俺は、目の前にそびえたつ大きな建築物を前に、ごくんと喉を鳴らした。
同じ大陸で、近い土地のはずなのにこんなに違う。自分の所にだって同じように立派な建物はある、でもどうしても鼓動が高鳴ってしまう。
カトリックを代表するにふさわしい、壮大な面構えのその建物は、こちらに覚悟と幾年もの歴史を一瞬にして全て教えてくれる。俺の苦悩も、イタリアの苦悩も、欧州の苦悩も、この建物はきっと知っているのだろう。俺はその中に大きく足を踏み入れた。
「…グーテンターク、バチカン」
俺がそういうと、バチカンは読んでいた本をパタンと閉じてこちらを向いた。
”バチカンと話の約束はしていた”と言って俺がつられて来られた場所は、彼のいつも座っている、この建物の奥の部屋だった。とても豪華な装飾で、壁一面には彼の偉大さを物語るような絵画が彫られていた。でも、ごちゃごちゃとした印象は全く感じず、とても静かで落ち着いた空間と思える。
彼はお世辞にも大きいとは言えない身なりながらも、堂々としていて、また、上品な佇まいであった。
広いこの部屋に、机と本棚を置いて、優し気なその目で分厚い本を読む。聖書か何かだろうが、俺には彼が”本を読んでいる”のではなく、”本の話を聞いている”様子に見えた。怪我をして泣いている子供をあやすような、親の居ない少女に花を与えているときのような、やわらかくきらきらした瞳で本を眺めているものだから、本を子供か何かとみているのだろうか、と錯覚してしまう。
…神聖とは、まさしく彼の事を言うのだろう。
閉じた本をそっとさすって、…いや、撫でて。彼は俺に言った。
「貴方がこちらに出向くなんて、珍しい…」
そう言いかけたところで、彼はケホッ、と咳をした。俺は急いで彼に近づいて、背中に優しく手を置いた。
「大丈夫か?無理はするな。…まだあまり体調が優れないのか…?」
「いえ、…十分回復はしているけれど、完治とまでは行っていなくて…」
俺は少し眉を下げて彼を見た。
「…色々大変だろうに、急に会いに来て申し訳ない。もう少しバチカンの体調が良くなってからにすればよかったな」
すると、バチカンは佇まいを直し、ふわっとこちらを向いた。
「いえ、…貴方が此処に来たのは、イタリアについて私から何か聞きたいからなのでしょう?それならば、私はすぐにでも貴方とお話しなければならない」
「…私も、イタリアの異変には気づいているのだけれど…彼は頑固なもので、私に何も告げてくれないのです」
彼は優しげな、そして悲しげな表情をした。…イタリアがバチカンのことを大好きで、尊敬していて、信頼しているのは俺でも勿論知っている。だからこそ、イタリアは彼に知られたくないのだろうか。それとも、…もっと別の理由があるのだろうか?
彼の瞳があまりにも慈悲で揺らめいていて、俺は言葉をかけれなかった。口をつぐんで黙ってしまったところに、バチカンは続ける。
「でも、貴方ならきっと、イタリアは心を開いてくれるだろうから」
「…喜んで、バチカンの意思は俺が継ぐ。質問に答えてもらえるか」
バチカンは悲しげな表情のまま、にこりと笑った。
「こちらこそ、喜んで」
「お察しかと思われるけれど…イタリアの異変は私が”イタリアに助けられた後”、始まった。」
「ああ、あの事件はイタリアにとってとてもショッキングな出来事だった。
イタリアは貴方を尊敬しているし、とても大切に思っているから、少なくとも精神的に結構来ていたのだろう」
”あの事件”は、先日バチカンのもとに起きた「殺人未遂事件」のことである。
バチカンはとある国民から、ティーを貰ったそうだ。
貴方の為に厳選して包装させて頂きました、是非受け取ってはくれませんかと高校生ほどの青年がバチカンに尋ねた。
バチカンはとても優しく、そして慈悲深く、更に子供に甘い傾向があるので、喜んでその茶葉を受け取った。そしてその翌日、そのティーを淹れて飲んでみたらしい。
ティーはとても美味しく、バチカンは読み途中だった本を開いた。
…と、その時。
バチカンの口から血が吐かれた。
バチカンは椅子からずり落ちた。床にひざをつき、片手で口を覆うが血は止まらない。加えて肺を刺激するような苦しみが続きその場に倒れて息にならない息をしていた。
そこに、偶然イタリアがやってきた。
イタリアは倒れて血まみれのバチカンを見て大層驚き、すぐにバチカンのもとに駆け寄った。外の警備に連絡してもらい、かろうじて覚えていた応急処置をこなし、バチカンが搬送されるときも病院でも常に傍で見守っていたそうだ。
そんなイタリアの頑張り合ってか、バチカンは無事息をとりとめた。
ティーには毒が入っていた。ティーを送った青年はカルト的な宗教団体に入っていたらしく、その後逮捕されて、…まあ、それ相応の処罰がなされた。
それが”あの事件”である。
「俺だって、貴方のような方が血を吐き倒れていたらイタリアのように動揺して、精神的におかしくなっていたことだろう。イタリアは事件のショックに身体がついてきていないのかもしれない」
「えぇ、…イタリアは、まだ全然若いから
貴方も然り、ね」
俺は苦笑した。
「…でも、そのほかに、何か理由がある気がして。」
「心当たりがあるのか?」
バチカンは頷いた。
「そう、この前イタリアが聖書を借して、と言ってきたのです」
「…聖書を?何故?」
「それがわからない。そんな今更聖書を読むような感じでもないし、未だそれが返ってきていないのも…」
「…聖書、か…。」
俺は言った。
「ありがとうバチカン、貴重な時間に貴重なお話を…家に帰ってまた考えてみる」
「はい、お気をつけて。」
俺が部屋の外に一歩を踏み出すと、後ろからバチカンはまたこういった。
「神のご加護がありますように。」
コメント
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これもう書籍化したい()
バチカンを形容する言葉の一つ一つが美しすぎる…! 次回も、プレッシャーを感じぬ程度に、とっても、楽しみにしております。
続きが気になりすぎる