3日後──。
この日有紗は三浦さんと取引先に同行するためオフィスにはあまりいなかった。
良かった……。
有紗がいないことでほっとしてしまう自分がいる。
こうやって業務が本格化してくれば、あまり会うこともなくなるだろう。
そうだ、だから大丈夫。
ちょっとくらいなら我慢できるはずだ。
そう自分に言い聞かせて、必死に自分の気持ちを明るくさせていた時。
「ふっ~」
「きゃあっ!」
突然、耳元に息を吹きかけられ私は飛び跳ねてしまった。
「わははははは、さすが安藤クンはいい反応してくれるなぁ」
振り返ると、そこにいたのは部長であった。
部長の息を吹きかけられて!?
き、気持ち悪い……。
ぞわぞわして嫌悪感がこみあげてくる。
しかし、部長はそんなこと気にもしていないようで。
「よっ、さすがリアクション芸人」
と私のことを呼んだ。
リアクション芸人?
「岡本クンから聞いたよ。いつも過剰に反応してくれてリアクション芸がすごいってな」
また、有紗だ。
こんなこと普通の女性にしたらセクハラになるんじゃないの?
私だからいいだろうってそう思ってるの?
「ビ、ビックリしたじゃないですか……」
しかし、それを言うのが精いっぱいだった。
「気を抜かないようにな。次はどこからくるか分からないぞ?」
この間有紗に褒められたことが嬉しかったんだろうか。
周りが笑ってくれたことで味をしめたんだろうか。
部長はこんなことする人じゃなかったのに……。
それからも有紗が私を常にイジっていることや、部長が私をイジリだしたことにより、周りの社員さんが私をイジることが増えてきた。
それを仲が縮まったという人もいるけれど……私はイジられるたびに少しずつ嫌な思いをしていた。
何にも楽しくない。
ただ疲弊して、心が傷つくだけだ。
それから数時間後。
「やっと終わった」
1日の仕事終わり。
前と変わらないはずなのに、前よりも長く感じた。
必要以上にイジられるから、集中して仕事をすることも出来ない。
「お先に失礼します」
なんだか疲れちゃった……。
オフィスから出て駅までの道を向かおうとした時。
「里子」
後ろから誰かに呼びかけられ、振り向くとそこには有紗がいた。
わ……。
出会いたくなかったな。
「今日は外出お疲れ様」
私がねぎらいの声をかけて、帰ろうと思った時、彼女は言う。
「ちょっと待って!今日、里子のこと連れていきたい場所があるの」
「えっ、私ちょっと今日は……」
「いいから」
有紗はカバンを持ってくると、オフィスを出た。
「本当に今日は疲れてて……」
「里子も絶対喜ぶと思うからさあ」
何を言っても聞く気のない有紗。
こうなったら逃げることは出来ない。
「どこに連れていくつもりなの?」
「仕事も終わってお腹空いたでしょ?」
「まぁ……」
「私ね、里子が昇給したって聞いて、レストラン予約したの」
「レストラン!?」
ってか、昇給したこと誰から聞いたんだろう。
私は有紗がこの会社に来る前に、昇給したばかりだった。
「私さ、里子と同じ会社で働けるのってすごく嬉しいんだ。でもオフィスじゃあんまり話す機会ないでしょ?それにいつも私に優しく教えてくれるし……だからお祝いさせてよ」
「うーん」
有紗が本当のそう思ってくれているのなら、嬉しいことではある。
でも、正直疲れていて今日は有紗と一緒にいたくない。
「今日は遠慮しないで食べてもらっていいから」
「でも……」
「まぁもう予約しちゃったんだけどね」
「えっ!」
「キャンセル料取られちゃうから、ごめんけど来てもらうよ~」
そう言って私の手を引く有紗。
「そんな勝手に……」
いつも有紗に振り回されてばっかりだ。
すると、私の言葉に有紗はうつむいた。
「迷惑だったかな……里子のことお祝いしてあげたいって思ったこと」
「迷惑ってわけでは……」
「私なりに喜んでもらえたらって思ってたけど、里子は嬉しくないかな」
急に落ち込んでしまった有紗に強く言うことも出来ず……。
「そんなことはないけど……」
