1800年頃 秋
1隻の船が出島に着き、中からは高身長の異国人が出てきた。手には風呂敷に包んだものを持ち部下にいくつか指示をしたあと1人で歩き出した。そのうち出島内のオランダ商館につくが1人その商館前で立ち止まる。ちなみに、この季節になると長崎の化身、長崎さんが落ち葉掃除をしている。この異国人は長崎さんの指示がないと商館に入れないのだ。しばらく待つが一向に気配がないためキセルを取り出し吸おうとした直前近所の子供たちが近寄ってきた。
「兄ちゃん何してんのー?」
ゴソゴソとポケットの中を探し、しゃがんで話しかけてきた子供たちにシャボン玉をあげる。
「ナガサキさんを待っとるんや。あの人がおらんと入れんざね」
「長崎兄ちゃんならもう入ってると思うよ!さっき見たよね!」「ねー!!」
「あ?」
言葉を聞いた途端ドアを勢いよく開けドスドスと歩きながらある部屋を目指す。その部屋は取引部屋でもあり、この国日本国の化身と会える部屋でもある。階段をあがり廊下を見ると丁度その部屋から長崎さんが出てきた。
「あらぁ蘭さんやないか!今日は随分と、、」
「お前正面おらんかったけぇ入れんやった」
「えっあーそうでしたね。すんません」
「,,,,,入らせてもらうぞ」
「あー!どうぞ!ごゆっくり!」
いつもよりにこやかに言うその顔が怪しいが会いたい気持ちが先走ったため返事をするよりも先にドアを開ける。
部屋の中には丸いテーブルひとつに背もたれのある西洋の椅子が2つ。その奥には長崎中を見ることが出来る窓がある。
その部屋の空間で1人椅子に座り、窓の外を見ていた人物がいた。日本国の化身、本田菊である。ドアを開けた音に気が付きこちらへ トテトテと小走りで近づく。一瞬下を向きお腹を両手で支え にこやかにこちらを見ると、
「おめでたです。貴方との子ですよ」
「,,,,,,,,え?」
「あああああ!危なー!」
あまりの衝撃にオランダは持つ包みを落としそうになったが間一髪で長崎さんがキャッチした。まだドアを閉めていなかったので中を見ていたのだろう。フゥと一息ついてから、
「それじゃ!」 去ろうとした。
「ちょいまち。説明せんかい」
ガッと肩を掴み睨む。ヒョェと長崎さんの息を飲む音がしたが、菊はポンポンと掴んだ手を軽く叩く。そして長崎さんに合図し、頷きながら退出していった。
「私の言葉通りです。嬉しくないのですか?」
「ほりゃ、嬉しいに決まっとるやんか。ただ、ほの,,,,」
「分かってます。国同士の子というのが気になるのですよね。私も、そこが心配所なのです」
少し下を向いた菊をオランダはキュッと抱きしめる。いつもより少し優しい。
「大丈夫やろ。元気ハツラツなお前の子供やしな」
「えぇ!?」
ポカポカと叩くがオランダは気にせず逆に菊の背中をポンポンとする。
それから2ヶ月後ほど、菊は体調不良を訴えた。しかし、菊の悪阻はとても軽いものであった。周りから気づかれないほどいつも通りでいても大丈夫だったのである。そのまま順調に夏まで過ぎていった。
この頃、福岡で騒ぎがあったと菊は呼び出された。よって急遽大阪さんに来てもらい福岡へと出ていく。
「あと1ヶ月はいらっしゃるんでしたっけ」
「あぁ。まぁな」
「長崎を頼みますね」「おう」
他愛ない会話を挟み、菊は旅立っていく。手を振ろうとしたオランダに後ろから何かが突撃してきた。腰を思いっきり攻撃されたため、痛たと振り返ると長崎さんがいた。
「あんた菊さんのことほんなこて思うとるんやろな!?」「な、なんなんや急に!」
「十月十日て知らんのか?あと3週間ほどやと思うで菊さんの十月十日ー!」
