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hotaru🌙
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時計店の扉を閉めた目黒は一度足を止め、降り頻る雨の匂いを目一杯肺腑に満たし、細く、ゆっくりと吐いていく。溢れそうになる感情を其の息に乗せて流し、そして真っ直ぐに前だけを見据えて歩き出した。
ガチャガチャと腰元の軍刀を重く鳴らし、しっかりとした足取りで角を曲がった先に、
「…御館様。」
大きな傘を広げて待って居たラウールが、静かに頭を下げた。
「…此れより、連隊本部へ向かいます。」
「あぁ。」
目黒は短く答え、差し出された傘の下へと入る。軍服の襟に落ちる雨粒が、冷たく首筋を濡らした。
二人で乗り込んだ黒塗りの車内は、息が詰まる様な静寂に満ちていた。窓の外を、雨に濡れる瓦斯灯が幾重にも流れて行く。
ラウールは助手席から、鏡越しに後部座席の目黒をそっと伺った。
目黒の手には車に乗り込んだ際に胸元から取り出した、見慣れない時計が静かに置かれていた。蓋を開いて眺める彼の表情はいつも通りの冷めたものだったが、其の掌だけは、宝物を愛おしむ様に微かに力を込めていた。
(…向井様からの代物なのかな…。)
ラウールは胸の奥で静かに呟き、目黒が此方の見つめる気配に気付くより早く、前方へと視線を向けた。
──軈て、車が連隊本部の重厚な門前に停まり、ラウールは運転手と共に車を降りた目黒の背後に並ぶ。
「…御館様。」
背筋を改めて伸ばした目黒が緩やかに振り返り、声を掛けたラウールを見据える。其の瞳は軍人へと切り替えた後の、刃物の様に鋭いものへと既に変わっていた。
「…どうぞ、御無事で。」
いつもなら、《行ってらっしゃいませ。》とだけ云って見送るラウールの声には、痛い程の切祈が込められていた。独りで全てを背負い続けてきた主が見付けた温かな居場所を、こんな理不尽な時代の波に奪わせたくは無かった。
そんなラウールの初めて聞く祈りに目黒は一瞬だけ目を見開くも、
「約束は出来ない。」
即座に前を向き直し、極めて冷徹に其の願いを断ち切っては、決意を込めた足取りで暗雲立ち込める戦地への第一歩を踏み出した。
向井時計店の一日は、目黒が出征してからも何一つ変わる事無く過ぎて行った。
朝になれば店を開け、古びた柱時計の挙動を確かめ、預かった小物の時計達を一つずつ丁寧に作業台へ並べる。其の間も、売り物である幾つもの時計の各々が僅かに異なる音を奏で乍ら、同じ時間を刻んでいる。
けれど向井には、其の音が以前よりずっと大きく聞こえる様になっていた。
「…今日も雨かぁ。戦地、大丈夫やろか…。」
店の窓を伝う雨粒を眺め、一時的に作業を止めると、向井は頬杖をついてぽつりと呟く。
目黒が出征してから何日経ったのか、指折り数える事はとうに止めていた。数えれば数える程、時間の長さを思い知らされる気がしたからだ。
目黒が最後に此処を出て行った日の事は、今でも鮮明に覚えている。
胸元へ仕舞われた、あの懐中時計はちゃんと動いているのか。彼は無事なのか…一つ考え始めれば切りが無い。
だからこそ向井は今日も又、目の前の時計へと視線を落とした。
「…大丈夫や。目黒さんは絶対帰って来る。」
誰に聞かせるでも無く、自分自身へ言い聞かせる。
そうして頬をパンッと強めに叩いて《うっし!》と鼓舞すると、向井は再びルーペを片目に着け、手元の細かな歯車へと集中し始めた。
──其の昼を少し過ぎた頃だった。
店の外から聞き慣れない足音が近付き、コンコン、と扉を叩かれる。向井が顔を上げるも、扉の窓から見えた其れは客では無く、
「こんにちは、郵便です。」
配達員の姿と扉を隔てて発せられるくぐもった其の一言に、向井の手が止まった。
(…郵便?俺に?)
普段、店に届く手紙等殆ど無い。向井は首を傾げ乍ら扉を開けた。
「向井康二さん、で御間違い無いですか?」
「はい…。」
「此方を。」
差し出された一通の封書。
(…誰や?)
受け取るなり何気無く封筒を裏返す。差出人として記された文字を見た瞬間、胸が大きく鳴った。
“目黒蓮”
「え、目黒 さん…?」
思わず声が漏れる。
手紙を送ってくる等、聞いていなかった。
そもそも戦地に居る人間から手紙が届く等、考えた事すらも。
…指先が僅かに、震える。
「…此れ、ほんまに俺に?」
「先程、宛名を確認致しましたから、御間違い無いかと。」
「そう、ですか。」
上手く息が出来ない。
封書一通…たった其れだけなのに、向井の手元に、遠く離れた場所で生きて居る目黒の存在が在る気がした。
向井は尚も震える手で封書を胸に寄せる。
「…確かに受け取りました。御苦労様です。」
「では、失礼致します。」
帽子の目庇に指をあてる郵便配達員を見送り、静かに扉を閉める。チリンと鳴る小さな鈴の音の後、店内には時計達の進める針の音だけが響く。
向井は暫く呆然として、其の場から動けなかった。
漸く意を決した向井は鋏を取り出し、紙を傷付けない様に慎重に封を開いた。引き出された便箋を指先でなぞると、上質な和紙のざらりとした感触と共に香る、仄かに染み付いた目黒の煙草の匂い。
其処に並んでいたのは、目黒の人柄其のものを映した、一切の乱れが無い端正な文字だった。
“向井康二殿
此方は無事だ。
其方も息災に過ごしている事と思う。
時計は変わらず正確に動いてくれている。
務めを終えれば直ぐに返却しに行く。
身体を大切に。
目黒蓮”
目黒らしい短めな文章を最後迄読み終えた所で、ぽたり、と紙の上へ温かな雫が落ちる。文字が滲んでしまわぬよう、向井は慌てて袖口で目元を拭うと、大きな安堵と緊張の解れから、へたり込む様に其の場に膝をついた。
「………良かったぁ…。」
自作の時計が、遠い戦地で今も変わらず時間を刻み続けている。
そして何より…彼は確かに今、此の空の下で生きて居てくれている。
ずっと胸の奥に冷たく張り付いていた重たい不安が、ゆっくりと解けていく。
向井は何度も手紙の文字を目で辿り、折目に沿って丁寧に畳むと、
「…ほな、待っとるからな。」
普段大事な釣り銭と帳面を入れている一番上の引き出しへ、傷付かない様そっと仕舞う。パタンと引き出しを閉める音が静かな店内に響いた。
コメント
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めめこじ🖤🧡って、めっちゃエチエチか、めっちゃ甘酸っぱいか!ですよね😼 こちらは甘酸っぱい感じで(*ノェノ)キャーって悶えてます✨