そう否定すると。
「じゃあ行こうよ!」
強引に手を引かれた。
お店にも迷惑かかってしまうことも考えると、行くしかない。
今日はついてないな……。
仕方なくお店についていくと、有紗はお洒落で高級そうなお店を予約していた。
そのお店の中に入っていくと、テーブルに誰かが座ってる。
「えっ」
「やっほ~、久しぶり亜美、加奈子」
それは高校の頃ずっと一緒にいた亜美と加奈子であった。
なんで、ここにいるの……。
「有紗が~里子と同じ職場になったって連絡もらって来ちゃった」
「みんな集まるのめっちゃ久しぶりじゃない?」
──ドクン。
ずっと会わないように避けていたのに。
自然と連絡が途切れるように、慎重になっていたのにこんな風に再会してしまうなんて。
「ひ、久しぶりだね」
私の顔、ひきつってないだろうか。
正直今すぐに帰りたくて仕方なかった。
地獄の食事会だ。
「高校の頃を思い出すわぁ」
「てか里子痩せた!?」
亜美ちゃんが言うと、加奈子もうんうんとうなずく。
「そうなのよ~この子ダイエットしたみたいで……」
有紗の言葉に2人は声をそろえていう。
「え~つまんなぁい」
「そう思うでしょ?」
「里子のトレードマーク消えちゃったじゃん!」
「そうなの、里子ったらね、今の会社でも丸く収まっちゃってね、全然キャラ出せてなかったんだよ」
「私たちがいなかったからだね、かわいそうに」
勝手に会話が進められていく。
私の話なのに、私は置いていかれている気持ちになった。
「だから今日はみんな集まって、たくさんイジってあげてさ高校の頃を思い出させてあげようと思ってて」
「仕方ないなぁ~協力してあげるよ」
高校の頃を思い出す。
たったそれだけの単語で気分が悪くなった。
「じゃあさっそく料理頼もう、今日は里子のおごりだからパーっとやろうね!」
「えっ」
すると有紗はニヤニヤしながら言った。
「里子、昇給したんだから当然じゃん」
私が出すなんて聞いてない……。
「里子やっるぅ~~」
加奈子がはやしたてる。
「前から里子はさぁ地味な仕事も自ら進んでやるキャラだったもんね」
「そうそう私たちの分の掃除も自分でやりたいって言ってたし~あ、うちらがやらせたんだっけ?」
「キャハハハ、印象操作半端な」
高校生の時とまるで変わらず3人は楽しそうに笑っている。
私だけが相手の顔をみながら合わせて笑っているだけだった。
「っていうことだからどんどん頼もう~~」
「待って、有紗私おごるとか……」
「ちょっとぉケチくさいこと言わないでよ」
「そうだよ~昇給してお金も入ったんだからいいでしょ?」
「そうそう、こうやって昇給したら周りの人に感謝出来る人にならないとね!」
加奈子の言葉に今度は亜美が続ける。
「ご馳走様で~~す」
すると有紗も。
「里子悪いね~!」
「今日は里子のお祝いパーティーにしよ」
そう言って、みな食べたい料理を頼み始めた。
なんでこうなってるんだろう……。
全然楽しくない食事会。
支払いは私。
この時間って一体なんだろう。
私はぼーっとみんなの話を流して聞いていた。
それからひたすら私をバカにする時間は続いた。
「腹踊りは最高だよね」
「里子って鈍くさいし、地味だったのをうちらが変えてあげたっていうか……」
まるで自分の悪口大会を目の前で見ているかのようだった。
「里子はこんなんだから恋愛も出来てないでしょ。大学だってSNSも全然更新しないし、影だったんじゃない?」
高校生の頃、強引に始めさせられたSNS。
みんなと分かれてからは一度も開いていなかった。
だってみんなのことを見るだけで昔のことを思い出してお腹が痛くなったから。
勝手に写真をあげられ、拡散されて、みんなが笑う。
私はそれが辛くて、開きたくもなかった。
高校を卒業してやっと離れたんだ。
それなのに、自分からみんなの顔を見に行くなんてしたくない。
「地味な大学生活教えてみなよw」
なのに、なんで私の大学生活をこんなに否定されなきゃいけないんだろう。
