7
翌朝、わたしはイノクチ先生に言われたことを守り、久しぶりに徒歩で登校することにした。
こうして歩いて登校するのはたぶん、中学の二年生あたり――まともに空を飛べるようになって以来じゃないだろうか。
正直、自分の歩くスピードと学校までの距離を計りかねて、このままでは間違いなく遅刻ペースだ。
昨日に引き続き、今日も遅刻だなんて避けたかったのだけれど、普段から運動なんて、体育の授業以外はまともにしていないわたしにとって、徒歩というのは思った以上にキツかった。
自転車代わりにホウキに乗りすぎたせいだろうか、自分の足で歩くという行為そのものが何だか億劫でたまらない。
おかしい、わたしってこんなにひ弱だったっけ……?
そう思うのと同時に、運動不足で太っていく自分の姿が脳裏をよぎって、慌てて頭を振った。
運動、大事。うん。
わたしは少しだけ早歩きで、通学路を急ぐのだった。
それでもやはり足が遅いのか、わたしの横を駆け抜けていく、同じ高校の制服を着た生徒たち。
わたしも負けじと駆け出したのだけれど、十メートルほど走ったところで息切れしてしまい、あまりの苦しさに立ち止まった。
何度も何度も深呼吸して、荒くなった息を整える。
その間も、当然のように他の生徒たちに追い抜かされていくわけで。
これは、もう、遅刻決定かなぁ……
はぁ、と大きな溜息を吐いたところで、
「……大丈夫?」
突然後ろから声がして振り向くと、そこには一人の男子生徒の姿があった。
長い前髪は目元を僅かに隠し、スッとした鼻先には小さなニキビ。どことなくパッとしない印象だが、けれど昨夜うちに来たアリスさんと同じように、何故かわたしの心は惹きつけられた。
男子生徒は心配そうな顔でやや腰を屈め、わたしの顔を覗き込む。
「体調悪いんなら、無理しない方が良いんじゃない?」
そんな彼に、わたしは小さく息を吐いて胸を撫でつつ、
「あ、いえ、もう大丈夫です。落ち着きました。久し振りに思いっきり走ったから、息切れしちゃったんです」
心配してくれてありがとうございます、と言ってわたしは小さく頭を下げた。
すると彼は「そう」と頷き、
「じゃぁ、行こうか」
と何故かわたしと並んで歩き始めた。
――なんだかとても不思議だった。
初めて出会った男の子と、二人並んで登校する。
しかも、彼は遅刻することに無頓着なのか、まったく急ぐ様子がない。
「……良いんですか? 走らなくて」
「走ったところでもう間に合わないよ」
「それはそうですけど、走らないと、もっと遅れちゃいますよ?」
思わず眉間に皺を寄せてそう言うと、彼は小さく鼻で笑って、
「キミはまじめだね。誰かさんとは大違いだ」
とわたしに顔を向けた。
わたしは小首を傾げつつ、
「誰かさんって、誰?」
「例えば、僕?」
人差し指で自分を示し、彼はふっと微笑んで、
「まぁ、遅刻なんて気にしなくて大丈夫だよ。死ぬわけじゃなし」
「……もしかして、いつも遅刻してるんですか?」
「うん。一年生の頃からずっとね」
一年生の頃からってことは、やっぱりこの人は先輩なんだ。
どうにも落ち着いている雰囲気だったから、そうだろうとは思っていたけど。
「でも、遅刻ばかりしてたら駄目じゃないですか」
「そうかも知れないけど、朝起きるのが苦手でさ。おまけにうちの両親、放任主義だからか遅刻しても僕のこと怒りもしないし。昔からそうなんだよね。なんなら、学校休んでも良いんだよって言われてる」
「それは……どうなんです?」
放任主義というか、責任放棄というか。
「さぁ? でもまぁ、僕はいつもこんな感じ。一時間目はカウンセラー室で時間を潰して、いつも二時間目から授業を受けてる」
「先生に怒られたりはするんですよね?」
「最初だけね」
と先輩はくすりと笑んで、
「今はもう諦められてる。一時間目を遅刻してくるだけで、テストの成績で言えば悪くはないし、目をつぶってもらっている感じかな」
「なんだか、わたしと住む世界が違います」
「そう? ならこっちの世界においでよ、案内してあげるけど?」
「なんですか、それ、ナンパ?」
それに対して、先輩は首を横に振って、
「違うよ。けど、もしカウンセラー室に行くなら本当に案内するよ? その様子だと、一度も行ったことないんじゃない?」
「……まぁ」
頷くと、先輩は微笑みを湛えたままで、
「どうせ一時間目にはもう間に合わないし、一緒にカウンセラー室に行ってみる?」
「……やっぱりナンパじゃないですか」
言ってやると、
「――そんなつもりはないんだけどなぁ」
困ったように、先輩は小さく肩を落とした。
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