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**鬼堂楽園奇譚 第五章 「赤黒の刃、川底へ」**
境橋の戦場には、まだ竹爺が放った一閃の余韻が漂っていた。
空気は斬られたように冷たく、朗の刀は黒い霧を吐きながら震えている。
竹爺はゆっくりと刀を収め、深く息を吐いた。
「……お前の力は、もう見切ったわい」
朗は追い詰められた獣のように息を荒げ、赤黒い刀を両手で握りしめた。
だがその刃は先ほどまでの異様な重みを失っている。
刀の内部の“何か”が怯えている——
竹爺の一刀が、確かにそうさせていた。
青蘭が鎖を構え、酒鬼が瓢箪を傾け、雷花は棍棒を握りしめる。
しかし——竹爺は手を横に振った。
「構わん。ここから先は、わし一人で終わらせる」
そして、朗に向き直ると低く呟いた。
「その刀……本来、お主のもんじゃろう? だが今は“他の何者か”が支配しとる。 ——ならば、斬り離すだけじゃ」
朗は息を呑む。
刀が黒い霧を噴き出し、警戒するように震える。
「やめろ……来るな……!」
「この刀は……俺の……唯一……!」
朗が必死に後退した瞬間——
竹爺の姿が掻き消えた。
「は……?」
次の瞬間、竹爺は朗の背後に立っていた。
「——遅いわい」
刃が抜かれたわずかな音。
それは風すら追いつけない、閃光の域。
竹爺の刀が、朗の刀だけを正確に弾いた。
赤黒い刀が空へ舞い上がり——
くるくると回転しながら、境橋の端へ落下する。
朗は叫び、追おうとする。
「やめろ!! 返せ……!! あれは……あれだけは……!」
だが竹爺は朗の肩を軽く押した。
それだけで朗の身体は地面へ沈む。
重さではない。
竹爺の“気”の圧だけで沈んだのだ。
交差する視線。
竹爺の眼光は鋭く、しかしどこか哀しみに満ちていた。
「その刀がお前を支配しとった。 お前自身の意思は……どこにあった?」
朗は歯を食いしばり、涙すら滲ませた。
「違う……俺は……強くなきゃ……! あいつに勝つために……! 忘れちゃいけないから……!」
その言葉の途中。
刀が川面へ落ちた。
チャポン——という小さな音。
その瞬間、赤黒い刀が発していた黒い霧が一気に散り、
境橋全体の空気が清浄になる。
朗の身体が大きく震えた。
「……う……あ……ああああああ!!」
朗が頭を抱え、絶叫した。
赤黒い霧が彼の中からも噴き出す。
まるで刀と朗を繋いでいた“呪いの線”が引き千切られていくようだった。
青蘭が鎖を掲げる。
「竹爺! 朗の体が……!」
竹爺は首を横に振った。
「心配無用じゃ。今のは“解放”の反動じゃよ」
朗は地に伏し、苦しみながら叫んだ。
「やだ……忘れたくない……!!
俺は……あいつを……誰を……? あれ……誰だ……?」
言葉が途切れ、瞳から光がゆっくりと抜けていく。
そして——
朗はそのまま意識を失った。
◆
数分後。
静まり返った境橋に、かすかな声が響いた。
「……ん……?」
雷花が目を丸くする。
そこにいたのは——
ぶかぶかの赤黒い着物に包まれた、小さな子供だった。
髪は朗と同じ黒。
仮面は落ち、幼い顔が露わになっている。
青蘭が驚きに眉を上げる。
「これが……朗……?」
酒鬼はぽかんと口を開けた。
「記憶……とんじゃった感じ?」
竹爺は深く頷いた。
「刀の呪いは、魂ごと食らいついとった。
その糸を断てば……こうもなるじゃろうな」
子供の朗はきょとんと鬼たちを見渡し——
「……ここどこ……?
あなたたち……誰……?」
雷花が「ひゃっ!?」と声を上げ、棍棒を落とした。
酒鬼は笑いをこらえつつ、竹爺の袖を引っ張る。
「ねぇ竹爺……これどうすんの? 育てるの? 拾った子猫?」
竹爺は大きくため息をついた。
「……わしら鬼堂楽園の厄介事が、一つ増えたようじゃな」
青蘭がふと、境橋の向こうの“闇”を睨む。
朗は救われた。
だが——黒幕はまだ、どこかで息を潜めている。
「……この子が再び呪われぬように。
刀を川底から回収し、封印する必要があります」
雷花は子供の朗を抱き上げる。
「お、おもっ……いや軽ッ!? かわいいんだけど!!」
朗は不安げに雷花にしがみついた。
その姿はもう、“鬼殺の朗”ではない。
——ただの少年だった。
竹爺はその様子を見つめながら静かに呟いた。
「黒幕よ……お前の企み、ここで止める。
この子はもう、操らせん」
川の底で、赤黒い刀がゆっくりと沈んでいく。
その刃の奥で、一瞬だけ“笑うような気配”が走った。
気付く者は誰もいない。
——黒幕の影は、まだ消えていなかった。
・つづく