私の大学生活を知らないクセに。
少なくとも高校生よりははるかに大学時代の方が楽しかった。
大学生になってから出来た友達は、誰かをイジって面白がるような人ではない。
きちんと対等で寄り添ってくれる子たちだ。
「友達はいたし、一応付き合ってる人もいたよ」
勝手に私のことを語らないで。
不快に思って反論するけれど。
「うわぁ、陰キャ友達、陰キャ彼氏じゃん絶対」
「可哀想~」
みんなは口々に言った。
「そんなことないよ!大学時代の友達をそんな風に言わないで」
「はいはい、うらやましいからムキになっちゃうんだね」
「まぁうちらと再会したことだし、またたくさん遊んであげるからムキにならないの」
ダメだ……何を言っても伝わらない。
私がなだめられるだけであった。
「じゃそろそろお会計する?」
「そうだね、私明日も早いし~」
店員さんが持ってきてくれた伝票は当たり前のように私に渡される。
「里子また昇給したらご飯行こうね?今日はごちそうさまあ」
「いい友達持って私たち誇らしいよねぇ?」
【お会計;3万6千円】
有紗たちは好きにお酒も頼んでのみ食べしていた。
しかし、私はあまり食が進まずほとんど食べられなかった。
「ねぇ……さすがにこれは。みんなで割り勘して……」
「謙遜はいいって!里子姉さん、ゴチになりまぁす」
「キャハハハ~」
3人は楽しそうな顔をして先に店を出ていく。
私はけっきょくレジでお会計をしてから外へと出た。
こんなに食事代で使うなんて……。
それもお世話になった人とかじゃなくて、もう会いたくない友達に使ったお金。
そう思うとむなしくて仕方なかった。
何してるんだろう、私……。
「また昇給したらご飯行こうね」
「今日は本当に楽しかった~里子大好きだよ」
加奈子が酔った勢いで抱きついてくる。
「やっぱ持つべきものは友だよね」
「最後に記念写真とろ~」
そう言って勝手にカメラを向けてくる。
カシャと音が響くと「ミンスタ乗せるからみんないいね押してね」と有紗は言った。
大っ嫌いだ。
今も昔も。
みんなのことが。
「じゃあまた遊ぼうね~」
「バイバイ」
帰り道、ひとりになった時私の心はほっとしていた。
やっと声が静かになった。
みんなの声を聞くだけで正直、限界だった。
「…っ、ぅ」
吐きそうなる。
もう二度といかない。
あれを手切れ金だと思えばいい。
「大丈夫。心は壊れてない……」
私はずっと心の中で言い聞かせた。
そして時間をかけながらも、なんとか自宅につき、休んでいると。
SNSのアプリに通知がついていた。
とっさにタップしてしまいアプリが開くと、有紗がさっきの写真をSNSにアップしていた。
♯久々の再会
♯笑いすぎてお腹いたい
♯大好きな友達
しかし、私が笑っていなかったためか目の上に「陰キャ代表、会計係」と書かれていた。
「はは……はははっ、笑っちゃう」
全然面白くない。
そりゃSNSなんて開くわけないじゃん。
顔も見たくないのに。
人って何にも変わらないんだな。
あの時、イジリすぎたかな、相手を傷つけたかななんて成長しても全く考えないんだな……。
でもそれは私も同じか。
あの時から何も変わっていない。
無理して笑って我慢してお金払って……なんにも変われてないじゃん……。
それから2週間が経った。
加奈子と亜美とは当然だけれど、連絡をとっていない。
私から取ることはないし、有紗からメッセージのグループに招待が来ていたけれど、そのグループには入らなかった。
関わることはもうない。
しかし彼女だけは……。
「ちょっと里子、早く招待したグループ入ってくれない?」
「私……あんまり連絡とか頻繁にとらないから」
「そういうのが陰キャって言うんだよ、みんなせっかく集まったんだからさぁ!そういう自己中なことしてると友達なんていなくなるよ」
ドクン。
“友達がいなくなる”
昔にも言われた、友達やめるよという言葉に不安になる。
でも待って、よく考えて。
そんな友達なんて必要?
