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第103話:発掘された『魂の叫び』〜税務調査官による黒歴史の朗読と、精神的死〜
ガサガサ、バサッ。
北海道、帯広市。
春の冷ややかな風が吹き込む四畳半のアパートに、無慈悲な紙の擦れる音が響き渡っていた。
「……ふむ。これは、ただのスーパーの半額シールの束ですね。経費には計上されていないようですが」
「だ、だから言ったじゃないですか! それはただの個人的なゴミ箱なんです! 税務調査には全く関係ないんですってば!」
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、涙声で訴え続けていた。
だが、帯広税務署・法人課税部門の調査官である黒岩は、俺の悲鳴など一切意に介さず、【とりあえずダンボール】の中身を冷徹な手つきで漁り続けている。
彼の手には、薄汚れた軍手が装着されていた。
税務調査官の『本気』である。
「秋谷社長。申告から漏れている『簿外資産』や『裏帳簿』というものは、往々にしてこういった無防備な場所に隠されているものです。念には念を入れさせていただきます」
黒岩は淡々と答えながら、電気代の督促状、ピザのチラシ、ヨモ(飼い猫)のワクチン接種証明書などを次々と仕分けしていく。
(……やばい。やばい、やばい、やばい!)
俺の全身の毛穴から、冷や汗が噴き出していた。
脱税は見つからない。
なぜなら、脱税なんて高度なことができる脳みそを俺は持ち合わせていないし、経理は結愛(ゆあ)とジェミニ先生が完璧に仕上げているからだ。
俺が恐れているのは、国家権力の摘発ではない。
俺自身の【社会的・精神的尊厳の完全なる破壊】である。
「……ん?」
不意に、黒岩の手が止まった。
ダンボールの一番底。
そこから彼が引きずり出したのは、コーヒーのシミが点々とついた、一枚の四つ折りのA4用紙だった。
「あっ!!」
俺の心臓が、喉から飛び出そうになった。
「そ、それは!! だめだ、それだけは!!」
俺は直立不動の姿勢から弾かれたように飛び出し、黒岩の手からその紙を奪い取ろうとダイブした。
しかし、黒岩は闘牛士のような滑らかな動きで俺の突進を躱すと、銀縁メガネの奥の目をスッと細めた。
「……異様に慌てておられますね。領収書でも請求書でもないようですが、手書きの修正跡がびっしりと書き込まれています。事業計画書、あるいは……何らかの隠語で書かれた『裏の取引記録』でしょうか」
「違います!! 取引とかそんなカッコいいもんじゃありません!! ただの痛いポエムです!!」
俺が畳の上を転げ回りながら絶叫する中、黒岩はその四つ折りの紙を、ゆっくりと、ペラリと開いた。
『ルシフェル社長。心拍数が危険域を突破しています。AEDの手配が必要ですか?』
イヤホンから結愛の冷静な声が聞こえるが、俺はもう返事すらできなかった。
「……では、確認のため、内容を読み上げさせていただきます」
黒岩は、税務署の会議室で報告書を読み上げるような、極めて事務的で、一切の感情を排した声で、その紙に書かれた文字を音読し始めた。
「タイトル……『40歳高齢無職オタクの質感。あるニートのおっさんの1年』」
「ぎゃあああああああああっ!!!」
俺は両手で顔を覆い、四畳半の畳の上でのたうち回った。
出た。
出てしまった。
それは、俺がまだ何者でもなく、ただ配信を見ては絶望していた数年前。
某大手VTuberの「お便り募集企画」に送りつけた、あまりにも惨めで、あまりにも痛々しい、【魂の悩み相談メール】の下書きだった。
黒岩は、俺の絶叫を完全に無視し、淡々と、そして流暢に朗読を続ける。
「『……うすら体調悪い状態で朝7時に起きる。Xを確認し、VTuberの投稿を見たという証拠に、いいねを押していく』……」
「やめてえええええ! 読まないでえええええ!」
「『……最近の3Dゲームが動くパソコンを持っているわけでもないので、格安スマホでカクカクの映像を見ながらログインと多少のデイリーをするが、システムがよく分からず適当に連打している。その勉強をする気力がない』」
「死ぬ!! 俺が死ぬ!! 精神が死ぬ!!」
黒岩の声は、無慈悲なほどに澄み渡っていた。
帯広税務署のエリート調査官の美声で読み上げられる、四十歳のおっさんの圧倒的な底辺エピソード。
これほどの公開処刑が、日本の法律で許されていいはずがない。
