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第十話:あやかしの裁きと、三色の覚醒
玄関先にへたり込んだ佐々木の姿は、あまりにも滑稽で、醜悪だった。
かつて僕を怒鳴りつけ、深夜まで残業を強いては人格を否定し、僕の精神を「使い捨ての部品」のように摩耗させてきたあの「絶対的な支配者」の面影は、もはやどこにもない。安物のネクタイは無様に歪み、恐怖で失禁した股間からは、この清浄な隠れ宿の空気を汚す、吐き気を催すような人間の悪臭が立ち上っている。
「……あ、あ、……化け物……っ、来るな! 来るなと言っているだろうが! 警察だ、警察を呼ぶぞ!」
佐々木は、僕が掲げた掌から漏れ出す三色の妖気に当てられ、まともに呼吸すらできていない。僕の中に眠る玉藻の「熾熱」が彼の皮膚を焦がし、お凛の「飢餓」が彼の理性を削り、小雪の「絶対零度」が彼の心臓の鼓動を無理やり停止寸前まで引きずり込んでいく。
「佐々木さん。貴方がいつも言っていたこと、覚えていますか? 『代わりはいくらでもいる』……。ええ、その通りです。貴方の代わりも、現世にはいくらでもいる。そして今、この場所において、貴方は代わりさえ必要とされないゴミ屑だ」
僕は、彼の喉元を直接掴むことさえ厭わしく感じた。
代わりに、僕の背後から影のように伸びた三色の妖気の触手が、佐々木の四肢を絡め取り、天井へと吊り上げる。
「おやおや。これほどまでに濁り、腐り果てた魂、久しぶりに見たわ。お主、よくもこれほどの毒を、妾(わらわ)の愛しき『宝』に浴びせ続けてくれたものじゃな。……万死に値するのう?」
玉藻が、僕の肩に白く細い手を置きながら、冷徹な、しかしどこか恍惚とした笑みを佐々木に向ける。
彼女の横には、傷を癒したお凛が、獲物を前にした猫のように喉を鳴らし、今にもその喉笛に食らいつかんとして控え、小雪は感情の消えた凍てつく瞳で、佐々木の指先が細胞ごと凍りついて砕けていく様を、ただ淡々と見つめていた。
「玉藻。どうすればいい?」
「ふふ、お主の好きにするがよい。殺して宿の礎にするもよし、魂を抜いて永遠に廊下の雑巾掛けをさせるもよし。……お主はもう、この宿の主。妾たちの『王』としての最初の大仕事じゃ」
王。その響きが、僕の額に刻まれた三色の角と共鳴し、凄まじい力が全身の血管を駆け巡った。
僕は吊り上げられ、恐怖で白目を剥き始めた佐々木の眉間に、人差し指を突き立てた。
「佐々木さん。貴方が僕に与えた『終わりのない残業』を、今度は貴方が一生かけて味わってください。……ただし、死ぬことも、眠ることも許しません」
僕は角に宿る三色の妖力を一本の針のように凝縮し、佐々木の脳髄の奥底にある、恐怖を感じる中枢へと叩き込んだ。
「ぎゃあああああああああ――っ!!」
宿の静寂な山々に、人間のものとは思えない絶叫が木霊する。
彼の魂は、僕の妖力によって肉体から強引に引き剥がされ、宿の地下にある、決して日の当たることのない「呪縛の回廊」へと放り込まれた。彼の肉体は黒い霧となって霧散し、現世から「佐々木」という男の痕跡は、指紋一つ、髪の毛一本残さず抹消された。
彼はこれから永遠に、自分自身が作り上げた地獄のオフィスの中で、終わることのない苦痛の作業を強いられ続けることになる。
「……静かになった」
僕が呟くと、玄関の重い扉が、主人の意思に応えるように音もなく閉まった。
それは、僕が現世という名の地獄と、永遠に訣別したという物理的な宣言だった。
「よくやったえ、あるじ。……さあ、これでお主を邪魔する不純なものは、もう何もおらぬ。心ゆくまで、妾たちを愛でてたもれ」
玉藻が、僕を背後から包み込むように抱きしめる。
九本の尾が僕の身体を檻のように囲い込み、彼女の「主」としての所有権を誇示するように。
「にゃあ。若旦那、いえ……旦那様。お凛、もう我慢できないにゃ。三色の角、その輝き……全部お凛の中に流し込んで欲しいにゃ」
お凛が僕の腰に擦り寄り、熱い吐息を漏らしながら僕の服を脱がし始める。
「……私も。……もっと……深く。……私の氷……お前の熱で、溶かして」
小雪が、僕の手に自分の冷たい手を重ね、導くように自らの純白の肌へと這わせる。
三人のあやかし。三色の妖気。そして、それらを束ねる「王」としての僕。
僕は、彼女たちを引き連れ、再び宿の最深部にある、あの淫らな香りが満ちる寝所へと向かう。
廊下を歩くたび、僕の三色の角からは、朱色の炎、黄金の火花、銀白の冷気が溢れ出し、宿全体に新たな「命」を吹き込んでいく。
だが、僕は知っている。
この宿には、まだ見ぬ「客」や、僕の力を狙う「他のあやかし」が潜んでいることを。
玉藻が僕を独占しようとする一方で、お凛や小雪もまた、虎視眈々と「王の正妃」の座を狙っている。
三人の関係は、佐々木という共通の敵を排除したことで、より複雑で、より狂おしい「主従」と「愛欲」の争いへと変貌していく。
今夜は、三人のあやかしを同時に相手取ることになる。
混ざり合う三色の妖気。溶け合う三つの肢体。
僕は、玉藻に唇を奪われ、お凛に肌を噛まれ、小雪に魂を凍らされながら、かつてないほど激しい、狂気のごときまぐわいの渦へと飛び込んでいった。
「朧月館」の灯火は、青白く、そして赤黒く、かつてないほど激しく揺れている。
ここは、もはやただの隠れ宿ではない。
人間を辞め、あやかしを統べる男が君臨する、終わりなき愉悦と混沌の「宮殿」なのだ。
窓の外では、さらに深い霧が立ち込め、現世との境界を完全に消し去っていた。
僕は、彼女たちの嬌声と吐息にまみれながら、さらなる力の覚醒を感じていた。
三色の角が、月明かりを浴びて、禍々しくもこの世のものとは思えないほど美しく、夜の闇を貫いていた。
物語は、ここから加速する。
真の「王」となった僕を待つのは、救済か、それとも極彩色に彩られた永遠の破滅か。
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