高校の頃とはもう違う。
無理して一緒にいる必要なんてない。
私はハッキリと言った。
「グループには入らない」
初めてきちんと自分の意見を伝えられた気がする。
有紗は何か言ってくるかと思ったけれど、一瞬眉をひそめただけで、コロっと表情を変えていった。
「ま、いっか。私もあの2人と頻繁に会いたいわけじゃないし~?私の一番の友達は里子だから」
じゃあなんで連絡とったりしてるんだろう。
意味分からない。
しかし、これ以上その話を広げたくなくてその言葉は心にぐっとしまいこんだ。
正直、有紗の顔を一番見たくなかったけれど、同じ会社であるためどうしても合わせざる終えなかった。
それに今日は……。
「それより今日の飲み会楽しみだねっ!」
「あー……うん」
今日は有紗や他の歓送迎会も含め会社の全社員で飲み会がある。
私は大人数の場はあまりすぎじゃないし、あとは……有紗がいるので乗り気はしない。
でも参加しないといけないし……。
「竹内さんも来るんじゃないの?」
有紗が小さな声で私にささやく。
会えるのは楽しみだけど……。
「何よ、その顔」
「ううん、別に……」
正直この飲み会は何にもなく、終わってほしいなと思ってしまう。
そして夜、18時──。
みな仕事を切り上げ、予約しているお店へと移動する。
「岡本さん、ここ座って」
「ありがとうございますぅ」
有紗はすっかり会社の雰囲気に慣れて、周りも彼女を受け入れていった。
しかし私は……今日は何をされるのかビクビクしていた。
特に飲み会は危険だ。
みんなのリミッターも外れてしまうから。
お願いだから、何もなく静かにこの飲み会を終えたい。
有紗に何されないか、注意深く見ていたが、有紗は飲み会が始まって少しするなり、違う部署の方に挨拶に回っていった。
楽しそうに色んな人と交流を深めている有紗。
良かった……。
色んな人と話に行くだろうし、もしかしたら今日は大丈夫そうかも。
なんて安心していたのもつかの間。
「岡本さんが来てから、安藤さん面白いキャラになったよな」
三浦さんと同じ歳の男上司、斎藤さんがそんなことを言ってくる。
「最初はイジったらダメな感じかと思ってたからあまり関わりにいかなかったけど、今の方が接しやすいよ。なぁ三浦」
「そうね。安藤さんも楽しそうで会社の雰囲気も明るくなったわよね」
楽しそう……。
そうか、周りにはそうやって見えているんだ。
合わせて笑わなきゃって作る笑顔を周りは本当の笑顔だと思っている。
そうだよね……だって私、嫌だってハッキリ言っていないもん。
それじゃあいくら心の中で思っても伝わるわけないよね。
「岡本さんは出世しそうだな、人付き合いも出来るし笑いを分かっているし」
私は上司が話す話をぼーっと聞いていた。
有紗が人付き合いが上手くて、会話の盛り上げ方が上手いのは分かる。
でも人を使ってそれをやって、相手をバカにしているようにしか私には見えないよ。
「さぁ今日は安藤さん、何を見せてくれるのかな」
「えっ」
「今日は飲み会だぞ~~?いつものギャグをみんなに披露する場だろう?」
「そ、そんなギャグなんて……」
「岡本さんから聞いたよ。飲み会のために仕込んで来てるらしいじゃん」
「そんなこと言ってません!」
私は全く身に覚えのないことにびっくりしてしまった。
そんなことひとことも言っていないのに、また有紗が勝手に言ったんだ。
私が強く言った言葉に対しても……。
「本当に仕込んでいませんから」
「そうやって照れなくていいから」
そう片付けられてしまう。
「それともまだ酒が足りないのか?だったらどんどん飲みなさい」
話が全然通じない。
酔っぱらっていることもあるだろうけど、有紗がその場にいなくても彼女が残していた「イジってもいい人」というレッテルが私には張られてしまっていて、そこから抜け出せなかった。
それからなんとか拒否するけれど、酒が足りないから、とたくさん飲まされる羽目になってしまった。
「はぁ……」
ちょっとしんどくなってきたかも。
お酒が回ってぐわんぐわんする。
すると有紗が私たちの部署が固まって飲んでいるところに戻ってきた。
「おお、やっと戻ってきたのかね、岡本クン」
「すみません~!お待たせしちゃいました?」
