狙うは鼻っ柱――なんて馬鹿な事はしない。
如何なオレと云えど、雌の身体に消えぬ傷を残すのは憚れる。
あくまでオレの偉大さを知らしめればいいのだ。
「シャアァッ!」
オレは爪を引っ込め、誰にも目視不可な速度でサクラの背後を取り、首筋にしがみついた。
“勝負有り”
オレは猫爪をサクラの喉元に押し付ける。
「オレの勝ちだな。大人しく降参するがいい。最初っから勝負にならんのだ……」
それは大人しく敗北を認めないと、喉元を掻き切ると言う意思表示の顕れ。
まあこれは単なる威嚇で、実際そんな事出来よう筈が無い。そんな事をしたら、喧嘩両成敗でオレだけが切腹だ。
局長とはいえ法度は絶対。猫道に背くあるまじき事――
「……何? これで勝ったつもりなの?」
絶体絶命な立場に在りながら、サクラの根拠の無い強がりにオレは驚いた。
この最中、サクラは少しも怯懦する素振りを見せない。いや、物分かりが悪いだけか。
少しだけ“痛み”を教えてやるか――と思った矢先の事だった。
「何ぃ!?」
オレの身体が重力に落下する。
サクラの奴は身を捻って、オレと共に倒れ込んだのだ。
「ぐおぁっ――!」
形勢逆転。今度はオレがサクラに抑え込まれる形となってしまった。
「どう? アンタは確かに速いけど、こうして密着してしまえば、体格に勝るアタシの方が有利よ」
下敷きになったオレをしっかりと押さえ付けて、意外なまでに冷静なサクラが囁いた。
オレは何と言う浅はかだったのだ。
コイツは餓鬼だが、クロのような猪突猛進の間抜けではない。
しっかりと冷静に、己の“利”を見極めていた。
「くっ――ぐぅ……あぁ!」
雌だと思って甘く見過ぎてしまった事を、オレはその圧迫感の中で後悔していた。
こうまで密着されれば、オーヴァーレブも意味を成さない。
このままでは体格とスタミナの差で、オレが負けかねない。
不敗を誇るオレの猫生に於いても、屈指の大ピンチ到来と言う訳だ。
さて――このピンチを切り抜けるには?
退けば押せ、押せば退けだ。
オレは超猫的な身のこなしで、するりと抜けようとするが――抜けない。
サクラの奴め、がっしりと押さえ込んでやがる。
「……参った?」
オレは耳を疑った。コイツは何を勝ち誇っていやがるのだ?
オレに敗北は有り得ない。敗北――即ち“死”だ。
敵前逃亡は猫道――不覚悟!
敗けを認める位なら死んだ方がマシだ。オレには誇り高き猫としてのプライドが在る。
「なっ――めんなぁぁ!!」
オレは咆哮と共に、ミオスタチン筋力全開放――
「えっ!?」
異変――それはマウントポジションを取っていたサクラにとっても、予想だにしない事態だったろう。
力づくで戒めを解き放ち、今度はサクラが逆のパターンへ。所謂『火事場の馬鹿力』って奴だ。
“形勢逆転”
再び模様は混沌となる。
「このぉ――っ!」
「シャアァ――ッ!」
揉み合い取っ組み合いの力相撲。
スマートではないが、密着状態ではこれ以外の戦法が無いのだ。
体格とスタミナで勝るサクラの優勢は否めないが、オレにも不敗神話を誇る意地が有る。
「――エッシャアアァァ!!」
オレは失われていく体力の最中、それでも負けじと己を鼓舞し続けていたのだ。
『――ってオイ! お前等何やってんだ!?』
肉弾戦の最中、不意に聴こえた声にオレは横目で確認してみる。
“ちっ……また面倒な奴が”
見ると煙草片手に、馬鹿みたいにあんぐりと口を開けたはずれ者が、オレ達の聖戦を見て立ち竦んでいた。
そう言えばコイツは食後の一服をする為に、一度部屋に戻るんだったな。
オレ達が闘っている場所は、その部屋前の通路だ。
『オイ止めろ! 仲良くしろよ……』
格好いい事を言っている気もするが、はずれ者はオレ達にビビって手出ししようとしない。
情けない奴だ。まあオレを止められるのは、女神を於いて他に居ない。
『まいったな……』
はずれ者は呑気に煙草を吸いながら、立ち往生した後――
『リョウを呼んで来るか……』
立ち去ろうと身を翻した。
まずいな……つまり決着まで、残された時間は後僅か。
「早くギブアップしなさいよ!? 御主人様が来ちゃうじゃない!」
「そりゃこっちの台詞だ!」
ごろごろと転がる中、御互いに分かってはいるが譲れない。
だがそろそろスタミナも切れてきた。それはサクラの奴も同じ。
「ハァハァ……」
「ヒュウ……ヒュウ……」
御互いに息切れで動悸が激しい。
先に切れた方が負け――と言う訳だ。
それにしても――何と言う不毛な闘いなのだ。
闘いとは雄の華――命のやり取り。これでは只の小競り合いではないか?
「もういいっ!」
「オレもなっ!」
同時にスタミナの切れたオレ達は、同時にその場へ倒れ込む。
結果引き分けだが、これ以上は不毛と判断。つまりノーコンテスト。オレの戦歴に些かの曇りも無い。
「ハァ……ハァ……。アンタそんな小さな身体で、何処にそんな力があんのよ……」
「それは誉め言葉か? 遺憾だがオレと互角に闘えたのは、お前が初めてだ。それだけは誇りに思っていい……」
世の中はまだまだ広い。
井の中の蛙、大海知らず――と言う事かサクラが。
「やっぱりアンタ馬鹿……」
「何とでも言え……」
もう御互いに一歩も動けない。反論反撃する力も惜しい。その為、自然と御互い寄り添う形となったのは遺憾だが、この状態では致し方ない。
「まあ……根性は認めよう。だがまだまだ技術は荒削りだ。これからはオレが“コツ”を教えていってやる」
中々見処が有りそうだから、オレはサクラの奴を“助勤”として認める事にした。
「冗談お断り。アタシは別に争いとか好きじゃない」
素直じゃない奴め――まあいい、今日の処はな。
『――あれ?』
女神が障子を開けて、オレ達の下にやって来た。何とか間に合ったか。
『シンちゃん何を見たの? 仲良さそうにしてるじゃないの』
『あれ? いやさっきまでは……』
目で見たものだけが事実だ。どちらも間違ってはいないが、ちょっと待て。
仲良さそうと言うのは訂正して貰おう。単に動けないだけなのだから。
『友達になれて良かったわね~ほし、サクラ』
そんな馬鹿げた事が有るかと思ったが、満面の笑みでオレ達の頭を撫でてくる女神を見たら、反論するのも憚れると言うもの。
仲良くも、ましてや犬と“友達”等、誇り高き孤高の猫であるオレに冗談ではないが、それなりに上手くやっていけそうな気がしたのもまた確か。
――とまあ、サクラとの喧嘩はこれ一度っきりよ。
何度も言うが、決して友達ではなかった。
それでもたまに口論相手としては、悪い相手ではなかったな。
御互い本音でぶつけ合えたのは、サクラ位のものだった――。
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