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それから数日して、二人のコンドミニアムに刑事が一人事情聴取にやって来た、六十代の老警察官だった、ベッドの横に立ち、疲れきった顔で浩二を見下ろしていた、その目には驚きも当惑もなかった、きっと犯罪はもう見飽きているのだろうと浩二は思った
「いやぁ~、タワーマンションたるものに私は初めて入りましてね・・・おっとご挨拶がおくれましたな、私は兵庫県警犯罪一科の大谷と申します、お気の毒でした姫野さん」
大谷警部は警察手帳を見せながら浩二に言った
「・・・どうせ被害に遭うなら選挙が終わってからにしてくれたらよかったのに・・・」
浩二はつっけんどんに答えた、起き上がろうとすれば腹の傷がズキズキと痛むのだ
「おっしゃりたいことは分かりますよ、姫野さん」
刑事は同情の顔で浩二に言った
「今は犯人の聞き取り捜査をしてまして、こちらから二、三、姫野候補に質問をしますね、犯人の顔は覚えていますか?」
「ハッキリ覚えていますよ、背は低いが体格は良い男でした、何度思い出しても顔に見覚えがないんで初対面だと思います、僕を恨んでいる輩は沢山いるでしょうからね、なにせ僕の政策は少し過激ですから」
浩二は思い出しただけでも腹が立って仕方がなかった、こんな大事な時にベッドに寝ていなきゃいけないないなんて・・・
大谷刑事はサラサラメモを取りながら聞いていた
「ほほう・・・では犯人のモンタージュを作りますのでご協力願えますかな、必ず犯人は捕まえますよ、姫野さん」
「ぜひ、そうして下さい」
浩二は苛立たしく答えた
・:.。.・:.。.
暫くは刺された傷の痛みは続くと言う医師の警告通り、浩二の傷口の痛みは拷問に等しく、痛み止めの薬を飲み続けなければ到底我慢できなかった
しかし浩二はぎりぎりまで我慢して、どうしても耐えられなくなった時だけ薬を飲んだ、そんな浩二を見ているのは心が痛んだが、鈴子はいつも着きっ切りで浩二の傍にいた
二週間経って増田が鈴子に目を通してもらいたい契約書類をどっさり持って、二人のコンドミニアムにやって来た
増田が部屋に入ると、浩二はベッドにぐったりと横たわっていた、窓から差し込む午後の陽光が白いシーツを淡く染めていた、浩二の顔色はまだ青白い、増田はドアを軽くノックしてから入室し、持ってきた書類の束をテーブルに置いた
「やぁ、姫野候補!怪我の具合はどうだい?驚いたな、こんな立派な所で二人が同棲しているなんて、全然知らなかったよ」
増田の声はいつものように明るいが、どこか無理をしているように聞こえた、浩二は枕に頭を沈めたまま、ゆっくりと顔を向ける
「いくら部屋は立派でも、僕はこのベッドから一歩も動けませんよ」
浩二はベッドに寝ころんだまま、不機嫌そうに増田に言った、声には苛立ちが滲み、普段の弁舌の冴えは影を潜めている
「・・・こりゃすまない・・・怪我の具合は?あんまり良くないのかい?」
増田はベッドサイドの椅子を引き寄せて腰を下ろした、書類の束がテーブルの上で重そうに沈む、健康的な増田を浩二は恨めしく見つめる
「気にしないで下さい・・・痛くてイライラしているだけですから」
そう言うと、浩二は右手をドンドンとベッドに叩きつけた、鈴子が隣室から顔を覗かせたが、今は二人にしておいてやろうとすぐに引っ込んでしまった
「・・・誰がやったか見当はつかないのかい?警察は?」
増田の声が低くなる、窓の外では遠くの高速道路を走る車がミニカーの様に見える
「さぁ・・・僕は敵が多いですからね、警察もモンタージュを撮って捜査してくれていますが、いつになるやら・・・」
浩二はハァー・・・とため息をついて言った、ため息は長く、部屋の空気を重くする
「もう僕は落選したようなものですよ」
増田は思った以上に落ち込んでいる浩二に驚いた、以前三宮の駅前で力強く握手しあった、活気あふれる若者の姿はここにはなかった、浩二がこんなに憔悴しているとは思わなかった、思わず慌てて元気づける
「そんなことないよ!まだ分からないじゃないか!ここでこうしていても出来ることがあるんじゃないか?ほら、SNSのコラムを書くとか・・・」
増田の必死の励ましの言葉もどこか空回りしていた、浩二の瞳には、かつての炎が消えかけている
「街宣演説をしないとあまり意味がありませんよ、僕の講演会は三か月先まで予約がいっぱいだったのに・・・」
「そうか・・・それは、残念だな・・・」
増田は言葉を失った、そのまま何も言えず、沈黙が部屋を満たした、外では風がタワーの壁を撫でる音だけが聞こえていた
「鈴子は隣の部屋にいますよ」
浩二がぽつりと言った、増田はありがたいとばかりに立ち上がり、書類を手に取った
「おう!それじゃ、俺はこれで失礼するよ、お大事にな、あんまり思い詰めるなよ」
「ありがとう、増田さん」
増田が出て行った後、部屋に残された浩二は、ゆっくりと上半身を起こした、少し動いただけで脇腹がズキズキする、本当に命があっただけでも幸運だ、死んでいてもおかしくはなかった
浩二は右手で痛む箇所を堪えながら、窓の外に広がる神戸の街並みを眺めた、遠くに移る青い海で港のクレーンが遠くで動いているのが見えた
「・・・僕のできること・・・」
浩二は呟き、ベッドサイドのテーブルに置かれたノートパソコンに手を伸ばした、画面が点灯し、白いカーソルが点滅している、痛みを堪えながら、浩二はゆっくりとキーを叩き始めた
指先が震えて文字が歪んで見える、それでも浩二は書き続けた、失われた三か月の空白を、言葉で埋めていくように