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アラームの無機質な音が耳に刺さる
眠い目を開けようとしつつ、手だけでスマホを探す
ひやりとした硬い板に当たった指先をもう少し伸ばし、スマホをつかんだ
電源をつけると、簡素なロック画面に浮かぶ数字
8月15日の午前6時36分
スマホの光で、目がさえてきた
自分にかかっていた薄い毛布を
起きるぞという意思を込めて蹴とばして起き上がる
寝起きの悪い自分はこうしても起きないときがあるのだから困ったものだ
這うようにして寝床を出る
まだ寝ていたいが、盆も終わったことで、部活動は既に始まっている
床に立つと、ひんやりとした冷たさが足裏から伝わってきた
そのまま階段を降り、両親がいるリビングへ
この間まであんなに楽しそうに休みを謳歌していたのに
もういつも通りの日常を再開させている二人に
まだまだ惰眠をむさぼっていたい自分は畏敬の念を抱かずにはいられない
コーヒーと何かお肉が焼ける香りと音がする
リビングに入ると思い描いていた通り、父がニュースを見ながらコーヒーをすすり
母が朝ご飯を作っていてくれた
挨拶を交わして席に着く
テレビは朝のニュース。
今は星座占いのコーナーか
『今日の一位はおとめ座!運命の人に出会えるかも!?ラッキーアイテムは蛇柄。今日も一日頑張っていきましょ~!』
テレビの向こうのニュースキャスターは、朝にもかかわらずフルメイクで、明るく話している
蛇柄ってなんだ蛇柄って
なんて愚痴を吐きながらも、気分は少し上がった
きっと最下位なら信じてないしとか吐き捨てるところだが
幸い自分はおとめ座だ。今日の一位だ。
今日はなんだかいい日になりそうな気がするのは、さすがにわかりやすすぎるか?
「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」
そう言って立ち上がった父
「行ってらっしゃい。気を付けて」
それだけ言っておくと、少し嬉しそうに父は玄関に出ていった
わかりやすい父だ
朝ご飯を終えると、二階に上がって自室に戻った
申し訳程度にハンガーにかけてあったシャツをひっつかみ
鏡の前に立った
少し明るめの耳にかかる程度の長さの髪
大きくも小さくもない目
特に変わったパーツもなければ、端整ともいえない配置
モテもしなければ嫌われもしない、いわゆるフツメン
中学の頃の体操服、もといパジャマを脱いで
27
ユエツ
1
勢いよく手に持っていたシャツを羽織る
ばさりと布が風ではためく音がした
この柔らかですぐに消える音が好きで、いつもやってしまう
小さなボタンを留める
遅刻しかけの時はイライラするボタンも今は別に嫌いではない
時と場合によって好きか嫌いかなんて変わるもの
着替えを終えると、黒光りする小ぶりなケースを鞄に入れる
財布とか、スマホとかいろいろなものを入れていくと、意外と鞄って重たくなるものだ
勢いをつけて鞄を担いで、そのまま家を出た
晴れやかに澄み渡った青い空に
真っ白な入道雲が、まるでビルのようにそびえたっている
黄色い日の光がじりじりと照り付け
肌を焼いた
部活に向かうべくいつも通りの通学路を風を切って走り抜ける
延々と続くアスファルトの地面
横に流れていく柔らかな緑の木々
カラカラとギアがから回る音が、だれもいない道に響いている
少し人通りが多くなると、すぐに駅が見えた
まだ推進力が残る自転車を降りて
数台しか止まっていないさみしい駐輪場に自転車を押し込んだ
少し熱いサビた鍵を掴んで閉める
ポケットにそのまま鍵を入れると、少し残る異物感とぬくもり
前カゴから鞄を引っ張り出す
柔らかとはいいがたい日差しの中
ちょっと歩いただけで汗をかいてしまうような酷暑だと思う
駅の改札前にくると、日陰というだけで涼しい
鞄から定期を取り出して、当てて入った
機械音が鳴る
最初は恐る恐るだったけど
今となっては慣れたもの
前から現れたくたくたスーツのリーマンを横目に流す
オツカレサマデス。
滞りになく現れた電車に乗って、イヤホンから流れる音楽に耳を傾ける
リズミカルに揺れる車内に揺られて数駅
