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木風
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ゆうき
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店は、悠人が取った。
個室の和食で、掘りごたつ。悠人は私の隣に座り、一ノ瀬が向かいに座った。私は仕事の黒ではなく、悠人が「それにしろ」と言った、紺のワンピースを着ていた。
「いやあ、今日は無理を言ってすみません。うちの嫁がお世話になっているので、一度ちゃんとご挨拶をと」
悠人は、客の前の声だった。家で聞くより高くて、よく笑う。
「こちらこそ」
一ノ瀬は、それだけを言った。
「うちの嫁、仕事バカなんですよ。土日は全部式場で、家のことは後回しで。でも、飾り付けの腕は一流です。私が言うのもなんですが」
悠人は、私の肩に手を置いた。人前でだけ置く手だった。
「ええ」
一ノ瀬は、置かれた手を見なかった。
「チーフですから」
「はは。暫定ですけどね」
悠人は笑って、私の肩から手を離した。離してから、ビールを注いだ。一ノ瀬のグラスに。自分のグラスに。私のグラスには、注がなかった。
私は、自分で注いだ。
◇
料理が三品目まで進んだところで、悠人がプレゼンの話を始めた。
「一ノ瀬さんにはもう提案書を見ていただいてますが、改めて。うちの案の核は、『十二の約束』です。少人数の式に絞って、お客様とこういう約束をする、と。一番は、式の主役は二人ではなく、二人を見に来た人」
悠人は、私のノートの一番を、自分の声で言った。
「三番、花は少なく、席は近く。これは現場の声を掬い上げまして」
掬い上げた。
私は、箸を置かなかった。置くと、手が止まったことが分かる。
「十二の約束は、全部、現場から出てきたものです。私はそれを、ブランドの言葉に翻訳した、ということで」
「七番は」
一ノ瀬が言った。
悠人の口が、一瞬だけ開いたまま止まった。
「七番は、どういう意味ですか。『持ち込みは断る。ただし、一つだけ受ける』。断るのか、受けるのか、読んで分かりませんでした」
「ああ、七番ですね」
悠人は笑った。笑ってから、一秒、二秒、三秒。
「それは、まあ、柔軟に対応するという……お客様のご要望に応じて、ケースバイケースで……」
「ケースバイケース」
「ええ。現場の判断で」
一ノ瀬は、箸を置いた。
「現場の判断、というのは」
悠人が、私を見た。笑ったままの顔で、目だけが動いた。言え、という目だった。
私は、箸を置いた。
「七番は、持ち込みは断る。ただし、一つだけ受ける、です」
「ええ」
一ノ瀬は、私を見た。
「式場は、持ち込みを断ります。花も、料理も、衣装も。崩れるからです。でも、一つだけなら受けます。亡くなったお母様の庭の花。お祖母様の帯。一つだけなら、式は崩れません。その一つが、その式の全部になります」
「全部に」
「はい。その一つのために、ほかの全部を、揃えますので」
一ノ瀬は、少しのあいだ何も言わなかった。
それから、悠人を見た。
「さすが、ご夫婦で練った企画ですね」
「いやあ」
悠人は、肩の力を抜いて笑った。
「そうなんですよ。家で嫁と、ああでもないこうでもないと」
「そうでしょうね」
一ノ瀬は、ビールを一口飲んだ。飲んでから、「七番は、いい」と言った。
悠人が、嬉しそうにうなずいた。私のノートの、七番だった。
◇
食事が終わる前に、私は手洗いに立った。
廊下は狭くて、暗い。戻るとき、向こうから一ノ瀬が来る。すれ違うには、どちらかが壁に寄る幅だ。
私が寄った。
一ノ瀬は私の前で足を止め、廊下の奥の個室のほうを一度見た。
「十二日」
低い声だった。
「この式場で、何が起きる」
「完璧な式です」
「七番が」
「はい」
「……明日の朝七時、庭で」
一ノ瀬は、それだけ言って、手洗いのほうへ歩いていった。
私は個室に戻った。悠人は、スマホを伏せて、私を待っていた。
「遅い」
「ごめんなさい」
「一ノ瀬さん、トイレ?」
「ええ」
「機嫌よかったな。七番、気に入ったってさ。お前、ああいうのは先に言っとけよ」
四百十九個目。私は、残っていたお茶を飲んだ。
◇
タクシーの中で、悠人は窓のほうを向いていた。
店を出て、一ノ瀬の車が走り去るまで、悠人は手を振っていた。車が角を曲がった瞬間に、手を下ろした。
タクシーが走り出して、二つ目の信号で、悠人が言った。
「お前、俺の顔を潰す気か」
「何を」
「七番だよ。俺が答えるところだっただろ。お前が横から出てきて、ぺらぺら喇って。あれじゃ、俺が何も分かってないみたいじゃないか」
「一ノ瀬さんが、私に聞いた」
「聞かれても黙ってればいいんだよ。お前は飾り付け屋なんだから。企画の話は、俺の仕事だ」
私は、窓の外を見た。悠人の会社の最寄り駅が、近づいていた。
「なあ」
悠人は、私のほうを向いた。
「俺が選んでやったんだぞ、お前を」
声は、怒っていなかった。教えている声だった。
「五年前、お前なんか誰も見てなかった。式場で花を並べてた、地味な女だ。それを俺が選んで、高梨にしてやった。分かってるのか」
「……ええ」
私は言った。
「知ってる」
悠人は、それで満足した。
「なら、いい。十二日は実家にでも帰ってろ。俺は大阪だ」
タクシーが止まった。悠人は、「マンスリー、ここからすぐだから」と言って、降りた。ドアが閉まる。
私は、一人で座っていた。
運転手が「どちらまで」と聞いた。私は家の住所を言った。言ってから、四百二十、と数えた。数えて、それ以上は、何も言わなかった。
コメント
1件
ああ、第16話、拝読しました……。七番のエピソード、本当に美しかったです。「その一つのために、ほかの全部を、揃えますので」という台詞、心に残りました。一ノ瀬さんが「七番は、いい」って言った瞬間、こっちまでほっとしました。でも、タクシーでの悠人さんの言葉には胸が痛みましたね。「俺が選んでやった」って……あの「四百二十」という数字に、どれだけの重みが詰まっているんだろう。最後の「それ以上は、何も言わなかった」が刺さりました。次が気になります……!