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 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ!!!!

まだ午前中が終わったばかりだというのに、僕の体力ゲージはすでに底をつきかけていた。


 倉庫内作業。それが今の僕の仕事だ。倉庫に横付けされた大型トラックの中、午前中はずっと重いダンボールを運び込む作業をしていたのだ。 華奢な体に鞭打ってなんとかこなしたものの、もう瀕死。疲労困憊。


 なので昼休みに入るや否や、体を引きずるようにして真っ直ぐ休憩所に向かった。そして現在、少しでも体力を回復させるためにテーブルに突っ伏している。


「もう駄目だ……女神様、救いの女神様はどこだ……」


 そう、独りごちる。


 分かってるよ、そんな人に出逢うことなんかないってことは。でも夢くらい見たっていいだろ、こんなに頑張ってるんだから。


 とにかくお給料。お給料をもらわなければ。じゃないと生活ができない。だから上司に命じられた通りに働いているんだ。生活苦だけはごめんだ。


「転職、転職……早く転職しないと本当に死んじゃう……」


 一度席から立ち上がり、ふらふらしながら自動販売機に向かった。小銭を投入し、500ミリのスポーツドリンクを購入。それを一気飲みした。でも全然足りん!


 二本目、三本目と連続で購入し、これまた連続で一気に飲み干した。よし、なんとか水分の補給はできた。なんとか午後も耐えてやる!


「あ、響くん。お疲れさまー」


 自販機の前で死んだ顔をして突っ立っていると、シルクのように柔らかな優しい声が僕を呼んだ。そして振り向く。神様はまだ僕を見捨ててはいないようだ。


「皆川さん……」


 皆川優子みながわゆうこさん。

この職場における、僕の唯一の癒やしの存在。いや、癒やしを通り越してもう女神。だってめちゃくちゃ可愛いし優しいんだもん。


 皆川さんは大学を卒業したばかりの二十三才。今日も緩くウエーブがかった髪がとても美しい。顔も本当に可愛い。童顔で超好み。それでいて大人の色気はムンムン。恐らく一般女性の1.5倍のフェロモンを放出しているはず。魅力が溢れに溢れている。


「男性は本当に大変だね、力仕事に回されちゃって。響くん、体大丈夫? そんなに体力ある方じゃないでしょ、華奢だし」


「あはは、大丈夫大丈夫! なんていうか、余裕って感じ? 華奢に見えるかもしれないけど結構筋肉はあるんだよ? だから力仕事どんと来いって感じだよ」


「うふふ、そうなんだ。それにしてはさっき目が死んだけどね」


 う、バレてる。皆川さんの前ではカッコ悪いところを見せたくないのに。


 皆川さんとは同期なのだ。派遣の登録説明会で一緒になり、そこで喋って以来、少しずつ仲良くなっていった。なので、こうして休憩中にたまに会話をしたりしている。


 皆川さんは女性なので僕のような力仕事ではなく、違う部署でダンボールに商品を詰めるピッキングなどの軽作業をしている。僕もそっちに行きたいよ。


「ねえ響くん、もうすぐお給料日だね」


 皆川さんは、エンジェルと見紛うほどの太陽スマイルを僕に向ける。ああ、僕は今、とても幸せだ。こうして今日も皆川さんと会話をすることができた。もう、それだけで幸せだ。それほどまでに、僕の心は荒んでいるのだ。


「お給料出たら、一緒にお食事でも行きませんか?」


 一緒にお食事か。そういえば白雪さんが、今日はカレーにしてくれるって言ってたっけ。楽しみだなあ。でもそうかあ、皆川さんと一緒にお食事かあ。


 ……ん? 一緒にお食事?