少し人通りが多い駅に出る
抱えていたカバンを肩にかけるとずしりとした重みが少しの痛みを伴ってのしかかった
ドアをくぐると肌にまとわりつく暑さ
息苦しささえ感じてしまう
鞄を担ぎなおし、学校へと向かった
文化部とはいえ、さすがに応援もかねて外で練習となると汗がひどい
鞄から汗拭きシートを取り出す
首や胸元
気になるところを拭いているとふわりとシトラスの香りが鼻腔をくすぐった
母が買ってきてくれたこれは
確かにさわやかだが、少し匂いがくどい
あの音は好きだっただの
あの音は気に食わなかっただの
とりとめのないことが頭に浮かんでは消える
部室に戻って涼むと、少しパリッとした気分
友達を二人ほど誘って帰宅を始めた
外に出るとセミの声がやけに耳に残る
しょうもない会話を続けてアスファルトを歩いていく
足から硬い地面をたたく緩い衝撃が体に少しの居心地の悪さと疲労感をもたらした
夕暮れの中でも目立つまぶしい自動ドアをくぐると
自分の身にまとわりつくような湿った暑さが吹き飛び
汗が凍り付くように冷えた空気が頬をなでる
その場にいた全員が涼しさにため息をついた
名前は知らないけど、聞いたことはある気がするような
ありきたりな店内BGMを頭にも入れず
吸い寄せられるようにアイスがおいてある冷凍庫の前に立つ
アイスを食べる自分を想像しながら
今自分が最も食べたいものを吟味する
少し高めの濃厚なアイスか、それともさっぱりした氷系のアイスか
クレープアイスとか、少し変わり種でもいいかもしれない
でもやっぱり手に取るのは、いつもの安価なラクトアイス
レジ横の商品を眺めながらも頼む勇気はない
レシートもレジ袋も断って、アイスをそのままつかんで外に出た
穏やかな夕暮れ
少し早い
ヒグラシの声がした
アラームの無機質な音が耳に刺さる
眠い目を開けようとしつつ、手だけでスマホを探す
ひやりとした硬い板に当たった指先をもう少し伸ばし、スマホをつかんだ
電源をつけると、簡素なロック画面に浮かぶ数字
8月15日の午前6時36分
スマホの光と違和感で、目がさえてきた
自分にかかっていた薄い毛布を汗で剥いて起き上がった
寝汚い自分をたたき起こすためではない
違和感を整理するためだ
這うようにして寝床を出る
8月15日
たしか、昨日もそうだった
いや、あれは夢だったのかもしれない
でもそれにしては、あまりにもリアルすぎる
まるで本当に昨日のことの様だったんだ
床に立つと、ひんやりとした冷たさが足裏から伝わってきた
そのまま階段を降り、両親がいるリビングへ
自分がおかしいのか?
この景色に見覚えがある自分がおかしいのか?
コーヒーと何かお肉が焼ける香りと音がする
リビングに入ると思い描いていた通り、父がニュースを見ながらコーヒーをすすり
母が朝ご飯を作っていてくれた
挨拶を交わして席に着く
テレビは朝のニュース。
今は星座占いのコーナー
『今日の一位はおとめ座!運命の人に出会えるかも!?ラッキーアイテムは蛇柄。今日も一日頑張っていきましょ~!』
テレビの向こうのニュースキャスターは、朝にもかかわらずフルメイクで、明るく話している
まったく同じだ
同じニュースキャスターが、同じ星座を一位と呼び、同じラッキーアイテムを勧め、同じセリフで締めくくった
「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」
そう言って立ち上がった父
ここも同じ
「……」
何も答えられない
唖然とする自分を、父は心配しながらも時間ぴったりに去っていった
昨日と同じメニューの朝ご飯を終えると、二階に上がって自室に戻る
申し訳程度にハンガーにかけてあったシャツをつかむ
中学の頃の体操服、もといパジャマを脱いで勢いよく羽織る
ばさりと布が風ではためく音がした
この柔らかですぐに消える音が好きで、いつもやってしまう
小さなボタンを留める
遅刻しかけの時はイライラするボタンも今は別に嫌いではない
今はこれくらい落ち着いて、いつもどおりの行動をとった方がいい
そう本能が告げていた
もしかしたら、あれは勘違いだったのかもしれない
もしかしたら、予知夢とかそういう力かも?