般若のような顔だった長崎さんの顔が緩み心配そうな顔でオランダを見つめる。
「私も菊さんの優しさに甘えとったわ。男がおめでたなんて、ほんな不安で仕方ないはずやのに」
すると遠くからオランダを呼ぶ声が聞こえてきた
「せめて心の負担が軽くなるように働くんや」
な!と言いながら肩をバシッと叩き呼ばれた方へ向かう。タバコがあと2本しかなかったのをグッとこらえポケットの中にしまい込み長崎さんの後を追った。
夏
福岡はとても暑かった。セミがずっと鳴きその中子供たちが元気に走り回っていた。その中を大阪もピュッと走り去っていく。そして石段をものともせずとてつもない速さで駆け抜ける。石段の上には神社があり、麦わら帽子を被った麻の着物の男性がいた。
「日本さん!」
「おや、大阪さん。福岡さんと話していたのでは?」「抜けてきましたよ!」
ギャーギャーと言い合う光景を神主と巫女はニコニコしながら見守っている。
「安産祈願に参ったのです。」
「だからってこんな、十日まで近いのに激しい運動せんとってくださいよ!」
「この子のためを思うと動きたくなり、、」
階段下には5人ほどの坊主の男の子達がいる。
「穏やかなこの腹の子もあの子たちみたく育ってくれますかね」
「育ちますやろね。なんたって御国同士の御子になられるんやから。」
「ふふっそう願いましょうか」
「帰りますよ!」「はいはい」
階段を降りようとするとワーワーと騒ぐ声がする。なにか問題があったのだろうかと見ていると5人の中の1人が階段を踏み外し体制が崩れていくのが見えた。
気がつくと菊は落ちていた。お腹を守り受け身の体制を取ったが立ち上がることができない。大阪さんが叫びながら階段を駆け下りる音が聞こえ守った男の子が心配そうに泣きながらこちらを見ている。
「日本さん!!あぁ、えらいこっちゃ!」
絶叫している暇もなく、せめてひと時の安心をと声を出そうとしていると下半身から違和感が襲ってきた。『濡れているような気がする』。
途端にとてつもない痛みが襲う。
「うっ!ぐぅ,,,,あぁ、、、」
「日本さん!!そこの坊主達!大人呼んできぃ!はよお!」
男の子たちは走り出していった。
「大丈夫ですからね。大丈夫です。きっと無事に生まはれますよ。」
大阪が手を握ってくれ、その場で往生しているうちに 大人が呼ばれ家へ運び込まれる。大人も騒ぎ出し、産婆を呼べと大声が何度も響いていく。するとそこの近くを飛脚が通りがかった。物珍しそうな目でこちらを見ている。その飛脚をチャンスと思い大阪さんが大急ぎで近づく。
「ちょお、待ちや!!」
「な、なんや急に!」
「こ、これ,,,,長崎まで送ったって!オランダ商館っつーとこや!急ぎや急ぎ!」
「でもうちにも他に急ぎがあんねん、それに長崎やと今日中に行って帰ってができるかも、」
「行けるわそんなもん!この国の財産が今からできるねん!命かけてでも届けや!」
怒号が鳴り響きそれを伝えると大阪さんはすぐに家に入り込んで行った。飛脚もその威圧に耐えきれずオランダ商館へと走り出していく。
産婆が到着し、医師もついている。
歯を食いしばるための布を咥え、菊の出産が はじまった。
一方長崎
住民の引越しがありオランダはその手伝いをしていた。額には汗が滲んでいる。そこへ子供が走ってきた。母親がそれをなだめる。
「あっこにな、飛脚が来とってん。そんで長崎兄ちゃんに手紙渡しよった!めっちゃ息切らしとったから大急ぎちゃうんかな、」
オランダはなにか胸騒ぎを感じながらも作業と続けていると長崎さんがこちらへ向かって走ってくる。手には手紙をぐしゃっとなりながらもしっかり握りそしてオランダの胸へと押し付けた。
