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私にも弟ができてはや3ヶ月経過し12月の年の瀬となる。
現代ではコンビニエンスストアや、飲食店も24時間営業していることが当たり前である時代とはことなり、12月に入れば正月を迎える準備をするのは時代的なものでしょうか。
必ず餅つき、しめ縄など風物詩にあふれる、またキリスト教でもないのにクリスマスにこだわり家にツリーを模したり飾りつけをおこなったり、家をサンタさんやツリーでライトアップするところもございます。
ここで、家族を把握しておくことにする。
同居しているのは、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、父と母、男の子三兄弟、私はこの三兄弟の真ん中、次男である。
また、隣には個人病院、反対には、八百屋さんの倉庫がある。完全に隣家というのは病院からさらに一軒先までない。反対の倉庫のその先は自宅兼酒屋さんだ。
営業所兼自宅は入口は事務所でそのまま、ドアを挟んで居間に通じます。
小さい子供たちはまだ1980年代はベビーブームは去ったとはいえど子供の出生率は現代に比べて高く子ども会なる催事も存在しています。
まだ子ども会は早すぎるのか、お家柄というのがあるのか、それともガソリンスタンドという大人の行き交う場所が常時存在場所となっていた三兄弟にとって話し相手は常連のお客さん、大人たちに混じって育っていくのでした。
この1980年代、暖房機器はエアコンや石油ストーブ、ガスストーブなどではなく、灯油式ストーブでマッチで中央に火をつけて灯油を炊く、また、上部はヤカンをのせたり料理をできるようになっているものが主流である。
ガソリンスタンドの冬は大変慌ただしい。なにせどの家庭に於いても家屋を温めるのに灯油は欠かせない必需品である。
夕方は夕飯を作る母以外は、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さんはとっかえひっかえとやってくる接客である。
母は、大人5人分で祖父母が含まれるためメニューを変えなくてはならず毎日の調理は手慣れているとは言えど時間は必要である。同時にコンロ3つを使い手を止めることもなく行っている。食事の時間は18時半と決まっており、遅れると常に祖父母からの苦言がやってくることを恐れている。
そのため、生まれたての弟含めて子供三兄弟は(一応)目が届くという理由で事務所に座っていることが多い。兄のサッカーボールキックは、この頃には治まっていた。それは、『弟』ができて、『お兄ちゃんがしっかりと面倒を見る』ということをまわりのたくさんの大人たちに言い聞かせられ、また面倒を見ている姿を大人達はたいそう褒め称えていた。そのため夕方に弟の面倒をみるのは日課のようになっていた。
わたしは?私は弟でなかったのでしょうか?父と母の希望は私は女のコの前提がありました。その親感情の強さから私は女の子の服装をさせられ、髪は長め、女児の扱いになっていたのです。そのため、私は「おとなしい」という前置詞がつき、また「かわいい」がつきまとっていましたが、兄にとっては「汚い」で、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんは「気持ち悪い」であります。
お客さんたちは、「かわいい女の子ね。」とまず男の子には見えない姿であります。父や母が「いやぁ、男の子ですよ。女みたいな顔をしてますので、ちょっと着せてみてるんですよ。」と冗談めいた言葉で話している。ただ愛想は悪かった、いや、もっと言葉を詰めるならば、笑わない子、何を考えているかわからない子、というようなものである。着せ替え人形のように女児の服を着せ、髪も長く編みこんだり、結ばれたりしていた。
その「おとなしい女の子」という前置詞がつく私は、そのまま夕方はただすわっている。
ただし、その日だけは動いたのでした。
いつも座らされている足が地面にとどかない大人用のソファに深く腰掛けさせられている。私は身体をよじらせてひょこっと足を椅子からおろし、手で物をつたいながら歩き出した。
そしてローテーブルからその横にある灯油ストーブに左の手のひらをのせてしまった。
しかし手のひらは熱かったのか体重がかかったままの状態で左手を上げたため左手首が延々と焼かれ始めた。
時間にしたら十秒は経過しただろう、お客さんの対応から戻った父が目の当たりにしたのは、自らの手首を焼いている私です。
慌てて手をストーブから離し抱き上げる。手首は4センチ四方ほど黒焦げになって皮膚が焼ける匂いが一面に広がっている。
そのまま隣の個人病院へ担ぎ込まれる。当のわたしは全く泣きもせず笑いもせず、ぼーっとしている。
看護婦(現在は看護師)さんは大慌てして先生を呼びに行き、冷却と壊死した皮膚組織を取り除く作業にとりかかる。
暴れないように診察用のベッドに寝かせ、全身を父と看護婦さんが抑えていたが全く暴れずただ先生が壊死部分を剥ぎ取るのを見ている。
先生は治療に集中しており、看護婦さんは必死に『「痛くないからね、大丈夫だからねと、幹部以外の場所で冷却をしながら身体を抑えている。
父も看護婦さんが抑えられない場所を抑えているが、麻酔もなく、完全に手首の皮膚が焼けただれているのにもかかわらず、泣きもせず、暴れることもない、また表情は幹部を見つめているだけの息子に恐怖を感じた。
(なんだ、この子は、そうから蹴られても泣きもせず、こんな大人でも激痛な火傷でも泣きもせず腕を振り回しもしない。抑えているのに力も必要ない、痛みを感じてないのか?なんなんだ、この子は?)
幹部は皮膚組織の皮下まで侵食しており、感染防止の点滴をうけ洗浄、一通りの治療をうけた。完治までは正月を挟み1ヶ月以上にいたり、包帯を取ると手首の手のひら側半分は土色に変色して小さい気泡のようなものが残る形で完治扱いとなった。
父は点滴時に一度自宅兼店舗に戻り、兄に話をした。
「お前はなんでとう(私)が椅子から降りたのになんもいわんやったとや?」すこし強めの口調である。
兄はすぐに、怒られると思い「お祖父ちゃん〜と叫び。」走って祖父の後ろへ隠れる。
祖父は兄をかばいながら、「そうは、なお(三男)の面倒ばちゃんとみよったけんね、えらいえらい、そげんなんこも一緒に出来んくさねぇ、そうはえらい。そうにはなおの面倒をみるのがおてつだいやったもんね。」とあにのほうへ顔を向けて慰めたあと、振り返った祖父は鬼の形相に変化した。
「おい、そうが悪かつか?とうがかってに椅子から降りて歩きだしたっちゃろもん。あぁ?おまえの躾のなっとらんとばなんでそうのせいにするとか?おまえの躾のなっとらんだけた。それにとうは頭のおかしかけんがおんなんかっこさせとけばおとなしかとか勝手におもとったっちゃろもん。えぇ?とうはあたまのおかしかっぞ。あげんかやつばなんでそうが面倒見せなんとか。馬鹿が、順番ば考えんか、そうが一番でそうがなおの面倒ば見よったとやけんそれでよかった。わかったか?」
父「はい。わかりました。」
母は、我が子の心配よりもご飯の支度に追われている。
そしてこのとき、事務所で一人になっていた祖母はレジからお金を抜いていた、、、
2歳春3歳夏編へつづく。