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「…栞、また、遊ぼう……?」
美波の形をした「それ」が、カクカクとした不自然な動きで歩み寄ってくる。
彼女の手には、10年前と同じ、蒸気を上げるポットが握られていた。
温室のあちこちに配置されたスピーカーからは、私の実の母親・栞奈の声を合成した、歪な笑い声が反響している。
「……九条さん、彼女たちはもう…」
「ああ。人格をパンドラに吸い出され、肉体だけがシステムの『端末』として動かされている。…栞さん、僕の後ろにいろ!」
九条は震える手で、懐から一本の黒いUSBメモリを取り出した。
それは彼が警察を辞める際、証拠保管庫から命懸けで持ち出した、国家機密の「強制初期化ウイルス」だった。
「これを使えば、温室内の全システムを停止できる。…だが、このウイルスは周囲の全デバイス、そして僕の脳内にある『警察データベースとの同期ログ』まで、無差別に焼き切る」
九条が苦渋に満ちた表情で私を振り返る。
「……栞さん。これを使えば、君との記憶も、僕が君を守ろうとした理由も、すべて消えてしまうかもしれない」
「……そんな、九条さん!」
九条は私の制止を振り切り、温室の中央制御パネルにメモリを叩き込んだ。
その瞬間、温室内の百合が一斉に震え、水槽の中の青白い液体が激しく泡立ち始めた。
「ぐ、あああああああ!!」
九条が頭を抱えて絶叫する。
彼の脳に直接リンクしていた警察の認証システムが、ウイルスによって強制的に引き剥がされていく。
同時に、襲いかかってきた美波たちの動きが止まり、彼女たちの目から黒い液体が溢れ出した。
『……や、……め、て…』
水槽の中の母、栞奈が、ゆっくりと目を見開いた。
彼女の瞳は濁り、無数の光ファイバーが神経の一部のように脈打っている。
母の口から漏れたのは、合成された機械音ではなく、10年間閉じ込められていた魂の悲鳴だった。
「……お母、さん……」
私は蓮を九条に預け、激しい放電が走る水槽へと駆け寄った。
ガラス越しに母の手に触れた瞬間、私の喉の奥に、かつてないほどの激痛が走る。
ウイルスの干渉によって、私の喉に刻まれた「暗号」と、母の脳が、強制的に逆流を起こしたのだ。
脳内に流れ込んでくる、膨大な量の記憶。
父・誠が母を愛し、その愛ゆえに彼女を「神」に変えようとした狂気。
そして、母が最後の意識を振り絞って、私の喉に託した「パンドラを殺すための子守唄」の真の旋律。
「……栞、…っ、逃げ…て……」
母の唇が動いた。
その瞬間、温室のガラスが爆圧で一斉に粉砕された。
外には、パンドラの完全武装した制圧部隊が、温室を包囲するように整列していた。
彼らのヘルメットのバイザーには、赤い『P』の文字が点灯している。
九条は床に倒れ、虚ろな目で私を見上げた。
「……君は、…誰だ……?」
深冬芽以