さすがにおかしいか
着替え終えると、黒光りする小ぶりなケースを鞄に入れる
鞄の重さは気にならない
それよりこの鮮明な夢が気になってしょうがない
重さの感覚まで同じとは
勢いをつけて鞄を担いで家を出た
晴れやかに澄み渡った青い空に
真っ白な入道雲が、まるでビルのようにそびえたっている
何も変わっていない、あの夢のままだ
あれを夢だと仮定するのならばの話だが
黄色い日の光がじりじりと照り付け
肌を焼いた
昨日は気持ちよかったかもしれないが
今となっては嘲笑われているような気さえする
部活に向かうべくいつも通りの通学路を風を切って走り抜ける
隣を通っていく人も夢と全く同じ服で、髪型
延々と続くアスファルトの地面
横に流れていく柔らかな緑の木々
カラカラとギアがから回る音が、だれもいない道に響いている
少し人通りが多くなると、すぐに駅が見えた
まだ推進力が残る自転車を降りて
数台しか止まっていないさみしい駐輪場に自転車を押し込んだ
少し熱いサビた鍵を掴んで閉める
ポケットにそのまま鍵を入れると、少し残る異物感とぬくもり
鍵が収まる場所も同じ
さすがに確証はないが、そんな感じがしたんだ
前かごから鞄を引っ張り出す
柔らかとはいいがたい日差しの中
酷暑だろうがなんだっていい、それ以上の異変が自分の身に降りかかっている
気がするとか、そういう次元じゃない
駅の改札前にくると、すこしひやっとした空気が流れてくる
鞄から定期を取り出して、当てて入った
機械音が鳴る
前からくる人、くたくたのリーマン
ああ、変わってない
滞りになく現れた電車に乗る
これはいつも通り
ささくれ立っていた心が少し落ち着いたような気がした
リズミカルに揺れる車内に揺られて数駅
降りる人も、乗る人も、大体おんなじ
この同一感を無視できたら、どれだけ気が楽だろうか
少し人通りが多い駅に出る
抱えていたカバンを肩にかけるとずしりとした重みが少しの痛みを伴ってのしかかった
ドアをくぐると肌にまとわりつく暑さ
息苦しささえ感じてしまう
鞄を担ぎなおし、気分も入れ替える
いままでのはきっと勘違いだったんだ
朝なんて、いつもほぼ同じだったじゃないか
そう自分を無理に納得させて学校へと向かった
顧問に、今日は野球部の応援もかねて外で練習だ
なんて言われた
昨日と一緒
二日続けてメニューがかぶることなんてあったか?
誰も何も言及しない
おかしいと思わないのか?