「み、み、皆川さん? 今なんて……」


 あまりに突然のことに、僕は動揺しまくった。なんだって? 聞き間違いじゃなければ、皆川天使様が今、僕を食事に誘ってくれたような。


「うふふ、やだなあ、ボーッとしないでよ。じゃあもう一回言うよ? お給料出たら一緒にお食事でも行こうよ。たまにはお互いリフレッシュしなきゃ。それともあれかな? 私と一緒じゃ嫌? もしかして響くんって彼女いるの?」


「い、い、い、いません!! 彼女なんているわけないじゃないですか!!」


「それじゃお食事のお誘い、オッケーしてくれる?」


「も、もちろんです! オッケー! オールオッケー!」


 なんということだ。信じられないことが起こってしまった。この職場内で隠れファンも多い皆川さんから食事に誘ってもらえるだなんて。驚天動地だ。


「それじゃ決まりね。あ、私が誘ったことは他の皆んなには内緒にしててね。変に噂されると恥ずかしいから」


「い、言いません! どんなことがあろうとも他言にしません! 自慢したいのはやまやまだけど、この心の中にとどめておきます!」


「うふふっ、響くんって面白いよね。あ、それじゃ私、他の皆んなと一緒にお昼食べる約束してるから行くね。また今度ゆっくり話そう」


 そう言い残し、皆川さんは笑顔を残して去っていった。コロンの香りだろうか。皆川さんがくるりと背中を向けたときに、ふわりと甘い匂いがした。


 一人になってから、皆川さんの言葉を頭の中で冷静に整理する。もしかしてこれ、デートというやつじゃないのか?


 響政宗、二十七才。ついに今、僕にも遅い春が訪れようとしている。そうだ、そうに違いない。僕にとって人生初のデートだ、ニヤケ顔が止まらない。


「よっしゃー! 午後も全力で仕事頑張るぞー!」


 我ながらに思う。僕って本当に単純だよなあって。でも仕方がないじゃないか、皆川さんに誘われて喜ぶなと言う方が無理。


 待ち遠しいぜ、次の給料日が!


* * *


 ヤバい。何がヤバいのかというと、体がヤバい。


 皆川さんからお食事を誘ってもらったことで張り切りすぎて、いつもの二倍は頑張ってしまった。人間、やっぱり無理は絶対にしてはいけない。


「は、早く……早く家に帰りたい。か、カレーを早く食べたい……」


 そう。今日は白雪さんお手製のカレーが待っているんだ。でも、一歩一歩進むごとに体力ゲージが削られていく。果たして家まで辿り着けるのだろうか。


「張り切りすぎた……浮足立ちすぎた……」


 仕事の作業中は平気だったんだ。だけど定時の作業終了チャイムを聞いたところで、それまでの疲れが一気に僕の体を支配した。


 なんでそこまで張り切りすぎたのかって? 理由は単純。そして明白。僕は今まで女性とデートなどをしたことがない。学生時代も女っ気は全くなし。そりゃ張り切るでしょ、人生初デートなんだから。


 ……二十七才で初デートか。よくよく考えてみたらヤバいな。


 大丈夫だろうか、ちゃんと皆川さんをエスコートできるのだろうか。


 そういえば、デートするお店ってどうやって決めればいいのだろう。皆んなはどうやってお店選びをしているんだろう。今度小林に聞いて……いや、無理だな。アイツも僕と同じく女っ気のない人生だし。聞くだけ無駄か。


 と、そのとき。僕のスマートフォンの着信音が夜の静寂の中、遠慮気味の音量で鳴った。画面には「瀬谷せやみなみ」と表示されていた。久しぶりだな、瀬谷ちゃんか。


「もしもし、瀬谷ちゃん?」


 もう住宅街の中に入ってしまったので、僕は若干声のトーンを抑えつつ電話に出る。相変わらずの、飴玉みたいなロリロリボイスが聴こえてきた。


『久しぶりやんね、響っち。元気しとるー?』


 元気な関西弁が、秋の乾いた空気と混ざり合う。


 瀬谷ちゃんと僕は、同じ編集部で切磋琢磨していた仲間なのだ。年は二十代半ばなのだが、声だけでなく見た目も幼い、年齢不詳の女の子。


 ちなみに瀬谷ちゃんは腐女子だと先に伝えておこう。ガチの腐女子。腐女子の中の腐女子。僕が在籍していた編プロはいわゆるBL系の漫画編集も行っていた。主にそれらのジャンルの編集を担当していた。