「安藤さんがイジられたりないって寂しそうにしてたぞ」
「してな……」
「やだ~~っもう、欲しがるねぇ」
有紗の言葉にドっと笑いがこみあげる。
お酒で出来上がっていることもあってか、みんな大きな声で笑っている。
嫌だ。
その笑い、バカにされているような感覚になる。
「見てくださいよ、部長~里子勤務中によくお菓子食べてるじゃないですか?ほらぁこんな有様ですよ」
私のお腹を指さす有紗。
「ちょっ……」
「本当だ、安藤クン。ちょっと太ったんじゃないか?」
赤い顔をした部長がニヤニヤしながら私を見る。
「ぶ、部長……やめてください」
嫌だ、気持ち悪い。
じろじろ見ないで……っ。
「このお腹とか特に出てきただろう、ほら」
「きゃっ!」
服の上から肉を摘ままれると周りが笑いだす。
「おっとこれはさすがにマズいかな?」
ぱっと手を離した部長に今度は有紗が言った。
「全然気にしないでください、部長!里子はいじられキャラなんで、むしろイジられることで活きてきますから感謝してるくらいですよ!」
そして続けて上司の斎藤さんも言ってくる。
「安藤さんも美味しいって思ってたり?」
止める人は誰もいなかった。
「美味しい役割だなぁ~、俺もみんなに笑ってもらいたいぜ」
だったら変わってほしい。
私は誰にも笑われたくない。
「なるほど、じゃあもっとイジってあげないとな」
部長のガハハハッという下品な笑い声が響く。
上司には嫌だと言うことは出来ないし、私は不快感しかなかった。
もう嫌だ。
今すぐこの場所から逃げ出したい。
嫌なのに。
やめてと言っているのに。
それも戯れだと思われて聞いてもらえない。
もうどうしたらいいの……っ。
泣きそうになっていたのに、上司はさらに盛り上げてくる。
「お笑いと言ったら安藤さんだよな」
「安藤さん、面白いこと1つお願いします」
「も、もうやめてくださ……」
私の言葉は大きな笑い声によってかき消された。
いつからだろう。
部長まで私のイジりに参戦するようになったのは。
前までは部長もこんなことしなかったのに、有紗が来たことでがらりと変わってしまった。
「この会社って部長までノリが良いじゃないですかぁ、だから本当に楽しいんですよねぇ~さぁ、部長ももっと一緒に飲みましょう」
「お、おう……そんなこと言われるとお酒が捗っちゃうねぇ。
岡本クンがこの会社にやってきたことに乾杯しよう」
有紗の言葉に部長はまた気をよくしたように笑う。
私は最悪な気分なのに。
「安藤くんも嬉しいだろう」
返事を求められる。
「……っ、はい」
もう何を言っても無駄だ。
そう思った私は穏便に、話が盛り上がらないようにただ返事をすることしかできなかった。
憂鬱な飲み会。
会社にいる時以上にイジられるし……心にトゲを刺されているような気持ちになる。
早く終わってくれないかな。
「じゃあ安藤クン、これを」
「えっ」
そして部長に渡されたのは日本酒の瓶であった。
「キミは他の女子社員とは違う。こっちだろう?」
みんがゲラゲラ笑う。
「日本酒で乾杯だ。これが出来たら君はいい男になるぞ」
「いい男って……性別違うし、それって里子のことどんな風に見えてるんですかぁ~キャハハハ」
「あ、あの私……お酒はあまり」
「このたるんだ腹ならいけるだろう?」
「あはははは」
何度も何度もたるんだ腹とか関取とか、余った脂肪とか……私、そんなに太っている?
確かに高校時代はポッチャリしていたと思う。
でも今はダイエットもしたし、平均体重と同じくらいの体重だ。
でもみんなにはまだ太って見えているの?
そんなことを考えたら急に恥ずかしくなってしまった。
みんなが私を見ている。
「ほら、飲みなさい」
断ったらノリが悪いって思われる?
上司の意見も聞けないのかって怒られる?
そう思ったら、けっきょく断ることが出来ず、私は促されるがまま、日本酒を一気に飲み干した。
「はぁ……はぁ」
「いい飲みっぷりだ。岡本クンが来てからなんだか安藤さんが輝いて見えるよ。みんな安藤クンに拍手だ」
今までの私ってなんだったんだろう。
私なりに部長や上司と関わりを続けてきたつもりだった
そんなにつまらなかっただろうか?
そんなに地味だっただろうか?
やりたくないことを無理やりやっている方が輝いてみえる?
