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ルシンダが前世の記憶を取り戻した翌日。
今世では好きなように生きてみようと決意はしたものの、この身体は十歳になったばかりで、まだ一人では生活していけそうにない。
(仕方がない。もっと大きくなるまでは大人しくして、この屋敷でお世話になろう)
ふぅ、とため息を吐くと、ルシンダは義父の書斎へと向かった。朝食の時に、あとで来るようにと言われていたのだった。
書斎の扉をノックすると、中から「入れ」と義父の声が聞こえた。
「失礼します」
なんとなく校長室に入るような気持ちになりながら静かに入室すると、椅子も勧めずに義父が尋ねた。
「クリスはまだ引きこもっているのか?」
「はい。すみません、まだ仲良くなれていなくて……」
ルシンダが立ったまま謝罪する。
「まったく、あいつは……。また妹ができれば満足するかと思えば、一体いつまで意地を張るのやら。お前もさっさとあいつの機嫌をとって役に立ってみせろ」
義父はそう吐き捨てると、手で追い払うような仕草をしたので、ルシンダは一礼して部屋を出た。
(私、両親運がないのかなぁ……)
前世では望まれない子どもだったようで、ほとんど無視に近い扱いだった。グレずに育ったのは、優しい兄に恵まれたからだろう。
そして今世では、実の両親は──あまり記憶に残っていないが──ルシンダを可愛がってくれたけれど早くに亡くなってしまい、今の義両親はこんな有様だ。
(まぁ、冷たくされるのは慣れてるし、別にいいか)
どれだけ一生懸命に求めても手に入れられないものがあるのは、前世で身に染みて理解している。
自分と同じ気持ちを、相手も返してくれるとは限らない。余計な期待は持たないほうがいい。
(クリス様も、ぽっと出の私なんかに心を開いてくれるわけないよね……。でも、私の「仕事」だし、今日も行くだけ行ってみよう)
そう、ルシンダは、ある「仕事」のために引き取られたのだ。
それは、このランカスター伯爵家の嫡男であるクリスの引きこもり問題を解消すること。
クリスは、半年前に病で亡くなった妹マリアを恋しがり、ずっと部屋にこもったままなのだ。そのため、マリアと容姿の似ているルシンダが代わりの妹となることを命じられた。マリアと同じ髪と瞳の色、さらに魔力持ちであったことが決め手だった。
(お父様が、ずっと引きこもりなのは体裁が悪いからって言ってたけど、妹の身代わりをたてるほうがよっぽど体裁が悪いような気がするし、こんなことでクリス様の心に響くとも思えないんだけど……。貴族の考えることって、よく分からないなぁ……)
義両親からはクリスを「お兄様」と呼んで、毎日話しかけるように口酸っぱく言われているものの、クリスは部屋にこもりきりで、話しかけても無視されるばかりだったし、ルシンダを受け入れる気は全くなさそうだった。
クリスの部屋の前に来たルシンダは、いつものように扉の外から呼びかける。
「お兄様、ルシンダです」
「……」
案の定、無視されるが、頑張って話しかけてみる。
「今日はお天気がよくて、お外に出ると気持ちがいいですよ」
「……」
「私、花冠を作るのが得意なんです。お兄様に作ってあげますね」
「……」
「お外で一緒に遊びませんか、お兄様?」
「…………僕はお前の兄じゃないし、お前なんか妹じゃない。お前なんて要らないから、妹を……マリアを返してくれ」
やっと返事をしてもらえたと思えば、聞こえてきたのは、亡き妹マリアを求める悲痛な声だった。
(やっぱり、私がやってることは逆効果にしかなってない気がする……)
ルシンダは、すすり泣きが聞こえる部屋に背を向け、何とも言えない気持ちを抱えながら、その場を後にした。
◇◇◇
クリスの部屋にコンコンとノックの音が響く。
「クリス様、お食事をお持ちしました」
「入れ」
「失礼いたします」
「そこに置いておいてくれ……って、お前!」
ベッドで寝ていたクリスがメイドに指示しようと身体を起こすと、そこにいたのはメイドではなく、ルシンダだった。
「すみません、私、謝りたくて……」
