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バイト先近くのバス停。
そんなところで待ち合わせって、どういうことだろう、何て考えながら、坂を下る。何だか、懐かしさも覚えて、ゆず君と出会ったときのことを思い返していた。もう、あれから何ヶ月も経って、でも瞼を閉じればすぐに思い出せる、あの日のこと。衝撃過ぎる、そして、突然の『お願い』に俺は戸惑ってしまって、でも、それを聞き入れるしかなかった。BL小説のモデルになって下さい、なんていわれてからずっと付合ってきて、それで、恋人役から本物の恋人に昇進して。変態チックなプレイをしながらも、お互い惹かれあっていって。
「ふはっ……」
思い出せば、思わず笑いが込み上げてきてしまう。でも、心臓はそんな笑いに対して、非情に冷静で、それどころか、これから起きるかも知れない最悪の出来事を暗示するように静かに早鐘を打つ。
ここら辺は、街灯が少ないから、点々とした人工的な明りが途切れ途切れで見える。
もうすぐ夜を運んでくる、そんな夕方と夜の境目。影は長く黒く伸びてバス停が近付いてきて、人影が見えると、俺の足はだんだんと減速していく。
こちらに気がついた亜麻色は、ふっと振返って、俺をその宵色の瞳で捉えた。
「紡さん」
「ゆず君」
互いの名前を呼び合って、駆け寄る。近付きすぎて、ぶつかりそうになって、距離を取る。
ゆず君は、何処か安心したように、俺を見て胸をなで下ろしていた。少し伸びた横の毛を指で絡めて、下唇をちろりと舐めて引っ込める。それから、繕ったようなでも、いつもの笑顔を俺に向けてもう一度、俺の名前を呼んだ。
「すみません、こんな時間に呼び出しちゃって。仕事が長引いちゃったんですよね、『俺』」
「そう、だったんだ。別に大丈夫だよ。あや君の夕ご飯も作ってきたところだし」
「さっすが、紡さん。あや君も良いですよね、こんないいお兄ちゃんを持って。俺も、兄弟欲しかったです」
「確かに、兄弟がいると楽しいよ。妹が出来ても良かったって思ってる」
「え~じゃあ、僕が、紡さんの弟になりますよ」
「いやいや、ゆず君は俺の恋人じゃん」
なんて、素直に誉めてくれるゆず君は矢っ張り可愛いと思う。
映画の撮影かなあ、なんて考えながら、俺は呼び出された訳が早く知りたくて仕方がなかった。何だか落ち着かない。ソワソワしているのだ。それを、読み取ったのか、ゆず君は首に手を当てて、「あー」と何度か、呟いた。いいにくそうにごもって、どう切り出したら良いか分からないような、そんな印象を受ける。
「今日、呼び出した理由なんですけどね」
「うん」
「……えーあー、うん。ちょっと待って下さい。落ち着きます」
と、らしくないことを言って、ゆず君は何度か深呼吸をしていた。今まで見たことの無い、少し動揺したゆず君を見て、俺の不安はどんどんと募っていくばかりだった。
ダサジャージの裾を握っては、離して。顔を触ったり、眉をかいたり。
言葉通り、落ち着かない様子で、ゆず君はその場で何度か足踏みをした。そうして、ふぅ……と最後息を吐いた後、俺の方を真っ直ぐと見た。
彼の宵色の瞳には、夕日が映っており、俺の夕焼けの瞳には、夜の色が映り込んだ。
「『俺』たち、別れましょう」
「え……」
一瞬理解できなかった。でも、すぐに、ひいては押し寄せる波、津波のように怒濤にその言葉が俺の頭の中に入ってくる。
(何、いま、え……別れようっていった?)
理解したくないけど、しろと、頭がいってくる。そして、追い打ちをかけるようにゆず君は続けた。
「元々、BL小説のモデルになって下さいっていう僕の我儘から始まった関係でしょ。何て言うんですっけ、吊り橋効果? いや、違うか、何ちゃら効果とか、そういう奴で、紡さん僕のこと好きになっちゃったんじゃないかなあなんて思っちゃったんですよ。それが、何だか申し訳なくなってきて。だって、紡さん、元々、女の子が好きなんでしょ。だから」
「待って、ゆず君。何か、理由があるならいってよ。俺の何が悪かったの」
落ち着け、と俺は、自分に言う。
ここで、取り乱したら、いけないって、俺は俺に言い聞かせる。
ゆず君は喉を絞めるようにして、手を当て、無理したように笑う。痛々しい。何でそんな風に笑うのかも分からなかった。瞬きを何回もして、目が乾いたというように目を擦って。何度も乾いた笑みを、ハハって零しながら、自分を悲観するように笑うゆず君。
別れ話も、いきなりで、何の予告もなくて、何よりも――
「別れた方が、紡さんの為だと思ったんです。だから、どうか、受け入れて下さい」
「ゆず君」
「『俺』これ以上、紡さんの事、愛せる自信無いです」
その一言で、俺は突き放されたような気持ちになった。
否、その言葉が嘘だって、俺は気付いてしまった。だって、ゆず君は……
(癖……演技……嘘つくときゆず君、一人称が『俺』になるよね)
何を隠しているのか、それは、俺を守る為なのか、なんて俺は別れをきりだして「それじゃ」と去って行くゆず君の背中を見て、一人世界に取り残されたように、ポツンとその場に立ち尽くした。