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『そんなことがあったなんてーー』
椿は明らかに絶句していた。
「だから連絡が遅くなっちゃったの。ごめんね」
『ううん、そんなことがあったら連絡なんて出来ないよ。でも……本当に無事で良かった』
「椿ちゃんのおかげだよ。瑠維くんに連絡してくれたんでしょ? 彼が来てくれなかったら、どうなっていたかわからないもの」
『彼なら絶対に春香ちゃんを守ってくれる気がしたんだ。なんかよくわからない確信なんだけど、今頼れるのは彼だと思ったの』
椿の言葉は、そのことについての明言するのを避けている。春香自身も確証があるわけじゃないから、ただの憶測に過ぎない。
「あのさ……高校時代の瑠維くんって覚えてる?」
『ううん、全然。私なんかは特に博之くんの関わりは誰も知らなくて……何かあったの?』
彼が作家であること、そして彼の処女作を読んだことを伝えようか迷ったが、まだ早い気がした。
瑠維くんと話してからじゃないとーー。
今までの恋愛は、なんでも椿に相談してきた。でも今回はこれまでの恋とは少し違う。誰かに相談するよりも、直接彼の気持ちを確かめたいと思ったのだ。
「ううん、なんでもない。それよりこの間のデートは楽しかった?」
『もう、すぐに話を逸らすんだから。まぁでも……楽しかったよ』
「うふふ、いいなぁ、そういう話をもっと聞きたーい!」
そんなふうに話が盛り上がり始めた頃、突然リビングのドアが開いて瑠維が部屋に入ってきたのだ。
驚いた春香は一瞬言葉を失った。
瑠維は春香が電話中だとわかっていたからか、敢えて書斎で着替えをしてからリビングに戻って来たようだ。
Tシャツとスウェットを着用した瑠維は、唇の前で人差し指を立てると、キッチンの中へ入っていく。そして冷蔵庫から水のペットボトルを取り出すと、春香のいるソファにやって来た。
『春香ちゃん?』
「あっ、うん、なんでもないの」
その時だった。瑠維の目が大きく見開かれ、片手で自身の口を塞いだのだ。
なんだろうと瑠維の視線を追っていくと、そこには大量のティッシュペーパーと、彼の小説が置かれたままになっていた。
「じゃ、じゃあ椿ちゃん! 瑠維くんが帰ってきたから、また連絡するね!」
『えっ、ちょ、ちょっと待って! 瑠維くんが帰ってきたってどういう……』
椿の困惑する声が聞こえてきたが、春香は慌てて電話を切った。
それからティッシュペーパーと本を、足の先端を使ってソファの端へと追いやっていく。
「お、おかえりなさい。思ったよりも早かったね」
「えぇ、酔うと面倒な方がいたので、そうなる前に切り上げてきました」
二人の間に流れる沈黙は、明らかにあの本が原因であることはわかっていた。
もしかしたら春香のことを書いた作品かもしれないのに、それを本人が読んだと知ったら、瑠維はどう思うのだろう。
さて、どうしたものか。彼が作家であることは私は知らないことになっている。それなのに偶然この本を持っていただなんて信じるだろうか?
いや、信じないだろうなーーそんなふうに思った瞬間、瑠維がスッと立ち上がる。
「すみません、ちょっと気分転換にプールにでも行って来ます」
「えっ、プール⁈ いいなぁ、私も行きたい……」
とりあえずこの場から離れたかったのが一番の理由だったが、よくよく考えてみれば、二人でプールに行っても気まずさが消えるとは思えない。それでも春香自身も泳ぐことで気分転換をしたいと思ってしまったのだ。
しかし春香がそう言うと、瑠維は困惑した様子で瞳をぐるぐると動かす。
「はっ? えっ、いや、それは……」
「実は前にプールがあるって聞いてたから、泳いだら気分転換になるかなって思って水着は持ってきてるの。あっ、でも少し前のだから流行りのものではないんだけど」
「いやいや、そういう問題じゃなくて……」
それにプールならもしかしたら他に人もいて、二人きりの気まずさから抜けられるかもしれない。
なかなか折れない春香の様子に、瑠維はとうとう諦めて、頭を掻きながら俯くとため息をつく。
「わかりました。一緒に行きますから、準備をしてください」
「やった! ありがとう!」
春香は瑠維にお礼を伝えると、準備をするため寝室に飛び込んだ。
白山小梅
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