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スタートヽ(*^ω^*)ノ
いつもの席に、キヨの姿がない。
それに気づいた瞬間、
レトルトの胸が嫌な音を立てた。
『……あれ?』
辺りを見回す。
資料も、パソコンも、キヨのものはそのままなのに、本人だけがいない。
『ねえ…キヨくんは?』
隣の席の同僚に声をかけると、
返ってきた言葉は予想していなかったものだった。
「さっき、急に倒れてさ。
医務室に運ばれたよ」
一瞬、頭が真っ白になる。
『……え?』
血の気が一気に引いたのが、自分でも分かった。
キヨくん。
キヨくん。
キヨくん。
名前だけが、頭の中で何度も繰り返される。
「レトルト君、ちょっと――」
背後から課長に呼び止められる声がした。
けれど、そんなものに構っていられなかった。
『すみません!ちょっと急用で!!』
返事もそこそこに、
レトルトは走り出していた。
廊下。
階段。
曲がり角。
どこをどう通ったのか、
正直ほとんど覚えていない。
ただひたすら、
医務室を目指して走った。
――お願い。キヨくん。
医務室の前にたどり着いた時、
ちょうどドアが開いた。
中から出てきたのは、ガッチマンだった。
レトルトは足を止め、
思わずその男を睨みつける。
一瞬、ガッチマンは驚いたような顔をしたが、
すぐに柔らかく笑った。
「中にいるよ」
その一言に、
張りつめていたレトルトの肩が、わずかに落ちる。
言葉を交わす余裕すら、ほとんどなかった。
ガッチマンはレトルトの様子を一瞥してから、
静かに言った。
「キヨのこと、お願いね」
それだけ残して、その場を去っていく。
レトルトは、深く息を吸い込んだ。
ドアノブに手をかける。
震えているのが分かる。
――大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、
レトルトは医務室の扉を開けた。
白いカーテンの向こう。
ベッドの上に横たわり、静かに眠るキヨの姿。
『……キヨくん』
呼ぶ声は、思ったよりも小さく、掠れていた。
――怖かった。
失うかもしれないと思った、その一瞬が。
静かに目を閉じているキヨの姿は、
ひどく儚く、息を呑むほどに綺麗だった。
こんな時に、と思いながらも、
胸の奥に浮かぶのはそんな不謹慎な感想で。
それほどまでに、その横顔は壊れやすそうで、
触れたら消えてしまいそうだった。
『……キヨ、くん』
そっと呼びかけた声は、
自分でも分かるほど震えていた。
キヨはゆっくりと瞼を上げ、
焦点の合わない目で、レトルトを見る。
そして、時間をかけるように意識をこちらへ戻した。
レトルトはベッドの脇の椅子に腰を下ろし、
ためらいがちに、けれど確かに、
キヨの手を包み込む。
その温もりに、キヨは小さく息を吐いた。
「……今さ」
静かな声で、キヨが語り出す。
「昔の夢、見てたんだ」
天井を見つめたまま、
遠い記憶を手繰り寄せるように。
「レトさんと遊んでる夢。
公園で、ずっと……」
微かに、口元が緩む。
「……楽しかったなぁ」
その笑顔は、
懐かしさと寂しさが入り混じったようで、
あまりにも切なく、儚くて。
その笑顔を見た瞬間、
レトルトの胸が、ぎゅっと締めつけられた。
『……覚えてたんや』
掠れそうになる声を、必死で抑える。
キヨの手は少し冷たくて、
それがやけに現実を突きつけてきた。
「公園でさ、夕方まで遊んで……
帰るの嫌で、ベンチに座ってた」
キヨは天井を見つめたまま、
遠い記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。
「レトさんが、
“まだ帰らんでいいやん”って笑ってて」
くすっと、小さく笑う。
「……あの頃は、何も考えなくてよかった」
その笑顔は、
今にも指の隙間から零れ落ちそうで。
レトルトは思わず、
握っていた手に、少しだけ力を込めた。
『キヨくんと……離れたくなかった』
ぽつりと、
自分でも驚くほど素直な声が零れる。
キヨが、ゆっくりとこちらを見る。
『急にいなくなって、ごめん』
「……」
『何も言えへんまま、いなくなってごめん』
レトルトは俯き、
キヨの手に額が触れそうなほど近づいた。
『でも、キヨくんのこと 忘れたこと、一回もなかった』
その言葉に、
キヨの瞳が、わずかに揺れる。
「……そっか」
小さく、でも確かに。
「忘れてたと思ってたけど…… 声、聞いたら、全部戻ってきた」
しん、と静まる医務室
レトルトは、
そっとキヨの手を包み直した。
『キヨくんが壊れるん、 俺……嫌や。あの時からずっと…ずっと、キヨくんが大好きやったよ』
キヨは少し驚いたように目を瞬かせ、
それから、困ったように微笑んだ。
キヨは、しばらく黙っていた。
握られた手の温度を確かめるように、指先をわずかに動かしてから、
ぽつり、と語り始める。
「なぁ、レトさん……今までのこと、話してもいいか」
レトルトは何も言わず、ただ静かに頷いた。
それだけで十分だった。
「大学の頃だった」
キヨの声は低く、穏やかで、
それでいてどこか遠い。
「ある日、体調が急に悪くなってさ。なんかの 兆候があったわけでもないのに 気づいたら、サブじゃなくなってたんだ」
