第41話 「スイッチ」
「――ごめん!」
今の自分の状況に混乱する夏実の耳に、そんな声が飛び込んできた。
「い、いきなりすぎたよな! 改めて付き合いだしたっていったってさ……」
笑う京輔の顔を見て、夏実は気づく。
――遠慮されている、と。
(今までちゃんと、あたしが思ってることを言わなかったから……嫌だったんだ、って思ってるんだよね)
このまま何も言わなかったら、また気まずいままの時間が過ぎる。
そしてまた――すれ違ったまま、帰ってしまう。
(そんなの、嫌だ……!)
自身を奮い立たせるように、夏実は勢いよく首を振った。
「ち、違うの!」
「?」
「キスするのが嫌だったとか、そうじゃないの!」
「!」
一瞬目を見開いた京輔の表情から、申し訳なさそうな笑みが消えた。
代わりに――柔らかな微笑みに変わる。
自分の言葉を、ちゃんと聞こうとしてくれている――夏実はそう感じた。
「その……き、キスするのが嫌だったわけじゃなくて……」
「うん」
「い、今まで……したことあったのに……はじめてじゃないのに……う、うまくできなくて……それで……」
「うん」
「……げ、幻滅されたら、どうしようって……思って」
歯切れの悪い言い方しかできない自分に苛立ちながらも、夏実はなんとか言い切った。
「そっか」
京輔が、ちゃんと聞こうとしてくれたおかげで。
「でも、今うまくできなかったのって……べつに夏実だけのせいじゃないけどね。俺だってそうじゃん」
さらに、平然とそう言ってのける。
あれだけ悩んでいたことが――口にするだけで、解(と)けて消えていく。
その事実に、夏実は思わずぽかんとした。
(――こんな、簡単なことだったんだ)
胸にじんわり広がる、あたたかな気持ち。
それを噛み締めていた夏実だったが――
「――嫌なわけじゃ、なかったんだよね」
真剣な眼差しを夏実に向け、低く呟かされた京輔の声は――確信に満ちていた。
何を、確信したのか。
「っ」
夏実は意味を理解する前に――その声と顔つきで、感じ取った。
京輔の言葉に応えるように、夏実は小さく頷く。
それと同時に京輔の気配が近づき――唇が、今度はすんなりと重なった。
「う、うまくできなくて……それで……げ、幻滅されたら、どうしようって……思って」
びくびくしながら、それでいて恥ずかしそうにそう口にした夏実が。
「んっ……」
今自分の腕の中で、唇を重ねながら、熱い息を漏らしている。
その事実に、京輔は言葉にできないものが溢れているのを感じていた。
控えめな言動も。
恥ずかしそうな顔つきも。
自分のことを考えてくれていたから。
(ずっと……俺のこと、好きでいてくれてたんだ)
「っ……ん……」
京輔がそんなことを思ううちに、優しい口付けが、貪るようなものに変化していった。
それでもどこか、まだ京輔は冷静さが残っていた。
「んんぅ……」
少し激しくなった口付けに、夏実が苦しそうな声を漏らす。
なのに逃げるようにしないところが嬉しくて――
(でも、さすがにかわいそうだよな……)
そう思い、一度唇を離す心の余裕はあった。
「苦しかった? ごめ――」
――あった、はずだった。
「はっ……はぁ……はぁ……」
荒い息遣い。
上気して赤い頬。
京輔を見つめる――潤んだ瞳。
いつかのときは、本当に泣き出してしまった夏実。
だが今は――違う。
あれだけ慎重になりすぎて、すれ違ってしまったことが信じられないくらいに――自分をまっすぐ見つめる夏実の顔つきが、何を表しているのか理解できた。
誘われるように――京輔の顔が、夏実の首筋に吸い寄せられた。
「っ……」
息を呑みながら、唇が首筋に落ちる。
「ぁっ」
小さい声が上がると同時に、夏実の身体がびくりと反応する。
(……いい匂い)
鼻をくすぐる、夏実の匂い。
シャンプーの匂いと、彼女自身から漂う匂いが混ざって――クラクラする。
すん、と息を吸い。
ごく自然な動きで――舌が、首筋を撫でた。
「ぁんっ――!」
甘く、鳴いた。
驚きや戸惑いとは明らかに違う――色の混ざった声。
「――っ」
カチリ、と。
京輔の中にある何かが――切り替わる音がした。
(なっ……に、今の声!)
一瞬、夏実はその声が自分のものだと認識できなかった。
だがすぐに。
「んっ……あっ……ぁっ……!」
京輔が首筋に吸い付く度に、同じような声を上げている自分に気づく。
言うなれば、甘い声とでもいうのだろうか。
ひどく自分にとっては耳(みみ)障(ざわ)りに聞こえるのに、その気持ちに反して身体が熱を持っていくことのアンバランスさ。
その感覚を持て余し、不安に思いながらも――やめてほしいと強く思えない。
それがまた、夏実を不安にさせる。
「あっ……んんっ……ふぁっ……!」
(嫌なんじゃない……やめてほしいわけじゃない……でもこわいっ)
思う間も、京輔の唇は止まらない。
しっかり夏実を抱き締め、首筋から首元へ唇を落としていく。
夢中な動きは、徐々に下へ。
京輔の唇と、抱き締める腕や身体の熱に絡め取られ、身動き一つできない。
這い上がってくる、まだしっかりとは理解していない感覚に呑まれまいと必死だった。
(あたし、どうしたらいいの――!?)
次回へつづく。