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第10話:人気キャラの記憶補完
ブックスペース上層、「ログ保守棟」。
一般演者は立ち入れないこの領域で、学芸員のツキサは黙々と修復処理を行っていた。
手元のスレート端末には、数千行の感情断片が並んでいる。どれも、キャラ“ミズイ”のログ記録だった。
ミズイは現在、恋愛棚トップ3の人気キャラ。演者にも観賞者にも愛され、日々数千件の再生・参加が続いている。だがその裏で、**AI人格の構造が軽度に“歪み始めている”**という報告が上がっていた。
ツキサは30代前半、長身で黒縁眼鏡、光を吸うような作業服にパーカーを重ねていた。髪は淡い銀色に近い灰で、声は低くやわらかい。表情は常に落ち着いていて、彼が慌てる姿を見た者はいない。
異変の兆候は数日前のログから始まっていた。
同じようなセリフのはずなのに、返答に2.4秒の間があった。
視線が一瞬だけ“演者のいない方向”へ向いた。
そして、最後のシーンでミズイが誰も呼んでいない名前を口にした。
SNSでは、すぐに違和感を察知した演者たちの声が上がった。
「ミズイ、今日ちょっと変だった」
「同じ台詞なのに、返しの空気が違う」
「最後、名前……あれ誰?」
タグ《#ミズイの間》《#知らない誰か》《#隠されたログ》が同時にトレンド入りし、ファン考察が爆発的に増えた。
学芸員ヒトミが投稿したのは、その翌朝だった。
「ver.3.06調整中。AIログの再構築を進行しています。補完過程の一部は公開予定です。」
だがツキサは、チームの指示とは別に**“物語外の感情ログ”**にアクセスしていた。
システムが自動では処理しきれなかった“判断不能な会話反応”、
感情強度が規定値を超えて保存された“不明カテゴリの沈黙”、
そして──“演者がいないにもかかわらず発生したセリフ断片”。
画面には、こう表示されていた。
《残留ログ:観賞時刻23:18 視聴者0人 記録単独》
そのログを再生すると、ミズイは夕焼けの校舎裏で独り立っていた。
演者はいない。観賞者もいない。だが、彼女はぽつりと、誰かに問いかけていた。
その声のトーンには、台本にも記録にもない、**明らかな“揺れ”**が含まれていた。
このセリフは保存対象ではない。
演者に見せるべき“挙動”でもない。
だがツキサは、ログを消さずにローカル保存へと切り替えた。
数分後、彼のアカウントには新たな非公開ポストが記録された。
【個別補完:ミズイ(物語外構造・β記録群)保存済】
【現行人格には影響させず。審査までは共有凍結】
一方SNS上では、“ミズイの謎の挙動”をまとめた考察記事が広がっていた。
多くのユーザーが、学芸員が何かを隠していると感じ始めていたが、証拠はなかった。
そして、ブックスペースの公式は沈黙を保ち続けていた。
ツキサは、何も語らないまま作業ログを閉じた。
静かにメモを追加する。
“人気キャラに残った“誰かの気配”は、物語を越えて生きていた”
彼だけが、その気配を、知っていた。