…そういえば、16日って、休みだったはず
背筋に暑さの汗とは違う
嫌な冷たさを持ったものが伝った
今日は、昨日と同じ、15日だ
あれから、あんまり部活の時の記憶はない
ちょっと怒られていた気はする
一人で帰宅の準備を進めていると
友人が二人、話しかけてきた
”コンビニに寄ろう”と、
こちらが誘わなければいいとどこかで思い込んでいた
でも、今日
という運命は、変えられないんだ
外に出るとセミの声が昨日よりも大きく聞こえる
しょうもない会話を続けてアスファルトを歩いていく友達の背中を一歩後ろで眺めていた
少しでも違う景色じゃないと、おかしくなりそうだったから
でも、気が付いたら、昨日と全く同じ景色を見ている
聞こえてくるトークも同じだ。
何もかもに聞き覚えがある。
アスファルトのぼこぼことした地面を踏みしめながら
強烈な違和感に身を揉まれていた
夕暮れの中でも目立つまぶしい自動ドアをくぐると
自分の身にまとわりつくような湿った暑さが吹き飛び
汗が凍り付くように冷えた空気が頬をなでる
その場にいた全員が涼しさにため息をついた
友達の他愛のない会話をBGMに頭の中はグルグルと回り続ける
アイスの棚のひんやりとした感覚で少し目が覚めた
手に取るのは、いつもの安価なラクトアイス
今はアイスごときに思考をさかれたくない
レジを終わらせる
手にはレシートが握られていた
断るの、忘れてた
穏やかな夕暮れ
少し早い
ヒグラシの声が、した
アラームの無機質な音が耳に飛び込んだ瞬間
勢いよく起き上がりスマホをひっつかんだ
8月15日の午前6時36分
「…嘘…だろ…?」
繰り返す
繰り返す
何度目かもう忘れてしまった
いつも通りホームで電車を待っていると、反対側に別の電車が現れたのに気が付いた
そうだ、なんでいつもバカ真面目に部活になんて言っていたんだろうか
ふらりと吸い込まれるようにしてその電車に乗り込む
初めて部活をサボってしまった
揺れる電車をたらたらと前まで歩いている
人里離れた場所まで行くらしく、電車にあまり人はいない
右から朝日が差し込んでいる
周りの人からの視線が刺さるように感じるが
あまりに気にならなくなってきた
慣れって怖いな
一両目へのドアを開けたときだった
目を奪われたんだ
まるでとろけるように重力に従って垂れている長い白髪
触れたらはじけるんじゃないかと思うほどの透明感のある肌は
夏を過ごしているとは思えないほど白かった。
シミ一つない純白のワンピースも、彼女を引き立てている
そしてその真ん中に鎮座する、赤い瞳
その目と合った時
吸い込まれるようにそのそばに近づいてしまった
近づいてみるとますます白昼に溶けて消えてしまいそうな子だった
そんなことをした自分にも
特に気にしていなさそうな彼女の反応にも驚いたが
そんなことどうでもよくなるような言葉が
彼女の淡い唇から零れ落ちた
「…気づいてるんでしょ?繰り返していること」
涼しい車内から出ると一転、外は嫌になるほど蒸し暑かった
降りたのは人影すらないド田舎の駅
海がすぐ近くにあるのか、磯のにおいが鼻につく
ホームに置かれたささやかなベンチに座る
続くようにして、隣にさっきの少女が座った
僕よりも低い身長のせいで
さっきからつむじくらいしか見えていない
いつ見失ってしまってもおかしくないほどだ
だからといって、年下にも思えない
少しスピリチュアルな話になるが雰囲気というかオーラようなものを感じるんだ
歴戦の猛者みたいな、そんなオーラ
無言の時間がいたたまれなくなり
きょろきょろとしていると、まぶしい赤色をした自販機が目に入った
「あ、飲み物…買ってきますね…暑いんで…あは…」
そう言いながら挙動不審に立ち上がる
思ったより頼りない声が出てしまった
「…ありがとう」
少し拍を置いてから少女が答えた
よかった。まったくしゃべらないのかと思っていた。
立ち上がったはいいものの、彼女の好き嫌いがわからない
無難にコーラでもいいかもしれないが
炭酸が苦手だったらどうしよう
リンゴジュースは?
オレンジ派だったら申し訳ない…
紅茶とかは?
あのワンピースにこぼしてシミでもつけたら大変だ
迷い迷って
結局何の面白みもない500mlのお茶に落ち着いた
自分はコーラを適当に買い、彼女のもとに持っていく
お茶のペットボトルを手渡すと
少し不気味な予感がした
だが、特に気にせず自分はコーラのプルタブを開ける
「…それ、何?」
彼女が指さすのは僕のコーラ
「これ?ただのコーラだけど…飲む?」
彼女が小さくうなずくので差し出すと
小さく匂いを嗅いでから
ぺろりと、真っ赤な舌でコーラをなめるようにして口に入れた
すると、眼を見開いてその赤い缶を見つめる
もしかして気に入ったのか?
