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陽太の10歳の誕生日
朝からキッチンに立ち、あの子が好きなメニューを1円の妥協もなく
最高の素材で用意していた私の元に、医療刑務所から一本の電話が入った。
『直樹被告が……どうしても、今日だけは陽太君の声を聞きたいと』
私は、煮込んでいたソースの手を止めず、冷静に時計を確認した。
「……陽太の誕生日の貴重な数分間を、その男の自己満足のために割く余裕はありません。…お断りします」
『ですが、彼は「父親としての最後の権利だ」と……』
「……その言葉、もう遅いとお伝えください」
私は電話を切り、その足で医療刑務所の面会室へと向かった。
電話ではなく、直接、彼に「引導」を渡すために。
アクリル板の向こう側
車椅子に揺られ、排泄物と消毒液の入り混じったような匂いを漂わせる男が、そこにはいた。
直樹は私を見るなり、縋るように叫んだ。
「詩織! 陽太は……陽太はどこだ! 10歳だろう? ひとこと……『おめでとう』と言わせてくれ! 俺はあいつの父親なんだ!」
「直樹、あなたは父親じゃない。……あなたは、あの子の人生における『最大の負債』だった。そして私は今日、その負債を完全に『償却』しに来たの」
私は、バッグから一枚のカードを取り出した。
それは、陽太が書いたメッセージカード……
ではなく、陽太が自ら役所に提出を希望した
「氏の変更」と「養子縁組」に関する法的な書類の写しだった。
「……陽太はね、自分の意志で、あなたの名字を捨てたわ。そして、私の父の名字を継ぐことに決めた。……あの子にとって、あなたはもう、遺伝子の配列に刻まれただけの『エラー』でしかないのよ」
「な……っ!?そんなの嘘だ! 陽太が俺を忘れるはずがない!」
「忘れる? ……いいえ、もっと残酷よ。……あの子は、あなたを『いなかったこと』にしたの。…あなたの声は、あの子にとって、ただの雑音以下の価値しかないわ」
直樹は、言葉にならない叫びを上げ、車椅子から転げ落ちた。
床に這いつくばり、泥を舐めるようにして泣き喚くその姿。
かつて、私が生活費の1円の誤差で彼に土下座させられた、あのリビングの光景がフラッシュバックする。
「……これで、お互い様ね。直樹」
私は立ち上がり、一度も振り返らずに面会室を出た。
刑務所の外に出ると、春の温かい風が吹いていた。
自宅に戻ると、陽太が笑顔で迎えてくれた。
「ママ、おかえり!待ってたよ~早く早く!」
「ごめんごめん、ご飯にしよっか。ケーキはそのあとね」
【残り40日】
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