テラーノベル
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帰宅して鍵を回すと、カチリ、と鳴った冷たい音が、やけに生々しく鼓膜に響いた。
重い足取りで部屋に入ると、乱暴にネクタイを引き抜きコンタクトを外して、眼鏡に替える。指一本入らなかった首元に、ようやく息が通ったというのに、肺のあたりは焼き付くように苦しいままだ。
ちらりと時計に目をやれば、間もなく十八時四十分になろうとしている。
あの男は、本当に来るつもりだろうか。
ああ見えて、性格がすこぶる悪い奴だ。職場での脅し文句は、ただの悪趣味なブラフで、一人で部屋にこもって怯えている自分を想像して、陰でほくそ笑んでいるだけに違いない。そうだ。そうに決まっている。
大体、わざわざ仕事終わりに家へ寄る必要性なんて、何処にもないはずだ。
だが、万が一、本当に来たらどうする。
ふとダイニングに視線をやると、テーブルの上で、ノートパソコンが開きっぱなしになっていた。画面の隅で点滅しているのは、誰にも見せたことのない、恋愛小説の原稿データだ。
(――っ、これだけは、絶対に見られたくない……)
ブラフだと言い聞かせながら、体は勝手に動いていた。血の気が引く思いで蓋を閉じ、そのままベッドの下へ無理やり押し込む。床に膝をついた拍子に、冷や汗で湿ったシャツが、背中にぐっと張りついた。
(何やってんだ、俺は……。来るなって一言送れば済む話だろ!)
そうだ。断ればいい。拒絶すればいい。
冷静に考えれば、会いたくもないあいつに会う道理など、どこにもない。来月の販促がどうとか言っていたが、そんなもの、社内でも話せる内容じゃないか。
それに、何を怯える必要がある。あの夜は、色んなアクシデントが重なって、自分が不意を突かれただけだ。
そう。ただ、それだけの話だ。
――そう思いたいのに、スマホを握った指は、いつまで経っても動かなかった。
十九時。
時計の針が真上を指しても、チャイムは鳴らなかった。
十九時一分。二分。三分。
静まり返った部屋に、冷蔵庫のモーター音だけが低く唸っている。
十九時五分。
(……結局、来ないのかよ)
肺の奥に溜まっていた息が、細く、長く、抜けていった。強張っていた肩から力が落ち、冷や汗で背中に張りついていたシャツの感触が、急に生々しく意識の端に蘇る。
(ほら見ろ。やっぱりハッタリだった。俺をビビらせて、陰で笑ってるだけの――)
「……あの性悪……クソっ」
吐き捨てるように悪態を吐いて、ソファの背に身体を預けた、その瞬間。
ピンポーン。
電子音が、静寂を切り裂いた。
心臓が、文字通り喉の奥まで跳ね上がる。
(――っ!?)
#四季総受け
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21,509
だが、すぐに違和感に気づいた。
このマンションはセキュリティが厳重だ。玄関ロビー、各住居のドアと、二箇所で専用のカードキーが要る。本来の来客なら、まずロビーの集合インターホンを鳴らすはずだ。
今鳴ったのは、それではない。
直に、この住居ドアの真横にあるチャイムだった。
(芹沢じゃ、ない? アイツはロビーを通れるはずが……)
じゃあ、誰だ。管理人か。それとも、隣人が自分の部屋と間違えて押したのか。
嫌な予感に喉がカラカラに乾きながらも、澪は足を引きずるようにして壁のモニターの前へと歩み寄った。眼鏡のブリッジを震える指で押し上げ、画面を覗き込む。
映し出された玄関先は、しかし無人に見えた。
いや、違う。カメラの正面には誰もいない。だと言うのに、レンズの死角になる画面の端、ドアのすぐ脇に、人の影のようなものがゆらりと揺れているのが見えた。
(なんで、正面に立たないんだ……)
嫌な汗が一気に噴き出し、首筋の産毛が逆立った。
コメント
1件
いやあ、もう読んでる間ずっと息を止めてた気分だったよ……。 澪が「来るわけない」って自分に言い聞かければ言い聞かせるほど、逆に不安が募っていく感じ、すごく巧いなと思った。 特に、スマホを握ったまま何もできずに時間だけが過ぎていく描写。「十九時一分、二分、三分」って刻まれるたびに、こっちの心臓もバクバクしてた。 そして最後のチャイム、しかもモニターの正面に立たずに影だけが揺れてる――あのカメラの死角を選ぶ不気味さ、本当にやられた。 伏線としてマンションのセキュリティ(ロビー→住居ドアの二段階認証)をちゃんと説明してから「直に住居のチャイムが鳴る」違和感を叩きつける構成、憎いなあ。 続き、めちゃくちゃ気になるよ。