「これ…いる?」
そう聞くと少女はさっきよりも少し大きくうなずいた
しょうがないから自分は彼女に渡したお茶とコーラを交換する
にしても、まるで初めて飲んだみたいに飲むなと思った
それほど箱入りだったのか、それとも…
その真相は、赤い瞳の奥深くにいるせいでわからない
ちびちびとコーラの缶を傾ける少女
また会話がなくなってしまった
「えっと…繰り返しに気づいてるって…なんでわかったの…ですか?」
敬語にすればいいのかフランクに行けばいいのかよくわからなくて、変な語尾になってしまう
こういう時に誰とでも仲良くできる明るい性格がうらやましくなる
「目が…同じ…私と」
そう言って、僕の方をゆっくりと見やる少女
「疲れた、眼をしてる」
その目を見つめていると、なんだか宙にも浮けそうそうな気持ちだった
あれから少女とはほぼ毎日…いや、同じ日だけど、便宜上毎日といっておこう…
ともかく、毎日彼女と出かけていた
ある日は図書館に行ったり
ある日はデパートに繰り出したり
ある日は、出会ってすぐ降りた駅の海辺で散歩したり
もはや部活をサボる電車に乗ることに、何の躊躇もしなくなってしまった
彼女はあれから飲み物を買う時はコーラをせがむようになった
そして、僕のフルートの音色も
正直、幸せだった
楽しかったんだ。
今日は雑貨屋に来ていた
いろいろなものが雑然と置かれていて
どこかファンタジーチック
その中に一つの前に少女が立ち止まったことに気が付く
後ろからのぞき込むと
小さなテラリウムだった
テラリウムといっても、少し模型チックで、
エメラルドグリーンの池と、そこに流れ込む小さな滝
周りには申し訳程度の緑が植わっている
「ほしいの?」
そう問うても、少女は何も答えない
ただテラリウムを眺めている
そこには喜色も憂色もない
平坦な瞳だった
「いいよ、これで何か変わるかもしれないし」
もはやお決まりとなった文句
思ってもいないけど、僕が何かしたいと思った時によく使っている
「箱庭…」
そう少女がつぶやいた
相変わらず変わった子だなぁ
そんな変わり者に、心惹かれている自分も確かに存在する
少し上がっていた自分の口角が、すとんと落ちるのを自覚した
…少し、言葉にしちゃうのが怖くて
考えないようにしていた言葉
ついうっかり、ほんの不注意
たった一つの気のゆるみのせいで、口に出してしまった
「こんな時間が、永遠に続けばいいのに」
言ったね?
そんな声が聞こえた瞬間、目が覚めたような感覚さえした
はっと息を吞んで目の前の少女を見る
テラリウムを手に持ったままこちらを見る瞳はほの暗い
いつもは惹かれるその瞳にも、今は恐怖と懐疑心が芽生え始めた
「気づいちゃった?」
そう少女が口角だけをあげて、不気味に嗤った
刹那、その少女も、雑貨屋も、景色の何もかもが
風の前の塵のように吹き消された
目の前にただ広がるのは
白
目に痛いほどまぶしい白でも
狂気に陥りそうな純白でもない
ただ、何もない、白
どこを見ても、白、白、白
音の反響がない
壁も、天井も、床もないみたいだ
ふわふわと重量のない感覚に身を包まれ続ける
この空間が広いのかすらもわからない
自分の手の少し焼けた肌を見ると、少し落ち着く
ふと、音の反響がないはずのこの空間に
大きな、ヒールの音?
