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追手のライトを撒くため、九条さんは軽ワゴンを断崖から海へと突き落とした。
私たちは闇に紛れ、潮風が吹き荒れる険しい崖道を登り、ミチルが告げた「ガラスの温室」へと辿り着いた。
そこは、廃村の奥にひっそりと佇む、巨大な鳥籠のような建物だった。
月光に照らされた強化ガラスの中には、季節外れの白い百合が狂い咲き、異様な芳香が鼻を突く。
「……ここ、なの?」
私が震える手で錆びついた扉を開けると
温室の中央に、無数のケーブルに繋がれた一つの「水槽」が鎮座していた。
九条さんが懐中電灯でその中を照らした瞬間、私たちは絶句した。
「…嘘、でしょ……?」
水槽の中で、青白い液体に満たされ、眠るように浮かんでいたのは、写真で見た私の実の母親——栞奈の姿だった。
10数年の時が経っているはずなのに、彼女の肌は瑞々しく、まるで時間が止まったかのように美しい。
だが、その首元には、私や蓮と同じ「火傷の痕」があり
そこから太い光ファイバーが、温室の地下へと伸びる巨大なサーバー群に直結していた。
「……栞奈さんは生きているんじゃない。…彼女の『脳』が、パンドラのメインサーバーとして利用されているんだ」
九条さんの声が戦慄に震える。
パンドラの正体
それは、死の淵にいた母の脳を維持し
その「母性」や「感情」を、国民を監視・統制するためのアルゴリズムに変換した、父・誠による禁忌の装置だった。
『……正解よ、九条さん』
温室のスピーカーからミチルの声が響く。
そのとき
蓮が突然、何かに弾かれたように水槽の前へと歩み寄った。
「……あ、あ、…つ、い……」
蓮の喉のデバイスが異常な高熱を発し、彼の皮膚を焦がし始める。
私は必死に蓮を抱きしめたが、蓮のスマホから流れてきたのは、父・誠の冷徹な記録音声だった。
【記録:コード・ボイス破壊。栞の喉を焼いたのは、単なる熱湯ではない。それは、栞奈の細胞から抽出した、特殊なナノマシンを含む触媒だ。これにより、栞の声帯は母親の脳……パンドラと『物理的に同期』された】
「……じゃあ、あの時の痛みは…お母さんの、苦しみだったの?」
私の喉が、10年前のあの瞬間の熱を思い出して疼き出す。
父が私の声を奪ったのは、私をパンドラの「外部端子」にするためだったのだ。
私が声を出すたび、母の脳は削られ、システムは強化される。
「栞さん、下だ!何か来る!」
九条さんが叫ぶ。
温室の地下から、地響きと共に巨大なエレベーターがせり上がってきた。
そこに乗っていたのは、重装備の兵士たちではない。
10年前、私の喉を焼いたあのポットを持ち
虚ろな目で笑う——美波、エリカ、沙織、真由美の「残影」たち。
彼女たちは、パンドラによって人格を上書きされた、生ける屍として、再び私の前に立ちはだかった。
深冬芽以