もう、嫌だ……。
なんだか泣きそうになった。
それからお酒が進むたび、社内のイジリはヒートアップしていくことになった。
「どうやら高校時代に腹踊りをしてウケを取ってたんだって」
「有紗……!」
「何よ、隠すことじゃないじゃん。里子の腹踊りみんなに見てほしくてさ」
すると、ベロンベロンに酔っぱらっている上司が大きな声でみんなに言った。
「彼女が今から腹踊りをしますよ~~!」
大きな声で全社員に聞こえるように言う。
すると、話していた社員が話をやめて、こっちに注目する。
嫌だ。
みんなが見ている。
その中には竹内さんもいた。
嫌だ。注目されたくない。
腹踊りなんてしたくない。
「みんな注目~~」
でも拒否したら、また白い目を向けられる?
どうすることも出来ずぎゅっと目をつぶっていると……。
「飲みすぎですよ」
透き通るような声で、大きな声を出した上司に水を差しだす竹内さんの姿が……。
「竹内、さん……」
「ああ、失礼」
上司は我に返ったのか、そのお水を飲みだした。
「ちょっと飲みすぎたかな」
「これからビンゴ大会があるそうですから、意識をはっきりさせておかないと」
「そうだな、いい商品持って帰るぞ」
竹内さんが話を反らしてくれたお陰で私は腹踊りをする必要がなくなった。
「良かった……」
だけど当然その場にはいられるわけなくて、私は酔いを醒ますために外へと出た。
「はぁ……」
冷たい風がなんだか心地いい。
ずっとここにいたい。
もう戻りたくない。
すると入口の扉が開いた。
「大丈夫でしたか?」
振り返るとそこには竹内さんがいる。
「竹内さん……」
来てくれたんだ。
どこまでも優しい竹内さんにきゅんっと心が音を立てる。
でもあのノリを見られた後だからか、恥ずかしくて目を見ることが出来ない。
「先ほどはありがとうございました」
「いえ、困っていそうに見えたので」
「……助かりました」
それからお互い何も話さない時間が流れると、竹内さんがそれを断ち切るように言った。
「いくらお酒が入っていたとしても、女性に腹踊りをさせるなんてあってはいけません。佐藤とは同期なので僕の方からもしっかり伝えておきますよ」
竹内さん……。
なんでこんなに優しいんだろう。
竹内さんの言葉に涙が出そうになるのを必死でこらえた。
「ありがとうございます……でも、私がイジられやすいキャラだから部長も上司もあんな風に盛り上げてくれたのかなって」
って、私何言ってるんだろう。
本当は嫌なのに、こんな上司をかばうようなこと……。
きっと竹内さんに嫌われたくないからだ。
「それは安藤さんにとっては嬉しいことなんですか?」
「えっ」
「僕は相手の嫌がることをして場を盛り上げるのはイジりではないと思います。これは立派なパワハラです」
「……っ」
お酒が回ったせいなのか、涙腺が緩くて気を抜くとすぐにでも涙が出てしまいそうだった。
「お優しいんですね……」
「そんなことはありませんよ。周りに気づいてくれる人がいないのはいいことではありません。それで本当のところは?」
竹内さんはずいっと顔を近づける。
「本当のところは……嫌でした。早く帰りたいくらい」
「そうですよね……本音が聞けて良かったです」
竹内さんは優しく笑った。
「では今日はもう帰りませんか?」
「えっ、でもまだビンゴ大会が……」
「参加しなければ他の人に当たる確率が上がりますからいいじゃないですか?2人くらい抜けても」
「でも……」
竹内さんはそれでいいのかな?
私が巻き込んだことにならない?
「安藤さんがビンゴに参加したいなら、無理にとはいいませんが……」
「あ、いえ、そんなことは」
思わず口にしてしまった言葉にはっと口元を抑えた。
「ふふっ、それが本音ですね」
竹内さんはくすっと笑ってから今度は真剣な表情で言った。
「安藤さんは周りの空気を読みすぎる。たまには自分のことを考えてあげてください」
「はい……」
初めてだった。
自分のことを考えてあげてと声をかけられたのは。
そうか、自分を苦しめていたのはこの自分の性格もあったのかもしれない。
この日は竹内さんの好意に甘えることにしてバッグを持って飲み会を抜け出した。
「あまり無理せず、嫌なことは嫌だって言っていいんですからね」
「ありがとうございます……」
けっきょく竹内さんと駅まで向かい、そこで別れることにした。
あの場にずっといたらきっと心が死んでしまっていたから、今日は救ってもらった気持ちだ。
私も自分のためにしっかりと意思を伝えないとダメだよね。
たった1回だけじゃない。
何度も言い続けて嫌なんだって分かってもらえるようにしよう。
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