 電話で作家さんと打ち合わせをしていた時の瀬谷ちゃんの顔は今でも忘れない。熱意に溢れ、作家さんと喧嘩のような物言いで意見を叩き合わせ、一切の妥協を許さない。それが瀬谷みなみという一人の女の子だ。


「うーん、元気かと問われれば微妙だけど、なんとか仕事頑張ってるよ。でも珍しいね、瀬谷ちゃんから電話くれるなんて。なんかあった?」


『そやねん、なんかあったねん。実はウチな、編集部辞めることになってん』


「え!? 瀬谷ちゃん辞めちゃうの!? どうして? あの会社、居心地だけはいいじゃん。瀬谷ちゃんも働きやすそうにしてたじゃん」


『うん、そうなんやけどな。でもウチ、こっそり転職活動しててん。それで版元から内定をもらったんよ」


「は、版元!?」


 版元というのは、端的に言うと出版社のことだ。つまり、編プロはあくまで版元――出版社の下請けということになる。例外はあるにしても。


『そやねん。駄目元で応募したんやけどな、受かってもうて。今の所も居心地はいいかもしれへんけど、ほら、基本給は安いんやんか?』


 確かに、僕や瀬谷ちゃんがいた編プロは薄給だった。だけど、それでも働く環境はしっかりと整っていて離職率も非常に低い職場だったし、自分手掛けた単行本の売れ行きが良ければ、それはダイレクトにボーナスに反映されていた。実力主義、ということだ。

だから僕は、瀬谷ちゃんはずっとあの会社で働くものだと思っていた。なのでビックリである。


「内定をもらったって、ちなみにどこ?」


『それがな、暁書館なんや』


「あ、暁書館!!? 超大手じゃん!!」


 暁書館。少女漫画を主軸にしている出版社。はっきり言って超大手。そして名門。ヒット作をバンバン生み出している。


 そこに瀬谷ちゃんが転職だって? 一体何が起きた。枕か。枕営業でもしたのか瀬谷ちゃん。


『枕なんてしてへんわ! 失礼やなあ響っち。なんていうか、ウチの実力? まあ手持ちの作家さんも結構多かったしな。即戦力として見てくれたみたいなんや』


「そっかあ、おめでとう瀬谷ちゃん。もしかしたら人生が一変するかもね」


『大げさやなあ、響っち。でも、ありがとう。ウチ頑張るわ』


 瀬谷ちゃん、頑張ってるな。それに比べて、僕はどうだ。編プロを辞めてから、人生ダメな方向へ突っ走っている気がする。本当に、駄目な方向へ。早く軌道修正しなければ。皆川さんとのデートに浮かれている場合ではない。


『……なあ、響っち』


 少しだけ、瀬谷ちゃんの声のトーンが沈んだ。


『響っちはもう戻らへんの? 漫画編集に』


 その一言が、僕の気分を重くさせた。そう、瀬谷ちゃんは知っている。僕が編プロを、漫画編集を辞めた理由を。


「……戻らない」


『なんでや? まだ『あのこと』を気にしてるんか? あれは別に響っちが悪いわけやないやん? 気にすることなんかあらへんて』


「それじゃ駄目なんだよ。僕なりのケジメだから」


『じゃあ、もうケジメはしっかりつけたやん? 漫画編集、今でも好きなんやろ? 戻りいや。戻って来ぃや、またこの業界に』


「もう、戻れないよ。ごめん瀬谷ちゃん、電話切るね」


『あ、ちょ、響っち? まだ電話切らんとい――』


 僕は無視して通話終了のボタンを押した。瀬谷ちゃんの言葉が耳に残る。今でも漫画編集が好きかって? 当たり前だ。僕にとっての天職だったんだ。でも駄目なんだよ、好きなだけじゃ駄目なんだ。


