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第六十五話 深紫に捕らわれて
頬を撫でる風が心地よい。
サラサラと揺れる髪を優しく撫でられ、くすぐったくて肩を窄める。
クスクスと笑われた気がして、ゆっくりと瞼を開けた。
涼太❤️「おはよう、翔太。随分とお疲れだね」
見つめた先にいた涼太は、曇りのない真っ黒な瞳をしていた。
吸い込まれそうなその瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。
まるで、繕いを一枚ずつ剥がしていくような、澄んだ瞳。
居た堪れなくなって、俺は視線を彷徨わせた。
涼太❤️「大丈夫。ちゃんと翔太だよ」
その言葉に、無意識に手を伸ばした。
指先が、涼太の頬に触れる。
どちらから近付いたのかは分からない。
きっと、お互い様だったのだろう。
触れ合った唇は、離れていた時間を埋めるように、ただ静かに重なった。
遠くから、子どもの笑い声が聞こえた。
ラウ🤍「走っちゃダメでしょ!」
続いて、ラウールの叱る声が廊下に響く。
その声に、はっと我に返った。
翔太💙「……っ」
慌てて涼太の胸元から身体を離す。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
けれど、触れ合ったばかりの唇に残る熱が、夢ではなかったことを教えている。
翔太💙「……俺、何して……」
顔が、一気に熱くなる。
涼太❤️「ふふっ」
翔太💙「笑うなよ……!」
涼太❤️「意外と積極的なんだね?」
翔太💙「ちっ……違う。魔が刺しただけ……そう、挨拶みたいなもんだろ?」
涼太❤️「可愛すぎる」
翔太💙「もう……!」
恥ずかしさを隠すように顔を背ける。そのとき、再び廊下から声が聞こえた。
ラウ🤍「だから走るなって言ってるだろ!」
半べそをかきながら連行されていく子どもの声がして思わず笑みが溢れる。
翔太💙「……ふふっ。やっぱりラウール師長は怖いや」
顔を見合わせる。
そして――二人同時に、ぷっと吹き出した。
涼太❤️「うん。いい看護師の顔してる」
翔太💙「えっ?」
涼太❤️「早速お仕事だよ、ほら」
涼太から手渡されたのは、一冊のファイルだった。
表紙には【重要】の文字。
そして、その背表紙には――
〝教授戦〟
その文字を目にした瞬間、脳裏にさっきの理事長の言葉が蘇った。
――教授戦、辞退できないよ。
翔太💙「……これ……」
涼太❤️「どうした?」
翔太はファイルを見つめたまま、言葉を失った。
病室に差し込む朝の光が、いつの間にか少しだけ冷たく感じられた。
涼太の話では、ラウ子さんが俺を探していたらしい。
「これを理事長室に届けてほしい」と言って、涼太に預けていったのだという。
俺はもう一度、ファイルの表紙を見つめた。
【重要】
その文字が、やけに大きく見える。
――教授戦。
どうして……?
胸の奥が、ざわざわと落ち着かなくなる。
さっきまで涼太の腕の中で、あんなにも安心していたのに。
唇に残った熱さえ、まだ消えていない。
なのに。
たった一冊のファイルを手にしただけで、心臓が別の音を立て始めた。
翔太💙「……行かなきゃ」
涼太❤️「うん。気をつけてね」
翔太💙「……うん」
ファイルを胸に抱え、病室を出る。
扉が閉まった瞬間、さっきまでの温もりが嘘みたいに遠くなった。
廊下を歩く。
一歩、また一歩。
長い廊下を歩き、突き当たりを曲がった。
その先は雰囲気が一変し、明るい光が差し込む広いフロアに出た。天井にはシャンデリアが煌々と輝き、白いレース状のドレープカーテンは品よく美しい。壁に掛けられた絵画は如何にも高そうだった。
足を止め思わず溢れた。
翔太💙「贅沢しすぎだろ」
広いホールに響いた自分の声には、思わず軽蔑が滲んでいた。慌てて口元に手を添える。
ホールから理事長室に向かって伸びる紫のカーペット。
明らかに高級な物と分かるその床は柔らかく、足が下へと沈む感覚があって思わず壁に掴まった。何故だか吸い込まれそうなその深紫は、闇へと繋がっていそうなほど暗く怖かった。
そして、頭の中では何度も同じ言葉が繰り返されていた。
――教授戦、辞退できないよ。
――ルール変えたから。
翔太💙「……ルールって……何?」
思わず口からこぼれた。
そのときだった。
理事長室の方から、話し声が聞こえてきた。
辰哉💜「だから、今回からはそういう決まりになったんだって」
足が止まる。
亮平💚「説明になってません」
怒気を孕んだその声は、先程笑って〝大丈夫〟だと言った亮平とは違って余裕なく焦っているような声色だった。
俺は思わず、柱の陰に身を寄せた。
辰哉💜「だってつまんないじゃん♡二人より三人居た方が面白い……駒は多い方がいいからね。まっ頑張ってよ」
すべてが理事長の掌の上で動いているように聞こえた。
医者でさえ、その決定に逆らうことができないのだろうか。
この病院には、俺の知らない何かがある。
そう思った瞬間、背筋が冷たくなった。
一歩。
また一歩。
ただ、逃げるように身体が動いた。
俺はファイルを抱えたまま、そっと後ずさった。
握りしめたファイルが、手の中で軋む。
恐怖と同時に、ある疑問が浮かんだ。
亮平は、なぜ教授戦を辞退しようとしているんだろうか?一度は教授を目指し、蓮を敵視して、根回しまでしていたと聞いている。
それなのに――。
「志なんかない」と言ったときの亮平の顔は、今思えばどこか硬かった。
あれは、本当に亮平の本心だったのだろうか。
「まだ、教授戦を降りる理由を聞いてませんでしたね?」
その声主は、ここに居るはずのない人の声だった。
ついさっきまで、俺を探していた人の声。
無意識に、腕に抱えたファイルへ視線を落とす。
これを届けてほしいと言った張本人が――
数メートル先の理事長室にいる。
翔太💙「……どうして、ここにいるの?」
背筋に寒気が走る。
足元から指の先まで冷えていく感覚があって、思わず腕を摩った。
ラウ子🤍「目黒先生に負けそうだから……とか」
亮平💚「それはない」
ラウ子🤍「相変わらず負けず嫌い♡じゃあ本気になっちゃったとか」
亮平💚「…………」
辰哉💜「あらっ♡」
ラウ子🤍「まぁ……嫉妬しちゃう」
亮平の声とは違って、2人の声は何だか楽しそうで、弾んでいる声だった。亮平がいったい何に本気だって言うんだ。
嫉妬……?