「……謝るって、何を?」
睨むような眼差しを向けて、クリスが問いただす。
「クリス様のことをお兄様なんて呼んで、ごめんなさい。私のことは、無理に妹だなんて思わなくて大丈夫です。クリス様の妹は、マリア様ただ一人だけですから」
ルシンダがそう答えると、クリスは一瞬目を見開き、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……マリアは本当に可愛い妹だったんだ。控えめで甘えん坊で、いつも僕の後をついて回って、僕のことを心から慕ってくれていた。マリアがもうこの世にいないなんて。二度と会うことができないなんて……信じられない」
「……分かります。私も似たような経験があるので」
「お前も大事な人を亡くしたことが?」
「……はい」
「そうか、お前は孤児だったな……」
クリスは、今世の亡くなった両親のことを言っていると思っているのだろうが、正直幼すぎてあまり覚えていない。
思い出すのは、前世で大好きだった大切な兄のことだ。もう二度と会えないのだと思うと、切なくて苦しい気持ちになる。
辛そうに俯くルシンダを前に、クリスは自嘲するような笑みをこぼした。
「年下のお前がちゃんと立ち直って前を向いているというのに、僕は情けないな……。でも、両親の冷血さを改めて突きつけられて、僕も妹もあまりに哀れじゃないかって悔しかったんだ。妹が病になっても、ろくに医者にも診せてやらず、結局マリアは死んでしまった。挙句、あの両親は悲しむこともなく、妹の死を引きずる僕を面倒くさがって、お前をマリアの代わりにしようとなんてして……!」
クリスが拳をベッドに叩きつけ、肩まで伸びた銀色の髪がざわりと揺れた。
「……そんなこと、実の親のすることだろうか。僕にもその血が流れているのかと思うとぞっとする。今まではずっとマリアの存在が支えだったんだ。マリアがいなくなって、僕はどうしたらいいか分からない……。あんな奴らの血を引く僕なんて、いっそ死んでしまうのがいいのかもしれない……」
クリスの水色の瞳は暗く澱んで見え、大切な妹を失い、実の両親を信じることもできない現実への絶望に今にも飲み込まれてしまいそうだった。
(私のことはどうでもいいけど、こんなに可愛いクリス様をここまで追い詰めるなんてひどい……)
クリスは人形のような整った容姿で一見クールに思えるが、まだ十一歳の幼い子どもだ。
(私は前世でお兄ちゃんに守ってもらえたけど、クリス様は今、ひとりぼっちで震えてる。私がクリス様を守ってあげないと……!)
ルシンダはクリスの横に腰掛けて、固く握りしめたままのクリスの手を、両手でそっと包み込んだ。
「確かに、ご両親の仕打ちはあまりに心ないと思います。でも、自分が死んだほうがいいだなんて、そんなこと言わないでください。クリス様とご両親は血は繋がっているかもしれませんが、全然違います。クリス様は妹さんを可愛がって、死を悲しむことのできる優しくて温かい人です」
クリスが、驚いたような、今にも泣いてしまいそうな顔でルシンダを見つめる。
ルシンダがふわりと微笑んだ。
「それに、今は子どもだから嫌でもご両親に頼らないといけないかもしれませんが、大人になって自立すれば距離を置くこともできます。こんな家、出てっちゃってもいいんです。そうだ、私と一緒に旅に出ましょう! 私がクリス様を守りますから、安心してください!」
「……は? 旅?」
突然の話の飛躍に、クリスは訳がわからないという顔をしていたが、やがてふっと小さな笑みをこぼした。
「……そうだな。あんな親のために僕まで死ぬことはない。なんだか、少し気持ちが軽くなった気がする」
クリスの笑みを見て、ルシンダが「あ……」と呟いた。
「クリス様の笑った顔、広間に飾ってあった肖像画のマリア様の笑顔に似ていますね。そうやって笑っていれば、いつでもマリア様に会えますよ」
ルシンダの言葉に、クリスは一瞬ハッとした表情になったかと思うと、くしゃりと顔を歪ませた。
「……そうか。マリアが、僕の中に……。ありがとう──ルシンダ」
静かに涙を流すクリスの背中を、ルシンダは何度も何度も、優しく撫でてやった。