 好きだからこそ。漫画編集が好きだからこそ。僕はもう、業界に戻ることはしないんだよ。


* * *


「あ、響さん! お帰りなさい!」


「え!? 白雪さん!? こんなに肌寒いのに玄関の前で……て、そうか鍵か! ごめん、鍵のことすっかり忘れてた」


 アパートに帰ると、玄関の前でしゃがみ込む人影が見えた時はちょっと驚いた。不審者じゃないかと思った。まあ、結局白雪さんだったわけだけれど。


 よくよく考えると、気遣いができていなかった。白雪さんに鍵を渡すのをすっかり忘れていた。申し訳ないことをしてしまった。

なのに白雪さんは嫌な顔などひとつせず、文句も言わず、とびきりの笑顔で出迎えてくれた。大きな鍋を両手に持って。さすがに罪悪感を覚えてしまう。


 こんなにも肌寒い秋の夜に、女の子を長い間待たせてしまうなんて。僕はなんてダメなやつなんだ。


 ちなみに今日の白雪さんは制服姿ではなく、スキニーデニムのパンツにマウンテンパーカーという今どき女子の私服姿だった。私服姿もやっぱり可愛い。


「ごめん、白雪さん。昨日はいつの間にか寝ちゃって、鍵のことを話すのすっかり忘れてた。だいぶ待たせちゃったでしょ?」


「いえいえ大丈夫です。あ、カレー。先に家で作っておきましたよ。お仕事が終わってお腹空いてるだろうからすぐに食べられるようにと思って。お米は炊飯器のお急ぎですぐに炊きますから。……て、響さん? なんか元気ないように見えますけど、何かありました?」


 結構鋭いな。瀬谷ちゃんの話を聞いていたら、昔のことを思い出して少しダウナー的になってしまっていた。


「いや、大丈夫。仕事でちょっと疲れただけだから」


「……だったらいいんですけど。もし何か悩み事があったらなんでも相談してくださいね? 誰かに話すだけでも楽になりますから」


 心の底から心配そうに、僕にそう言葉をかけてくれた。女子高生に心配かけてしまうなんて、最低な男だな。でも駄目だ、完全に気分が沈んでいる。


「……カレー、嬉しくないですか?」


「ううん、そうじゃないんだ。大丈夫」


「もしかして私、来ないほうが良かったですか? 迷惑かけちゃってますか?」


 白雪さんは申し訳なさそうに、しょぼんと俯いてしまった。そんなことはない。今の僕には、君のような存在はとてもありがたいんだ。こんなダメな自分を必要としてくれる人がいる。それが、僕には嬉しくて仕方がないんだ。


 でも、それを言葉にするがちょっと恥ずかしくて。だから僕はリュックのポケットを開けて、中からスペアの鍵を取り出し、それを彼女に手渡す。


「これ、家の合鍵。受け取ってもらえるかな」


 しょぼんとしていた白雪さんはそれを見て嬉しそうに、顔いっぱいに花を咲かせた。その笑顔を見ていると、不思議と元気が戻ってきた。


「合鍵、すごく嬉しいです! でもいいんですか? 私が預かっちゃって」


「いいんだよ、料理とか色々やってもらうんだから。だから受け取って。それはそうと、白雪さんの顔を見たらお腹空いてきちゃったよ。早く中に入ろう」


「ありがとうございます! では合鍵、お借りします! あ、すぐに晩ご飯の用意しますからね。私のカレー、すっごく美味しいんですよ。自信作です。美味しすぎて、食べたらすぐに元気になっちゃいますよー、なんてね。えへっ」


* * *


 白雪さんが作ってくれたお手製のカレー。小エビやイカやアサリの入ったシーフードカレーだったのだけれど、めちゃくちゃ美味しかった。美味しくて、美味しすぎて、食べるごとに僕の食欲は加速していき、たまらずおかわりをしまくってしまった。


