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昨夜書き溜めた作品を1日で放出するのが生き甲斐だったりする(終わってる)
前任の太宰が肉として切り分けられ、街の喧騒へと消費されていった数日後。地下深くの管理室に安置された巨大な孵化器の中で、その命は静かに、しかし確実に殻を割り始めた。中也は、無機質な機械の駆動音だけが響く部屋で、その瞬間を待っていた。
パキリ、という乾いた音が、静寂を裂く。
真珠色の殻に亀裂が走り、中から温かい粘液と共に、白く細い指が這い出してきた。それは先代の太宰と寸分違わぬ、しかし一点の汚れも、一点の記憶も持たない、無垢そのものの生命体であった。中也は、粘液に塗れたまま震えるその小さな身体を、迷うことなく両手で抱き上げた。
「……あ、……あ、……ぁ」
生まれたばかりの太宰は、まだ焦点の定まらない瞳を彷徨わせ、自分を抱き上げる男の体温に本能的に擦り寄った。彼女にとって、この世で最初に触れた「熱」が、中也という存在であった。彼女の遺伝子には、この男に従い、この男のためにその身を捧げることが、抗えぬ掟として刻み込まれている。
「……中也……? ……ちゅう、や……」
幼い唇が、教えられずともその名前を形作る。中也は、その震える小さな背中を大きなタオルで包み込み、冷えないように抱きしめた。彼女の肌は透き通るように白く、触れれば壊れてしまいそうなほどに脆い。中也はこの瞬間、彼女がいつかまた絶叫を上げながら肉工場へ運ばれていく運命にあることを知りながらも、その柔らかな重みを腕の中に受け止めた。
中也にとって、この「育てる」という工程は、最も神経を使う期間であった。生まれたての個体は非常に脆弱であり、適切な栄養と環境を与えなければ、極上の卵を産むための健常な身体へと成長しない。彼は、自ら高栄養の乳液を調合し、彼女の小さな口元へと運ぶ。太宰は、中也の指を小さな手でがっしりと掴みながら、必死にそれを飲み込んでいく。
「……おいしい、中也。……もっと、……ちょうだい」
太宰は中也の顔を見上げ、純粋な、一点の曇りもない笑顔を浮かべた。その無邪気な姿は、数日前に解体台の上で血を流していたあの女と同じ顔だとは思えないほどに愛らしい。彼女は、自分がなぜこの白い部屋にいるのか、なぜ中也という男が自分を世話しているのかを疑うことさえしない。ただ、中也がそばにいてくれることが、彼女の世界のすべてであった。
三日が経過する頃には、太宰の身体は驚異的な速度で成長を遂げていた。赤ん坊のようだった姿は、十代半ばの少女のそれへと近づき、肢体には女性らしい滑らかな曲線が宿り始める。彼女は部屋の中を跳ね回るように歩き、中也が扉を開けるたびに、子犬のように駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
「中也! 見て、今日はこんなに高く飛べるようになったよ。……ねえ、もっと中也とお話ししたい。お外には何があるの? ……あのね、中也と一緒に、お花をたくさん見に行きたいな」
太宰は、中也のシャツの裾を握りしめ、弾むような声で夢を語る。中也は、その無垢な言葉を遮ることなく、ただ彼女の頭を優しく撫でた。彼女の言う「お外」が、自分たちの同族が並ぶスーパーの棚であることを、今は教える必要はない。彼女がこうして無邪気に笑い、中也を信頼していればいるほど、体内の内分泌系は活性化され、産卵に適した最高級の母体へと仕上がっていくのだ。
七日目。太宰の身体は、ほぼ完成の域に達していた。
かつての太宰たちが持っていた、人を食ったような不敵さや、底知れぬ孤独感は、まだこの個体には現れていない。ただ、中也という守護者に対して、盲目的なまでの愛情と依存を向ける、愛らしい一人の少女。彼女は中也が持ってきた新しい衣服を身に纏い、鏡の前でくるくると回ってみせた。
「……中也、これ、似合ってるかな? ……中也が選んでくれたから、わたし、とっても嬉しいよ。……ずっとずっと、中也のそばにいてもいい?」
その問いに、中也は一瞬だけ、視線を逸らした。
「……あぁ。お前が、いい子にしていればな」
「いい子にする! わたし、中也のためなら、なんだってするよ。……ねえ、中也。最近、なんだかおなかのあたりが、不思議な感じがするの。……あったかくて、むずむずして……。これ、なあに?」
太宰は、自らの平坦な腹部に手を当て、小首をかしげた。
中也は知っている。それは、彼女の卵巣が初めての成熟を迎え、琥珀色の液を受け入れる準備を整えた合図であることを。十日という短い平穏は、終わりを告げようとしていた。彼女が「ただの愛らしい少女」でいられる時間は、もう一刻も残されていない。
十日目の朝。
中也は、かつての個体たちに使ってきた、あの重厚な導入液の針管を手に、太宰の部屋へと向かった。
扉を開けると、太宰はいつものように満面の笑みで中也を迎えようとした。だが、中也の手に握られた鋭利な金属の光を見た瞬間、彼女の身体は微かに強張った。
「……中也? それ、……なあに? ……今日は、お注射するの?」
太宰の瞳に、初めて小さな不安の色が混じる。中也はその瞳を見つめ返し、抗えぬ運命を告げるように、低く、しかし穏やかな声で言った。
「……あぁ。お前が本当の意味で、俺の役に立つための儀式だ。……こっちへ来い、太宰」
太宰は、一瞬だけ躊躇いを見せたが、それでも中也への絶対的な信頼が勝った。彼女はゆっくりと歩み寄り、中也の差し出した手を握りしめた。その手の小ささと、温かさ。これから彼女が味わうことになる地獄を思えば、中也の胸の奥がわずかに疼いたが、彼はそれを「管理官」としての義務感で押し殺した。
「……中也が言うなら、わたし、頑張るよ。……中也の役に立ちたいもん」
そう言って、太宰は自ら寝台の上に腰を下ろした。まだ何も知らない、無垢で可哀想な生贄。彼女が流し込まれる薬液の熱に喘ぎ、巨大な卵を産み落とす苦痛を知るまで、あと数分。
中也は無言で、彼女の細い手首に固定具を回した。
カチリ、という金属音が、彼女の「少女としての生」の終焉を告げた。太宰は不思議そうにその固定具を見つめ、それから、いつもより冷徹な瞳をした中也の顔を見上げた。彼女の愛らしい物語は、ここから組織の歯車としての凄惨な日常へと、強制的に塗り替えられていく。
(続く)