コツン、コツン
辺りを見渡すと、遠くの方に黒い影
遠すぎて、目視も大変だっていうのに、なんだかその黒い影と目があったような気がした
その瞬間、目の前に広がる赤
それが瞳の色だと気づくのには二拍ほどの時間を要した
目の前にいるのは、軍服のような黒い服に身を包んだ、あの儚い少女
「やっと気づいたかい?久しぶりだね、最後に会った時から…87年だったかな」
さっきとかけ離れた服装、そして流暢な喋り口
「驚いてるね。何でか知りたいかい?」
僕は声も出ずにただ小さくうなずいた
「そうかいそうかい、じゃあ説明してあげよう。」
そう嬉しそうに言ってにこやかに笑った少女
もう気にする方が疲れる
「君は…ウロボロスを知っているかい?」
ウロボロス、ずっと昔に何かしらの小説で呼んだことがある気がする
「自身の尾を噛んで輪になっている蛇や龍のことさ。古代の象徴の1つで、永遠とか完全とかを司っている」
頭の中で、容易に想像ができた
あのテレビの星座占いの蛇柄も、確か輪になっていたからだ
「永遠…不老不死…私が求めたのはそれだった。」
そう言って目をにぃっと細め
遠い過去を思い出すように明後日の方向を見た
「私は、約5000年前…といっても君が過ごしていた箱庭時点での年数だが…私は錬金術師だった。だからかな、永遠にあこがれたんだ。」
胸の前に手を置いて、自己紹介をするような仕草だ
けど、話のスケールはそんなものじゃない
「ユリウス暦で7月7日…つまり今のグレゴリオ暦…西暦といった方がいいか?…で8月15日、私はついにウロボロスと対面した」
なるほど、そこから彼女の時は止まり続けているのだと
そう自分の中で思ったが、違ったらしい
「ウロボロスの永遠は、実に面白いものだった。」
そう言って、懐から白い破片がたくさんついた首飾りのようなものを取り出した
「今までの私の死骸の頭蓋骨だ」
息を呑む
「ウロボロスは私に力を与えた。そう、古い体を脱ぎ捨て、新しい体に入り込む力を」
その演説は、決していい物じゃない
でも、目が離せない
比喩なんかじゃない、
本当に離せない
「動けなくて困っているのかい?大丈夫さ、じきに楽になる」
そう言って、端整な顔をぐにゃりと歪めて嗤う
「話を続けよう…。その力は素晴らしいものだった、だが、条件が一つだけあった。」
指先一つも動かせないこちらを見て
天に向けて人差し指を立てて言う
「体は、”箱庭”の空気に染まり切った物であること。」
艶やかな前髪が揺れ、真っ赤な瞳が、まるで狩人のように鈍く光った
すぐに手を下ろして、次はこちらに手のひらを向け、また演説を始める
手振りの勢いが外国人の様だ
いや、とんでもないヴィンテージではあるが、確かに外国人か
「あの世界は所詮箱庭だったんだよ」
そのあまりの言い草に
思わずふるえる唇から、目一杯の力を込めて皮肉る
「へぇ?じゃあなに?君はずっとボクを飼い殺しにしてたのか?赤ちゃんの時からずっと」
そういうと少女は少しきょとんとした顔で言い放った
「なんだ、気づいていなかったのかい?」
未だかつて、こんな軽い声が、恐ろしく感じたことなど、あっただろうか
「君は気づいていないだけで、あの8月15日を約800年近く繰り返していたんだよ?」
「…へ…?」
「僕が君を次の体だと決めたのは今から800年ほど前、そろそろこの体にいられるのも残り1000年程度ってなったから、
適当に健康的で若い体をピックアップして、箱庭に招待したんだ」
そう飄々と告げられる事実は
あまりにも重たすぎた
僕は、そんなにも、時を過ごしていたのか…?
頭が真っ白になってきた
呆然とした僕を、少女は…いや、あいつは見つめる
「君にすべてを明かしたのは、別に深い意味はない。ただの暇つぶし。」
これが年月
これが、永遠
格が、心が違う
「でも、二度だけとはいえ気づかれたのは初めてだな。気が緩んでいたのかも、次はもっとうまくやろう」
顎に手を当てて少し首を傾げるしぐさはごく普通だ
その普通さえも今は圧になってしまっている
「さあ、そろそろ時間だ。大丈夫。目が覚めたら、天国のはずさ。」
広い空間で、青年が立ち上がる
少し明るい髪色と、よくある目つきだった
真っ黒な軍服を身にまとい、しゃんとした背筋で立っていた
「さてと…」
帽子を被りその鍔を軽くなでるようにして手を下ろした
「次の体は、だれにしようか」
もしかしたら、今あなたが生きている”今日”も________。