「ごちそうさまでした」


「いえいえ、お粗末様でした」


「お世辞抜きで、めちゃくちゃ美味しかったよ。白雪さんってほんと料理上手なんだね。もしや天才では?」


「えへへ、ありがとうございます。でも、そんなに褒めても何も出ませんよ?」


 とか言いながら、白雪さんは褒められたことがよほど嬉しかったのか、「明日のご飯は何にしようかなっ」と、すっかりご機嫌。鼻歌を歌うようにして次の献立を考え始めた。

別に僕としては二日連続でカレーでも問題ないんだけど、しかし『シェフ白雪』としては同じメニューは避けたいらしかった。


「決めました! 明日は親子丼にしますね。響さん、それでいいですか?」


「もちろん! 白雪さんが作ってくれるものだったら、僕は何でも美味しく食べられるよ。親子丼も大好物だし」


「良かったー。私、親子丼も得意なんです。じゃあ明日はお預かりしてる合鍵で先にお家に入らせてもらって、台所使わせてもらいますね」


「ありがとう、本当に助かるよ。助かるし、嬉しすぎる」


 ちなみに食費に関して。僕は先日、白雪さんに一ヶ月分として三万円を渡しておいた。さすがにお小遣いでやりくりしている高校生に食費の負担をかけるわけにはいかない。交換条件とはいえ、僕のために作ってくれているわけだし。


 それに、明日も仕事を終えて家に帰っても一人じゃない。白雪さんが僕の帰りを待ってくれている。それは僕にとって何よりも代え難いこと。


『ただいま』と言って『おかえりなさい』と言葉を返してもらえる。荒みきった僕にとって、それはこれ以上ない程の精神安定剤なんだ。


* * *


「さて、ご飯も食べ終わりましたし、今日もネームの指導よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げる白雪さんだけれど、いやいや、それは僕の方だよ。


 ネームを読んで問題点を見つけ、その解消法を説明する。そんなことはお茶の子さいさいである。毎晩料理を作ってくれる白雪さんの方がずっと大変なはずだ。


「じゃあ早速見せてもらおうかな。メモの準備とかは大丈夫?」


「はい、大丈夫です! えーと、こちらなんですけど」


 言って、白雪さんはネームを僕に預けてくれた。昨日教えたことがどこまで反映されているのか、僕としてもとても楽しみだ。まあ、そんな簡単に上達することができたら誰も苦労しないんだけどね。


 しかし、一ページ。たった一ページ目を見た瞬間、僕は感じた。心底驚いた。一体、彼女の中で何が起きたんだ!?


「……白雪さん、ちょっといいかな?」


「あ、はい、大丈夫ですけど……も、もしかして一ページ目からめちゃくちゃですか? 教えてもらったことを忠実に守って描いたんですけど」


 忠実に守って、描いた。しかし、そんな簡単に問題点が解消されるわけがない。でも、明らかに違う。昨日見せてもらったラフとは。


 まるで別人が描いたようなラフじゃないか。


「いや、めちゃくちゃなんかじゃない。ごめん、ちょっと集中するね」


「は、はい」


 それから僕は全てを確認しながら、コマを頭の中で分解しながら読み進めた。


 正直、ビックリした。僕が指摘した箇所、そこの問題点が消えている。比べ物にならない程、ちゃんと『漫画』になっている。


 昨日だぞ? 昨日教えたばかりなのに、ここまで変わるだなんて。以前、ファミリーレストランで教えた時はほとんど変わらなかったのに。


「ねえ、白雪さん? さっき『教えてもらったことを忠実に守って描いた』と言っていたけど、本当にそれだけ? 何か他に漫画の描き方について勉強したとか?」


「うーん、特にはないですね。あ、でも。大好きな漫画家さんの作品を読み返して、こんなコマ割りにしたいなあと思って真似してみたかな?」


 それだ。それしか考えられない。


 今まで白雪さんはあくまで『読者目線』で漫画を読み、それを真似しようと、吸収しようと思っていた。だけれど昨日、僕は途中で寝落ちしてしまったけれど、少なくとも漫画の構造やコマ割りの基礎を教えた。


 それにより、白雪さんは読者目線ではなく、『作家目線』で読むようになった。読めるようになった。これまでもコマ割りを含め、漫画の作り方を真似しようと読んでいたはず。でも、読者目線で読んだところでたかが知れている。


 だけども、僕が教えた漫画作りの基礎を彼女なりにようやく理解することができた。その上で真似をした。恐らくだけれど、コマのひとつひとつを作家目線で真似ることで、それを吸収することができた。たぶんそれが答えだ。


