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得意気に姉の『秘密』を暴露して、桜は帰って行った。携帯電話の番号のメモを残して。
『五千万、急いでね』と言い残して。
馨は最後まで床を見つめたまま、泣くことも喚くこともせずに、ただじっと耐えていた。
「説明、しろよ」
俺はソファに身を投げ出し、言った。
馨はまだ、床を見つめたまま。
桜の話は、こうだ。
母親が亡くなった後、馨がまだ家を出る前、勲が金の入った封筒を馨に渡しているところを、見たという。馨は封筒を受け取り、中の金を確認し、服を脱いだ。
だから、馨は勲の愛人だった。
「馨」
彼女の肩がビクッと跳ねて、それからゆっくりと顔を上げた。泣いているわけではない。ただ、その目には絶望が滲んでいた。
「俺は、お前が勲の愛人だったなんて、信じてない」
「え……?」
「母親が亡くなって、家を出るまでってことは、お前は大学生の頃か? その頃、桜はまだ小学生だろ。そんなガキの話、しかもそんな昔の話、信じられるかよ」
そうだ。
姉の恋人に跨るような女の話なんか、信じられるわけがない。だが、馨が『嘘だ』と言わないあたり、全てが嘘だとも思えなかった。
「仮に、だ。仮に桜の話が本当で、お前が勲の愛人だったとしても、俺には大した問題じゃない」
「……え……?」
俺は立ちあがり、馨の前に膝をついた。彼女を抱き上げ、ベッドに座らせる。ショールを解き、ベッドの上のパーカーを羽織らせた。
馨の両手を握りしめた。
「大事なのは、現在、俺の目の前にいる、馨だから。過去に誰の恋人でも、誰の愛人でも、現在の馨が俺のものなら、それでいい」
心から、そう思う。
気にならないわけではない。
だが、俺の過去も褒められたものじゃない。
馨の手が、俺の手をギュッと握り返した。
「愛人なんかじゃ……ない……」
馨が、小さな声で、けれど、はっきりと言った。
「義父の愛人だったことなんて、ない」
偉そうなことを言ったが、馨が否定してくれてホッとした。
「だけど、桜が誤解するような『何か』があった……?」
馨が小さく頷いた。
「桜が見たことは……事実なの。義父からお金を受け取って、服を……脱いだ。けど、触れられたら気持ち悪くて、どうしても我慢出来なくて、逃げ出したの」
「どうしてそんな——」
「家を出るためのお金が欲しかった。あの家に私の居場所なんてなくて、息苦しくて、早く家を出たくてたまらなかったの。義父が私のことをいやらしい目で見ていたのは知っていたから、お母さんが亡くなって、私に触れようとする義父に言ったの。『お金をちょうだい』って」
馨の言葉を疑う理由はなかった。
高津も言っていた。
『馨は過去に、乱暴に扱われたことがあって男を怖がっていた』と。
「馨が逃げ出したところまでは、桜は見ていなかったのか」
馨が頷く。
「だが、ちゃんと話せば誤解は解けたろう?」
「話せなかったの……」
「どうして?」
「…………」
馨が唇を噛んだ。俺は親指の腹で、そっと唇に触れた。力が抜けた唇は、赤く噛み痕が残っていた。
俺は身を乗り出し、噛み痕にキスをした。
自分から言い出したとはいえ、よくこんなに長い間、触れずにいられたものだと思う。
自分の忍耐力を褒めてやりたい。
けれど、一度触れてしまうと、もう忍耐力なんて言葉の意味すら忘れてしまった。
馨が応えてくれたなら、なおのこと。
ついばむようなキスを繰り返し、押し倒したい衝動に耐え、俺は言った。
「全部、話せ」
「…………」
余程の事なのだろう。高津にも言えなかったことだ。
だが、俺は知る必要がある。
馨を守るために——。
「馨、もうすぐ誕生日だよな?」
「え……?」
急に話が変わって、馨がかすれた声で聞き返した。
「俺の誕生日も近いからさ、プレゼントを交換しよう」
「なに……を——?」
「俺は馨の誕生日に、『願いを三つ叶える約束』をプレゼントするよ」
馨が信じられないと言わんばかりに目を見開き、俺を見た。
「馨は俺に、『一つだけ無条件に許す約束』をくれないか?」
「許す……? 何を……?」
「それは、馨の願いを二つ叶え終わった時に言うよ」
「なにそれ……」
「馨は……『また』同じことを願うか——?」
賭け、だった。
高津の二の舞になる可能性がないわけではない。
『私と別れて——』
そう言われてしまったら、聞き入れないわけにはいかない。
だが、俺は信じたかった。
俺と馨の絆、を。
年月は高津に及ばなくても、一緒に過ごした時間の濃さは負けない自信があった。
「雄大さ——」
馨がベッドから滑り落ち、俺の膝の上に乗っかった。ドレスがめくり上がり、白い素肌が露わになる。
「助けて……」
『誰を?』と聞くのが怖かった。
高津への一つ目の願いは、『桜を助けて』だった。
俺は、高津とは違う。
そう思ったのは、傲りだったのか?
心が折れそうになった時、馨が俺の首に抱きついてきた。
「私を、助けて——」
喜びのあまり、俺は力いっぱい馨を抱き締めた。