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「夫婦として、体の契りはまだだったしな……」
唇に触れていた親指がつつっと下がり。
顎を撫であげ、杜若様の体がより深く。ゆっくりと覆い被さってくる。そんな杜若様の色気が凄くて頭が混乱する。
「朝からそんなっ、契るなんて破廉恥なことはダメです! 健康に良くありませんっ!」
「逆に健康的だ」
……確かに……?
いや、そうじゃなくて!
「い、いいえ! 逆に私の心身に負担が掛かり、不健康極まりないです。こんなの、命が幾つあっても足りませんっ」
杜若様の色気に負けてなるものかと、えいっと杜若様の引き締まった胸に手を突き出す。
すると杜若様の動きが止まった。
「そこまで俺が嫌いか?」
「! ち、違いますっ。そうじゃなくて。えっと、前世のこともあってですね、じゃなくて!」
杜若様の声があまりにも力無くて、焦ってしまう。
すうっと深呼吸して、前世のことは関係なく『杜若環』としての気持ちを伝える。
この二週間、思ったことを話そうと思った。
「と、取り乱してすみません。このままでもいいので、ひとまずは私の話を聞いて貰っていいですか?」
杜若様がこくりと頷くと、杜若様の黒髪がさらりと揺れた。
掴まれていた手首の戒めが緩くなり、ほっとした。
「私は本当に、杜若様達の迷惑になりたくないんです。二週間、ここで過ごして、皆様に凄く優しくして貰えて……凄く嬉しかった。私と一緒にご飯を食べてくれたり、勉強を教えてくれたり。挨拶をちゃんと返してくれて……そんな人、ずっといなかったから。ここは凄く明るくて、あったかくて。気持ちよくて。ずっと居たいなって……心より思いました」
二週間、ここで過ごした素直な気持ちを口に出してみた。
最初はやらなくちゃいけない。頑張らなくちゃいけないで、頭がいっぱいいっぱいだった。
でも、石蕗様に宇津木様達。梅千代さんやお稽古の先生達に教えて貰ったことは、するりと出来てしまった。まるで元より知っていたかのようだった。
これは──九尾の前世。
九尾が覚えた知識や経験の賜物かと一瞬、怖くなってしまった。
でも。十年前のあの日。
私が欲しかった言葉、凄いと皆様が褒めてくれて──嬉しくなった。やっと私と言う存在を認めて貰えた気持ちになった。
そう思うと前世の知識も、経験も私の一部に違いない。
それはもう否定出来ない。
だから隠すことはやめて、素直にありのまま。
使えるものは使ってみようと開き直れたのだった。
そんな現金な自分にくすっと笑ってしまう。
「環……」
「でも、私が使い物にならなかったら……私の本当の力の正体がわかったときに……皆様にガッカリされるのも怖くて」
「そんなことは無い。俺は力の有無で人を否定などしない」
杜若様はすぐに否定してくれた。
ほら、やっぱりここの人達は優しいと思った。
だからこそ、私は絶対に九尾だとバレたくない。
でも、力はちゃんと使いこなしたい。
ここに居る人達ともっと仲良くなりたい。
バレる前に去った方が良いという私も居る。
カフェーで働く夢だってある。
ここに来て、自分の中に生まれた様々な感情に当惑する。答えはすぐに出そうにもない。
それでも、心が豊かになる気がした。
その中でも切なくて、心がきゅっとしてしまう感情を口にした。
「──私、本当に杜若様を好きになってしまうのが怖い」
私の言葉に杜若様が動きを止めた瞬間。
パシンっと襖が開いた。そこにはニコニコ笑顔の梅千代さんが居た。
「環ちゃーん! おはよう。今日はお寝坊さんかな? 梅千代さん、心配で来ちゃ……った」
梅千代さんの表情が笑顔から真っ青になる。
そして、さらに。
梅千代さんの背後から。にゅっと影が踊り出た。
「梅千代様失礼します。環様。おはようございまーす! 宇津木葵です。今日はちょっと予定変更があって碧じゃなくて、僕が早めに迎えに……来てしまいまし……た」
葵さんの顔は真っ青を通りこして、真っ白になった。
多分私もそんな感じだろう。
布団の上で杜若様に押し倒され、さっきバタバタと暴れてしまったので互いに服装が乱れている。
そんな現場を目撃されてしまい、私には何も言えなかった。
誰一人として言葉を発しない、この空間に色んな気持ちが限界突破した。
「……っ、もう限界です……」
ふらりと頭を枕に沈める。
人は驚きを通り越してその向こう側にいくと、頭が現実を拒否すると知った。
「っ、環、しっかりしろっ! さっきの言葉をもう一度っ!」
「朝から環ちゃんが気を失うほどのことを!?」
「僕は何も見てません。僕は何も見てません。僕は何も見てません」
私は気を失いつつ。戸惑いの三者三様の声を遠くに聞くのだった。