 別の言葉を使うならば、『気付き』。


「ど、どうでしたでしょうか……」


 ちょっと不安げな顔をして、僕の言葉を待っている。うん、早く答えてあげよう。まだ確信はないけれど、彼女は褒められることで伸びるタイプだ。


「うん、すごく良くなってる。僕が教えたことをしっかり理解して、しかも自分なりに考えながら描いたことが伝わってきた。すごいよ、白雪さん」


「良く、なってる――」


 元々大きな目をより大きくして、少し信じられないといった様子で驚いていた。だけど、ふつふつと湧き上がってきたのだろう。

褒められた喜びが。


「やったー!! やりました! 響さんに初めて褒めてもらえた! 嬉しい! 嬉しいです! 頑張った甲斐がありました!」


 勢いよく立ち上がり、両手を掲げてバンザイのポーズ。喜びの感情をストレートに表現した。喜びに満ち溢れた笑顔を見せながら。


「本当に、本当に良くなってますか!? 漫画らしくなってますか!?」


「うん、本当だよ。まさかここまで一気に伸びるとはね。ビックリだよ」


「本当に嬉しいです! 全部、響さんのおかげです!」


 違う。僕のおかげなんかではない。僕はあくまでキッカケにすぎず、白雪さん自身でひとつの壁を超えたんだ。


 もしかしたら、僕はとんでもない才能の塊を持った子を相手に漫画について教えているのではないか?


 だったら僕はもっと、今まで以上に白雪さんに対して真剣に、魂を込めて、これからも教えていこう。いや、教えていくべきだ。


 白雪さんは絶対に伸びる。僕が思っている以上に伸び、成長していく。だから僕も白雪さんに負けないくらいの熱意を持って教えていく。


 もう二度と同じ過ちは繰り返さない。


 白雪さんの今回のラフを見て、よくよく分かった。この子は元々、漫画を描き始めて一ヶ月やそこらしか経っていなかった。だから以前、ファミリーレストランで教えたことがラフに反映されていなかったのは理解するのに少しだけ時間がかかっただけだ。


 だけど、一度理解さえしてしまえば、僕が教えたことを忠実に、いや、それ以上に、教えたことを昇華させて上達することができる。


 もしかしたら、今の白雪さんなら出来るかもしれない。ひとつ試してみよう。もうワンステップ、レベルを上げよう。


「ねえ白雪さん。そだち充先生の漫画って読んだことあるかな?」


「そだち充先生ですか? 確か少年誌で連載されている漫画家さんですよね? 有名な方なのでお名前は聞いたことがあるんですけど、作品はまだ読んだことがなくて」


 まあ、そうだろうな。たぶん白雪さんは少女漫画にどっぷりハマって、少年誌までは手が回らなかったに違いない。


「じゃあ、後で先生の単行本を全巻貸すね。ちょっと『間』について教えておきたいことがあってさ。そだち充先生はその『間』の使い方に関して群を抜いているんだ」


 僕の言葉に小首を傾げ、「間ですか?」と疑問を口にした。うん、言葉でも説明は一応するけれど、自分自身で掴むことができるかテストをしよう。


「そう、『間』だね。今回の説明は簡単に済ませるよ。メリハリと言えば良いのかな。セリフのないただの背景だったり、空だったり、キャラの背中だったり。そういった『間』を挟んでみて。気を付けてほしいのは、挟むべき場所。読者さんに印象をより強く残したいところだけにして。絶対に挟みまくったりしないで。ただの無駄ゴマになってしまう可能性がある。だけど使いこなせるようになれば漫画の印象を強めることができるんだ。だから教えておきたくて」


「あ、なるほどー」


 少年漫画も少女漫画も、そこは変わらない。もしこの手法を使いこなせるようになったら、彼女はまた飛躍的に伸びることが出来る。可能性を信じよう。


 そして僕は教えた。伝授した。でも、これ以上は説明はしない。自分自身で気付かせたい。


 だから、後は白雪さんの作家としての能力次第だ。

『第4回テノコン総合特別賞受賞作品』漫画家になりたい白雪さんと僕

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