サブから、ドムへ。
それはこの世界では、決してありえないことではない。
けれど、あまりにも稀で、
そしてあまりにも過酷だった。
「原因は、今でも分からない」
小さく息を吐く。
「ドムになったって言われてもさ……
俺の声は弱くて、コマンドも全然効かない」
自嘲気味に、唇が歪む。
「何度も思ったよ。 なんで俺なんだって」
コマンドを出しても、届かない。
相手の反応が鈍いほど、
自分の未熟さが突きつけられる。
「……好きになった人がいてもさ」
視線が、少しだけ揺れた。
「俺の声じゃ、満足させてあげられないって思うと…… 最初から、踏み出せなかった」
好意を持つこと自体が、
罪みたいに感じてしまう。
「なのにさ…」
キヨは、握られた手を、ぎゅっと握り返す。
「欲求だけは、ちゃんとあるんだよ。
抑えきれなくて、
どうしたらいいのか分からなくて……」
声が、ほんの少し震えた。
「だから、制御剤に頼るしかなかった」
それは逃げで、 でも、生きるための選択でもあった。
気づけば、
キヨは今まで誰にも話したことのない思いを、
すべて、レトルトに打ち明けていた。
弱さも、迷いも、
恥ずかしくて隠してきた感情も。
話し終えたあと、
キヨは不安そうにレトルトを見た。
拒まれるかもしれない。
引かれるかもしれない。
それでも――
話さずにはいられなかった。
すべてを聞き終えて、
しばらくの沈黙のあと、レトルトはゆっくりと息を吸った。
『……全部、話してくれてありがとう』
声音は静かで、穏やかだった。
『俺な、どんなキヨくんでも好きやで』
その言葉は、迷いなく落ちてくる。
『キヨくんがドムやからとか、 コマンドがどうとか、 そんなん関係ない』
レトルトは一度、視線を落とし、
それから意を決したようにキヨを見た。
『もしさ…… あの頃と変わらず、キヨくんがサブのままやったとしても』
少しだけ、唇を噛む。
『それでも俺、キヨくんのこと好きやったと思う』
その一言で、
キヨの胸の奥が、じんと熱を帯びた。
レトルトは、頬を赤く染めながら、
もじもじと指先を絡める。
『そ…それにな』
少し早口になる。
『サブとして、ドムのキヨくんに コントロールしてほしいって気持ちも、ある』
恥ずかしそうに視線を逸らしてから、
小さく続けた。
『……あとは』
再び、まっすぐに見つめる。
『キヨくんのことが好きやから、 一緒にいたいし、 くっついたりとか……触れたりとか』
声が、少しだけ弱くなる。
『そういうの、したいって思う』
言い切ったあと、
レトルトは耳まで真っ赤になっていた。
支配でも、役割でもない。
ただ――
好きだから。
その感情だけで向けられた言葉が、
胸の奥に、静かに、でも確かに沁みていく。
キヨは、握られた手を見つめながら、
ゆっくりと息を吐いた。
胸いっぱいに空気を吸い込み、
一度、大きく深呼吸をする。
そして――
まっすぐに、レトルトを見る。
揺れも、迷いも、もうなかった。
「……レトさん」
少し掠れた声。
けれど、はっきりとした意思が宿っている。
「俺の、パートナーになって下さい」
レトルトは目を見開き、
言葉を理解するまでの数秒、ただ固まっていた。
『……本当に!?』
それから、じわじわと頬が赤く染まり、
次の瞬間には耳まで真っ赤になっていた。
『え、えっと…えっと/////
ちょ、ちょっと待って…… 心の準備とか……!』
そう言いながらも、
握られた手を離そうとはしない。
むしろ、ぎゅっと握り返す。
『……ほんとに、俺でいいの?』
震える声で、確かめるように。
キヨは、静かに頷いた。
「レトさんがいい」
短く、でも揺るぎない。
その一言に、
レトルトの目が潤んだ。
そして、
少しだけ照れたように、でも真剣に レトルトは、キヨの手を胸元に引き寄せた。
『俺、キヨくんのパートナーになる!!』
そしてキヨは、
今まで一度も感じたことのない感情に包まれていた。
怖さでも、義務でもない。
支配しなければという焦りでもない。
――守りたい。
――応えたい。
その想いが、胸の奥からせり上がる。
キヨは、レトルトの目をまっすぐに見た。
逃げ場を与えないほど真剣な視線で。
そして、静かに、
けれど確かな意思を込めて――声を発する。
「come(来い)」
たった一言。
けれどその瞬間、
レトルトの身体がびくりと跳ねた。
足元から、背中を這い上がるような痺れ。
心臓を直接掴まれたような感覚。
『あ……/////』
喉が震え、
思わず息がこぼれる。
――これが。
――キヨくんの、コマンド。
頭では理解しているのに、
身体が先に反応してしまう。
逆らえない。
逆らいたくない。
ゾクゾクとした高揚感が全身を満たし、
理性が、ゆっくりと溶けていく。
『……っ』
顔を真っ赤に染め、
荒くなった呼吸のまま、
レトルトは勢いよく前へ踏み出した。
次の瞬間、
キヨの胸に、飛び込む。
しがみつくように、
確かめるように。
キヨは反射的にその身体を受け止め、
腕を回した。
2人分の心臓の音が 重なっている。
レトルトは、キヨの胸元に顔を埋めたまま、
小さく、震える声で呟いた。
『キヨくん、大好きだよ!』
この日、
キヨは初めて“ドム”としてではなく、
“キヨ”として誰かを選んだ。
続く