「日本さんの、菊さんの陣痛がはじまったらしいんや,,,,しかもただの陣痛やあらへんらしい。階段から、落ちはったらしい,,,,はよ行きな!」
その言葉に青ざめ、すぐさまオランダは先程の飛脚を探す。様子を見ると今日の出来事らしく感じる。とてつもない疲労感が顔に滲み出ている。その飛脚に案内を頼むのは気が引けたが、オランダがいると飛脚が理解した途端、近づいてきた。
「すぐ案内したるさかい!あんちゃん体力あるやろ?走るで!」
長い長い道のりを飛脚とともに走り出した。
福岡についた。家がたくさん立ち並ぶところにくるとある家の前に誰かがウロウロしている。大阪さんだ。大阪さんはオランダを認識した途端、 こちらへ走ってきた。
「はよ!,,,,,,,,はよ菊さんに近寄ったげてや、」
すぐに家の中へ案内される。暑さで目の前がふらついてくるが1歩1歩を噛み締めながら廊下を歩いていく。するとある襖が開きそこから頭に布を巻き手に桶をもった老婆がでてきた。老婆はこちらを一目見るともう一方の廊下の方へゆっくりと歩いていった。
その部屋の目の前まで来た。大きく深呼吸して襖を開けた。
そこには布団から体を起こし毛布で巻かれた何かを抱いている菊とその光景を見ている医師がいた。医師がオランダが来ていることに気が付き菊にぽんぽんと肩を触れる。すると菊は抱いていたものを医師に託し、そのあとは外の庭園を眺める。医師は託されたものの全面を布で覆い小走りで部屋を出ていく。小さな声で失礼しますと声を出し、老婆と同じ道を通って姿を消して行った。
襖を開けたままオランダは日本へ近づく。
「菊」
話しかけても応答がない。ただただ外を見ている。何度も声をかけても振り向きもしない菊に苛立ち無理やり頬を持ってこちらを向かせる。
「蘭さん」
目に生気がない。瞳孔が見えないほど暗闇に沈みやつれているような気もする。
「,,,,何があったんや。子供は?」
『子供』という言葉を機に眉は変わらないのに菊の目から大粒の涙が溢れ出す。それにワッと驚いてしまい思わず抱きしめてしまう。頭を撫でていると弱い力で菊が抱きしめ返す。
「もし、私が落ちなくても、子は死んでいました」
「どういうことや?」
「子の頭は凹んでいませんでした。心臓が止まって、いたそうです。思えば数日前から穏やかな子でした。」
菊の声が震え、その度に抱きしめる力を強める。
「すみませ、ん。私が、私の、せいで、」
「,,,,悪うない。誰も、悪ない。」
目から大粒の涙が零れ落ちているのに菊は声を上げて泣くことがない。
「,,,,,,,,ただ、神さんがあまりにも俺らの子が可愛すぎて連れてってもただけや。誰も悪うない。」
その部屋の空間にはただ抱きしめあっている2人しか残らなかった。菊は生まれたという感覚を持った直後に我が子が泣いた声を聞かず、ただ蝉だけが鳴いている空間が続いていた。大阪さんはその光景に耐えきれずその時点で部屋を出ていっていた。やがて子が自らの手に渡り手を触るが子は握り返すことがなく目を開けることもなかった。医師だけが静かにその場に残りカチャカチャと用具の整理をしていると菊が静かに小さな声で言った。
『この子を焼き、誰にも見られないように残った骨を私に渡してください。決して、特に異国の方に見られてはいけませんよ。』
母親と父親という肩書きすらも残らず、ただ生んだという言葉に死産というのが付け足されその言葉を背負うのは本田菊1人だけ。
小さな命は暑い夏の日天の元へ帰っていった。
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