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鬼霧宗作
橘靖竜
るしゅ
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柊さんが姿を消してから、半年が過ぎた。
捜査一課のフロアには、再びいつもの慌ただしさが戻っていたが、私の隣のデスクだけは、不自然なほどに整然としたままだった。
照りつける夏を経て、今は穏やかな秋の陽光が警視庁の窓を叩いている。
「……南、また一点を見つめてるぞ。報告書が進んでない」
小宮さんの声に現実に引き戻される。半年で少しだけ体重を戻した彼は、相変わらず忙しなくキーボードを叩いている。
「分かってますよ。……ただ、少し考えごとをしていただけです」
私はペンを置き、窓の外に広がる東京の街並みを眺めた。あの日以来、柊さんの行方はようとして知れない。警察のデータベースを使っても、彼の足取りは霧の中に消えたままだった。
その日の夕方、私が警視庁の玄関を出たときだった。エントランス近くの街路樹の下に、見覚えのある、だが以前とは明らかに雰囲気の違う男が立っていた。
かつて彼が愛用していたグレーの高級コートはなく、身に纏っているのはどこにでもあるようなシンプルな黒のブルゾンとチノパン。だが、その背筋の伸び方と、すべてを見透かすような独特の空気感だけは、隠しようもなく彼そのものだった。
「……半年ぶりだね、葵さん。少し、顔色が良くなったんじゃないかい?」
半年ぶりに聞く、あの低く洗練された声。私は言葉を失い、ただ呆然と彼を見つめた。
「柊、さん……。どこに、行っていたんですか」
「旅だよ。……といっても、美しい景色を見に行くような風雅なものじゃない」
柊さんはいつもの不敵な笑みを浮かべず、どこか穏やかな、それでいて吹っ切れたような瞳で私を見た。
「僕が今まで騙してきた、過去の被害者全員に会ってきたんだ」
「……全員に?」
「ああ。君に言われたからね、澪との約束を守れと。……私財をすべて売り払って、わずかな蓄えも整理して、弁済に充ててきた。……一文無しになるまで、あちこち頭を下げて回るっていうのは、詐欺師としての僕のプライドを粉砕するには十分な作業だったよ」
柊さんはポケットから空っぽの財布を取り出し、おどけて見せた。
「というわけで、今の僕は見ての通りの無職で住所不定だ。葵さん、今日からまた僕をコンサルタントとして雇ってくれないかな? もちろん、出来高払いで構わないよ」
感動の再会——。
そんな空気が一瞬だけ漂った。だが、私は次の瞬間、腰のポーチから手錠を引き抜き、彼の細い手首に迷わず叩き込んだ。
「……葵さん、なにこれ。歓迎の挨拶にしては、少し刺激が強すぎないかい?」
柊さんが目を丸くし、ガチャリと音を立てた金属の輪を見つめる。
「……以前のコンサルタント契約書、読み直しましたよ。第三条第七項。『協力者が音信不通となった場合、過去の犯罪行為に対する訴追免責は即座に無効となる』という記載があります」
私は声を震わせないように必死で力を込めた。だが、視界がじわりと滲んでいくのを止められない。
「つまり、今のあなたはただの指名手配犯です。……柊渡、あなたを詐欺罪の容疑で逮捕します」
「……マジで? 君、あの感動的なセリフを聞いてなかったのかい?」
「聞きましたよ。……一文無しになったことも、反省したことも。でも、それはそれ、これはこれです。……勝手にいなくなって、半年も放っておいて、どの面下げて戻ってきたんですか、この嘘つき!」
私の瞳から、堪えきれなかった涙が一粒、地面に落ちた。それを見た柊さんは、少しだけ困ったように眉を下げ、それからいつものように意地悪く口角を上げた。
「……おや。権利の読み上げは? 黙秘権が~とかの。それに声が随分と湿っぽくないかな? 葵さん、君、実は僕がいなくて寂しかったんだろう?」
「うるさいです! 黙秘権を行使してください!」
「いやいや、勘弁してよ。僕を締め上げても、もうお金も嘘も出てこないよ?」
私が彼の手首を掴み、署内に引きずり戻そうとしたその時だった。無線機が、けたたましく鳴り響いた。
『一課より各員。世田谷区内の美術館にて強盗事件発生。犯人は逃走中、至急現場へ急行せよ!』
私は反射的に無線のスイッチを入れたが、隣で手錠をかけられた男が、私の顔を覗き込んで不敵に笑った。
「……葵さん。逮捕の手続きは、とりあえずこれを解決してからにしないかい? プロの詐欺師の視点が必要な現場かもしれないよ」
「……本当、あなたは最低で、最悪なパートナーです」
私は涙を拭い、彼の手首にかかっていた手錠を、今度は自分の手首へと繋ぎ直した。
「逃げようなんて思わないでくださいね。今度は、絶対に離しませんから」
「光栄だね。……さあ、行こうか。事件が待ってる」
夕暮れの街に、パトカーのサイレンが遠くから近づいてくる。私たちは、繋がれた手首の感触を確かめるように、新たな事件が待つ闇の中へと、力強く駆け出した。