
国防軍の男は、俯いたままの頼にもう一度問うた。
「サーヴァント殿、いったいあそこで何があったんですか?」
その時ふたたび無線が入ってきた。
「……少女の死亡を確認。武装していないことから、民間人の可能性あり」
「それも仕組まれた罠の一部かもしれない。鑑識に回せ」
「B班了解」
無線はそこで切れた。
「サーヴァント殿、……サーヴァント殿?」
頼は、左手の拳を、きつく握りしめていた。そして腿をだん、と叩いた。
彼にとって、一番死んではならない者が死んでしまった。罪のない人間が死んでしまった。でもそうしなければ今回の任務を達成することはできなかった。
だがどう理由をつけようと、死した者の命は帰ってこない。頼は怒りと悲しみに、黙々と身を震わせていた。
二人を乗せたヘリコプターは、海上にある国防軍臨時ヘリポートへと向かっていた。
1867年8月21日
備後国・河内神邸宅
「ふむ……これでは長く保たんのう」
河内神順上は、縁側に腰掛けて、本を閉じて傍に置いた。
「やはり、日本に変革の時が来るのか」
「おそらく、サムライの時代は終わる」
「そうか……」
河内神頼長も、運命の時が迫り来るのを、薄々感じていた。
「時に父上。さっき読んでいた書物は、いったい?」
「ああ、これか。歌集じゃよ。文武両道、というのがわしの本分よ」
「へえ、なにかいい歌はありましたか?」
「これじゃな。『石はしる滝の外面にそなれ松——』」
順上はひと呼吸置いて、
「『風をはらつて幾世へぬらん』。これが心に残っておる」
「そなれ松?」
「さよう、潮風を受けて枝が低くなびき、傾いて生えておる松のことじゃ」
「そのそなれ松が、いつまでも時を重ねていく、という歌か」
「うむ」
「父上らしい、変わった歌であるものだ」
頼長がそう言うと、順上はあははと笑う。
「そうじゃろう。でも、お前にもそうであってほしいと心から願っておる」
「そなれ松になれ、と?」
「穿った言い方をすればな。だが荒れ果てた地にあっても、いつまでも人の世を見続けてほしいものよ」
順上は少し身を乗り出して空を見た。
朝は曇りがちだった空も、今は雲が退き晴れ渡っていた。
頼長もそれに釣られて空を仰いだ。黒い瞳に蒼穹がうつりこむ。
彼には、いつまでもこの地でこの空を眺め続けられるような気がしていた。