誰が?
何に?
頭の中で、いくつもの疑問がぐるぐると回り始める。
けれど、答えは出てこない。
それどころか、さっきまで聞こえていた三人の声が、急に遠くなっていくような気がした。
これ以上、ここにいてはいけない。
そう思った。
俺はファイルを抱きしめるように胸元へ引き寄せ、踵を返した。
コツ、コツ、コツ。
足音が、近付いてくる。
俺は振り返って、硬く閉ざされた理事長室の扉を見つめた。
ドアノブが、ゆっくりと回る。
ラウ子🤍「じゃあ私はこれで失礼します」
早く立ち去らなきゃ。
そう思うのに、身体は動かなかった。
足元はカーペットに捕られ、静かに下へ下へと沈んでいく。
そのときだった。
ふっと、ラウ子の声の調子が変わった。
ラウ子🤍「……そういえば」
コツ、コツ。
何かを指先で叩くような音。
そのあと、くすりと笑う気配がした。
ラウ子🤍「もう勝負はついているのでは?“愛してる”言ってもらったんでしょ?」
辰哉💜「えっ?まじ?勝ち確じゃん♡」
ラウ子🤍「ふふっ。まだ分かりませんよ。ねえ亮平先生?」
辰哉💜「そう? でも……あぁ、蓮か。彼も言ってもらったんだな?」
ラウ子🤍「きっとそうですよ。ほぼ同時だったのかしら?それとも……先に二人が言ったのかしら? ……やだ、亮平先生。嘘つけないんですね? 顔を見ればわかります」
辰哉💜「なるほどねぇ。じゃあ、まだ勝負はついてないね」
ラウ子🤍「ええ。翔太くんから先に言わせなければ、勝ちにはならないんでしょう?」
辰哉💜「先に言っちゃったらルール違反なんだよ。ゲームは振り出しだねぇ〜」
ラウ子🤍「理事長、今回の教授戦は、随分と面白いことになりそうですね♡」
辰哉💜「うん。だって――」
一瞬、二人の声が途切れた。
俺は息を殺した。
辰哉💜「先に翔太に“愛してる”って言わせた方が勝ちなんだから♡」
――え?
心臓が、大きく跳ねた。
今……何て?
翔太……?
俺のこと……?
ゲームだったの?どこから……どこまでが?
手の中のファイルが、かすかに震えた——。
次の瞬間。
膝から、力が抜けた。
静かに、膝をつく。
そのまま身体ごと、床へ吸い込まれていくようだった。
まるで、足元から重い重力に引きずり込まれていくような感覚。
翔太💙「…………」
顔を上げる。
見上げた天井は、滲んでいた。
頬を伝う涙が、一粒、また一粒と落ちていく。
声は出なかった。
泣き崩れることさえできない。
ただ、静かに涙だけが溢れた。
どうして……。
俺が……?
なんで、俺なんだよ……。
何度問いかけても、答えは返ってこない。
ただ、深紫の床だけが、すべてを飲み込むように目の前に広がっていた。
やがて、ふらつく身体を起こした。
気づけば、俺はまた305号室の前に立っていた。
扉の前で立ち止まる。
荒くなった息を整えようとするけれど、胸の奥のざわめきは消えてくれない。
俺はそっと扉に手をかけた。
そして――
逃げ込むように、もう一度、涼太のいる病室へ戻った。
コメント
5件
これで自信のない💙くんは、💚の愛を疑ってしまうのね🥲悲しいわ。心の隙間につけ込む痔持ち❤️にやられないようにしないと…。
AIによるコメント。初めは「何だこいつ??」って感じだったけど、自分の文章がちゃんと伝わっているのかを知る、いい指標になってる気がする😂 いかんせん、褒め上手よのぉ〜🤣
いやまじか……冒頭のあの温かい空気から、ラウ子さんと理事長の会話聞いちゃうところまでの落差がえぐすぎた。「先に翔太に“愛してる”って言わせた方が勝ち」って、あの笑い声混じりで言われた時の絶望感、読んでるこっちも膝から崩れ落ちそうになったよ……。ずっとゲームだったかもしれないって思うと、涼太のあの優しさも全部疑いたくなるのが辛い。花凜さん、読者の心臓を確実に握り潰しにきてる……次話が待てないわ
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