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仙崎ひとみ/九龍
紙吹みつ葉
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「二年付き合って一年同棲して、それでも『あなたと和也君が同じくらい好き』と彩は言ったの。幸せの絶頂である今でも和也君を超える事が出来ない。死んだ和也君は色褪せる事無く彩の中で生き続ける。その事実にあなたは絶望したの」
明菜はショックを受ける拓馬に追い打ちをかけた。
「俺は絶望していたんですか? 彩さんは同じ位好きだと言ったんでしょ? それでも絶望したんですか?」
「あなたは永遠に一番になれないと悟ったの。心から愛する人の一番になれない事がどれ程ショックな事かわかる?」
――そう聞かれても、今の俺にはそこまでの気持ちは理解出来ない。長い期間一緒に過ごしてかけがえのない存在となった恋人なんていた事が無いから。もしそんな恋人が居て、その人の心に忘れられない大切な人が居たらどんな気持ちになるのだろう。広い心で受け止められるのだろうか? それとも、心を独り占め出来ない事実に絶望するのだろうか?
――相手は死んでいるのだ。会う事も浮気する事も有り得ない。だけど、死んでいるからこそ、思い出は色褪せない。相手を嫌いになる事も飽きる事も無い。それはとても怖いと思う。もし、彩さんが俺の嫌なところを見つけたらどんな気持ちになるのだろうか? もし、彩さんが長く俺と暮らして新鮮味が無くなったらどんな気持ちになるのだろうか? 俺は同率一位から二位に転落してしまう。俺は生きている限り失点に怯えないといけなくなるのだ。
「あなたは彩にこう聞いたの、『もし和也君が生きていたとしたら、今と同じように俺と付き合っていたかな』って」
――それはとても怖い質問だ。こんな質問をされたとして、どう答えるのだろうか? 普通であれば、今の恋人の気持ちを優先して、「あなたと付き合っている」と言うだろう。
――元カレは死んでいて、現実にはあり得ない仮定の話を聞いている。この質問は相手に答えを求めているが、厳密に言えば質問ではない。決まった答えを要求する、乱暴に言えば脅しなのだ。
「彩さんは何て答えたんですか?」
拓馬の声が微かに震えている。
「彩はね、『わからない』って答えたの。あなたの気持ちを優先する事無く、本心を素直に答えたのよ。それを聞いたあなたは絶望したわ。彩が何と言い訳しようと自分は和也の代用品なんだって」
――絶望した……。俺は絶望したのか……。俺の聞きたい答えは「わからない」じゃなかった。ここで「あなたと付き合っている」以外の答えは全て、俺自身を否定されたと考えてしまった筈だ。
「絶望したあなたは、彩と別れる決心をしたの」
明菜は別の一線まで超えてしまった。拓馬を手に入れる為に嘘まで吐いてしまったのだ。
「別れる……」
「拓ちゃんも本心から望んでいる事じゃないのはわかったわ。でも、あれだけ愛していた彩と別れる決心をするほど、絶望したあなたを見ていられなかった。だから私は隠していた気持ちを伝えたの『あなたが好き』って」
「明菜さんが? 俺を?」
「ずっと好きだった。でも、彩とあなたの仲を壊したく無くて隠していた。でも我慢がならなかったの。拓ちゃんも私を受け入れてくれた。『彩と別れて明菜と付き合う』って」
拓馬は目の前がグルグル回る気がした。急に酔いが回ってきたようだ。大した量を飲んだ訳じゃないのに、悪酔いした状態になった。
「うっ」
拓馬は口を押さえて、慌てて台所へ急ぐ。流しに辿り着くと、えづきながら胃の中の物をもどした。
「大丈夫?」
明菜が心配そうに拓馬の背中をさする。
「さあ、顔を洗って」
蛇口から水を出し、拓馬に促す。拓馬は素直に明菜に従った。
顔を洗い終えると、明菜が拓馬にタオルを差し出した。
「あ、ありがとうございます。すみません、汚しちゃって」
「気にする事はないよ。ショックだったでしょうから」
明菜はそう言うと、拓馬の頭を優しく撫でた。拓馬はそれが心地良く、されるがままに受け入れた。
「座って水を飲んで」
明菜に促されて、拓馬はダイニングテーブルの椅子に座り、目の前に置かれた水を口に運んだ。
普通の水だったが、体に染み透るように美味しく感じた。
「ごめんね……聞きたく無かったよね……」
明菜は拓馬の頭を優しく抱きしめた。
「明菜さん……」
明菜は座っている拓馬の頭に、ゆっくりとキスをした。
「病室で言った事、冗談じゃ無かったのよ」
「病室で言った事?」
「私と付き合えば良いって言った事よ。あなたは彩と別れて私と付き合うつもりだったんだから。彩には言わなかったけど、私も昔、和也君が好きだったの。でも、私は彩とは違う、あなたが一番好き、和也君よりも好きよ」
拓馬はもう訳が分からなくなった。
――俺から見て、彩さんと明菜さんは本当に仲の良い親友に見えた。なのに、明菜さんは俺を奪おうとした。俺も彩さんと別れて、明菜さんと付き合おうとしただなんて……。
明菜がもう一度キスをしようとした時、拓馬は立ち上がった。
「帰ります」
「えっ? でも、まだ顔色が悪いわ。もう少し休んだ方が良いよ」
「ありがとうございます。でも、俺……」
拓馬は明菜の手を振り切るように、掛けてあったコートを掴んで玄関に向かった。
「私、本気だから……」
玄関まで見送りに来た明菜が、拓馬の背中に言う。拓馬の動きが止まり、振り返って明菜を見る。泣きそうな顔をしている明菜に、拓馬は何も言う事が出来なかった。
「さようなら」
拓馬はそう短く言うと、部屋を出て行った。明菜は呆然とした様子で、拓馬の出て行った玄関のドアを見つめていた。
明菜はしばらくドアを見つめていたが、小さく溜息を吐くと部屋の奥へと動き出した。寝室に入ると倒れ込むように、ベッドに仰向けで寝転がった。
――とうとうやってしまった。和也君の時から溜めていた気持ちが破裂して抑えられなかった。しかも嘘まで吐いた。私は最低だ。嘘を吐いた事がばれれば拓ちゃんも離れて行くだろう。記憶が戻ればそうなる筈だ。
――拓ちゃんは私を振り切って帰った。きっとあのままここに居たら最後までいっていただろう。拓ちゃんはそれが怖くて出て行ったんだろうか……。
――きっと彩は私を恨むだろう。当たり前だ。恨まれる覚悟も無くあんな事をするなんて調子良すぎる。もう二度と何でも話せる親友には戻れない。私は自分を助けてくれた人を裏切ったんだ。
明菜の頭の中に、彩との楽しかった思い出が甦ってくる。目の端から涙が零れ、耳を伝ってベッドの上に落ちた。