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最近、七瀬は自分の歩き方が変わった気がしていた。
廊下を歩くとき、自然と壁側に寄る。
前を見るより先に、横と後ろを気にする。
誰かに追われているわけじゃない。
少なくとも、はっきりと分かる形では。
でも、見られている気がする。
その感覚だけが、消えなかった。
昼休み、クラスの女子が何人かで集まって話しているのを、少し離れた席から眺める。
混ざろうと思えば、混ざれる距離。
けれど、足が動かなかった。
話しかけたら、
それを誰かが見ていたら。
スマホが震える。
《今どこ?》
七瀬は画面を伏せた。
返事をしない、という選択肢が頭に浮かんで、すぐに消える。
返さなかったら。
あとで、何が来るか分からない。
《教室に居る》
短く送る。
すぐに既読。
《一人?》
胸がきゅっと縮む。
《うん、》
また、既読。
《そっか》
それだけなのに、
「確認された」という感覚が残った。
午後の授業中、黒板の文字が頭に入ってこない。
ノートを取っているふりをしながら、七瀬はずっと考えていた。
自分は、何か悪いことをしているんだろうか。
去年、仲が良かった子と話すのは。
クラスの子と笑うのは。
全部、「普通」のはずなのに。
放課後、靴箱に向かう途中で、背後から声がした。
「七瀬」
振り返ると、美咲が立っていた。
一人。
それだけで、少しだけ安心してしまう自分が嫌だった。
「一緒に帰ろ」
断る理由が、見つからなかった。
「うん、いいよ」
校門までの道、美咲はいつもより静かだった。
その沈黙が、逆に落ち着かない。
「あのさ」
美咲が、前を向いたまま言う。
「七瀬って、優しすぎるよね」
その言い方は、褒めているみたいで、
でもどこか、決めつけるようだった。
「そうかな」
「うん。だから、誰にでもいい顔する」
七瀬は、足を止めそうになって、慌てて歩き続けた。
「それ、誤解されやすいよ」
美咲の声は、柔らかい。
でも、その言葉は、首に巻きつくみたいに重かった。
「七瀬が変な噂立てられたら、嫌じゃん」
守ってくれている、みたいな言い方。
それが、余計に怖い。
「だからさ、ちゃんと考えたほうがいいよ。誰と、どう関わるか」
七瀬は、うなずいた。
反射みたいに。
家に帰ってから、スマホを見る。
メッセージが、いくつも並んでいた。
《今日、あの子と話してたよね》
《前、仲良かったって言ってた子》
《あんまりよくないと思う》
心臓が、少しずつ重くなる。
どうして、知っているんだろう。
どうして、見ているんだろう。
七瀬はベッドに座り込んで、スマホを握りしめた。
嫌だ、と言いたい。
やめて、と言いたい。
でも、その言葉を送ったあとの世界が、想像できてしまう。
もっと連絡が来る。
もっと説明を求められる。
もっと、縛られる。
《気をつけるね》
そう打って、送信した。
既読。
《分かってくれてよかった》
その一文で、胸の奥が冷たくなった。
分かってくれて。
それは、誰のため?
布団に入って、電気を消す。
目を閉じても、頭は休まらない。
今日、自分が誰と話したか。
誰に見られていたか。
そんなことばかり考えている。
七瀬は、ふと思った。
――私、今、自由じゃない。
その考えに気づいた瞬間、
喉の奥が、ぎゅっと詰まった。
でも、まだ言えない。
近づかないで。
その一言が、どうしても出てこなかった。