「『……朝ごはんは一切食べず、ストアで買った安売りのインスタントラーメンを昼飯に作り、YouTubeと昼のワイドショーを見る。気になった話題をジェミニに尋ねるが、自分の頭ではもう考えられないので頼っている』」
『……ほう。私(ジェミニ)の利用履歴の申告ですね。事実関係に相違はありません』
「ジェミニ先生も追い打ちかけないで!!」
黒岩の朗読は、いよいよ核心(最も痛い部分)へと突入していく。
「『……企業VTuberになりたくて応募したオーディションは、毎年動画再生すらされずに落選している。年齢がもうダメなんだろうなと気づいているが、今更若返ることもできないので無視して応募し続ける』」
「ぐふぅっ……!!」
俺の口から、致命傷を負ったようなカエル声が漏れた。
HPはすでにゼロを振り切っている。
「『……ライトノベル作家にもなりたいので、作品の設定を考える。いまだに1行も本文を書いていないが、遅咲きの作家がデビューしたと知り勇気づけられる』……」
ピタリ、と。
そこで、黒岩の朗読が止まった。
四畳半に、静寂が落ちる。
外から聞こえる、帯広の春の風の音だけが、やけに鮮明に響いていた。
俺は、畳に顔を押し付けたまま、灰のように白く燃え尽きていた。
税金を徴収される前に、俺という人間の尊厳が完全に差し押さえられてしまった。
「……秋谷社長」
数秒の沈黙の後、黒岩が静かに口を開いた。
「は、はい……」
「これは……一体、何の暗号なのですか?」
「……え?」
俺は、ピクッと顔を上げた。
黒岩は、真剣な、まるで未解決事件の証拠品を睨むような鋭い目つきで、そのプリントアウトを見つめていた。
「1行も本文を書いていないのに、ライトノベル作家を目指す……? 格安スマホでカクカクの映像を見ながら、企業VTuberのオーディションに落ち続ける……?」
黒岩は、理解不能な宇宙語を解読しようとするかのように、眉間に深いシワを寄せた。
「我が国における一般的な経済活動、および論理的な人間の思考プロセスから著しく逸脱しています。……秋谷社長、正直に答えてください」
黒岩が、俺の顔を真っ直ぐに見据える。
「この文章は……架空の経費を計上するため、あるいは税務署の目を欺くために創作された、『ダミーの設定資料』ではありませんか?」
「…………は?」
俺は、ポカンと口を開けた。
『……なるほど』
イヤホンの向こうで、結愛が氷のような声で呟く。
『エリートである税務調査官の常識からすれば、四十歳の人間がここまで無為無策で生産性のない生活を送り、かつそれを自虐的に文章化して見ず知らずのVTuberに送りつけるなどという行動は……【フィクション】にしか思えないのですね』
「嘘だろ……」
俺の底辺のリアル(質感)が、あまりにも悲惨すぎたせいで。
国家権力から「これは脱税のための架空のキャラクター設定だろ」と疑われるという、前代未聞の事態に発展してしまったのだ。
「秋谷社長。この文章の出所と、作成の意図について、詳細な説明を求めます。もしこれが、国税庁を欺くための工作であるとすれば……」
黒岩のメガネが、ギラリと光った。
「悪質な【仮装・隠蔽行為】として、重加算税の対象となる可能性があります」
「違います!! 工作じゃありません!! 全部実話です!! 悲しいけど、全部、俺の本当の過去なんですゥゥゥ!!」
俺は、畳をバンバンと叩きながら、血の涙を流して叫んだ。
税務調査を乗り切るためには、俺はこれから。
冷徹な税務調査官に向かって、「俺がいかに惨めで、怠惰で、1行も小説を書けない痛いおっさんであったか」を、証拠(実際のVTuberの配信アーカイブなど)を交えて、論理的にプレゼンし、証明しなければならないのだ。
(誰か殺してくれ……っ! いっそ30万払うから、この記憶を消してくれ……っ!!)
帯広の四畳半。
株式会社インフィニティ・ワンの代表取締役は、己の『黒歴史』という名の最も重い税金を、今まさに精神で支払わされようとしていたのであった。
コメント
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ああああ読んでるこっちまで恥ずかしくなったわ!!笑ったけど!!w 税務調査でまさかの黒歴史ポエム発掘、しかも調査官にガチ読みされるって地獄すぎるだろ…。でも「これは脱税のためのダミー設定資料では?」って疑われる展開、予想外すぎて声出たわ。ジェミニ先生が「事実関係に相違ありません」って追い討ち入れるのも最高だった。 底辺のリアルがリアルすぎて“フィクション扱い”される主人公、尊厳の差し押さえ、完全に決まったな…次話も楽しみにしてる🔥