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静寂だったはずの時間も、またすぐに騒がしさを取り戻し始めた。
奴隷たちの管理者と思しき者たちが入れ代わり立ち代わり倉庫を訪れ、購買対象となる者の身なりや経歴を少しでも良いようにと、細かなテコ入れしているようだった。
同じように戻ってきた男も、目を開けたまま寝ていたミアの肩を叩き、しゃんとしろと忠告した。
「テメェも少しは身なりを整えやがれ。荷物の中に服の一つも入ってるんだろ。直に競売が始まっちまう、それまでに少しでも見栄えを良くしろ!」
巨大なリュックを取り上げられ、ミアは男に言われるまま正装として持ち歩いていたメイド服に着替えさせられた。そして「テメェは最後までぜってぇ喋んなよ」と釘を刺された。
箱の上から布を被され荷台に載せられたミアは、考えをまとめる時間もないまま倉庫を出て、また別の場所へと移送された。今度は静寂さの欠片もない、ひっきりなしに人の声がする場所で、目隠しされた箱の外では、男女様々な言葉が漏れ聞こえていた。
「殺されちゃうのは困るなぁ。せっかくお仕事が見つかって、新しい仲間ができて、やっと私のことを見ててくれる御人のもとで働けると思ったのに……」
正座から体育座りに直し、膝の合間に顔を埋めたミアは、周囲の声も聞かず項垂れた。
このままでは奴隷生活に逆戻りし、また再びいつかのような地獄に突入してしまう。
「やっぱり嫌だなぁ。せっかく自由に生きられるようになったのに、また誰かに命令されるだけの毎日なんて」
受け身で、愚図で、無能で、使えない。
殺されるかもしれないという誰かの言葉によって、口酸っぱく繰り返されてきた過去の悪意の数々がミアの頭の中を巡った。
刷り込まれてきた恐怖がフラッシュバックし、身体が反応する。
硬直し、動かなくなってしまう身体をギュッと抱いたミアは、大丈夫大丈夫と呟きながら、「ははは」とカラ元気で笑顔を浮かべるしかなかった。
「ダメだよ私。もうダメと思ったとこからが頑張りどころだって、先輩はいつも言ってたよ。あれだけ親切に教えてもらったのに、私はまだ何も上手くできなくて。スキルだって、魔法だって。……魔法?」
ポンと記憶の端から魔法の文字が浮かび上がった。
「あれ?」と違和感を覚えてから、ミアはようやく最も重要な事実を思い出した。
『 はわわわわ、わ、私、そういえば魔法使えるんだったー! 』
悲鳴のようなミアの叫びが響き渡り、あれだけ騒がしかった周囲がシンと静まり返った。
それをきっかけに、今度は透きとおるような杓子定規な男の声が木霊した。
『お次の出展は、《家事に炊事になんでもござれ、できないことは一つもなし、ありとあらゆる雑務をこなせますでお馴染み、エルフのメイド》でございます!』
タイミングは正にドンピシャ。
箱にかけられていた布がバッと宙を舞い、仰天のマヌケ顔をしたミアの姿が、競売に参加する者たちの前に晒された。
箱の天井に激しく頭を打った状態で中腰に立ち上がり、目が飛び出るほど見開いた間抜け面はあまりにも酷いもので、競売に参加していた客たちが、サァァと引いていくのがわかった。
メイド服を振り乱し、深海から引き上げられた魚のように飛び出しそうな目玉もそのままに、口はイカのように歪み、毛羽立った髪の隙間からは少し大きめなとんがり耳が揺れている。
スカートの隙間からは下着がちらりと覗き、貴族と思しき婦人はチッと舌打ちした。
『ゴホン』と襟を正した司会の男は、何もなかったようにミアの競売を再開した。
『ええと……、では……、三万ルクスからスタート……、です』
誰一人反応することのない静寂の時間が流れ、最前列にいた太った貴族は、無の表情のまま口を真一文字に結んでいた。
司会の男が『あの……』と入札を促すが、ただの一人として手を挙げる者はおらず、面々の後方ではミアを競売にかけた男が顔を押さえ悶絶していた。
白目を剥いていたミアが我に返り、目の前に並ぶ客たちの存在に気付いた。
しかし完全にドン引きした人々は、今にも暴れ出さんほど顔を引きつらせ、場の主役であるミアの顔を見つめていた。
「そ、そんなに見つめられては困りますぅ。わたくし、見つめられるのは慣れておりません」
急に態度を変えてみても、凍りついた客たちの空気は変わらなかった。
あまりにもいたたまれない空気に飲まれ、司会の男が最終通告を宣言した。
『にゅ、入札がなければ、このまま保留となりますが、いかがなさいましょうか?』
しかし入札の声を遮るように、ミアが箱の中で指をぶつけながら「ハイ!」と手を挙げた。
そして皆の視線を一斉に集めてから、堂々と宣言した。
「わたくし用事がございますので、このあたりでお暇させていただきます。申し訳ございません!」
全員の首が90度に曲がり、「はぁ?」という巨大なはてなマークが漂った。
右手を箱の天井に添えたミアは、ムッと歯を食いしばってから、すっかり忘れていたアレを唱えるのだった――
『 水吹! 』
右手から放たれた水流が天板を吹き飛ばし、会場の天井諸共破壊した。
やりすぎたと慌てるミア以上に、集まっていた客たちは慌てふためき、一気に場が混沌とし始める。
天井から落下した屋根の欠片が散らばれば、盛り上がりは最高潮。貴族たちは阿鼻叫喚の悲鳴を上げ、混乱した競売会場からは人々が逃げ惑った。しかし――
『 まったく騒がしいな、一体なんの騒ぎだ? 』
恐ろしく通る低くドスの利いた一声に、全員の足がビタリと止まった。
同時に、皆の視線が吸い込まれ、声の主に集中した。
見るからにVIPと言わんばかりに取り巻きを従え、それに違わぬ空気をまとった男は、漆黒を思わせるマントを翻し立ち上がると、ミアと同じように空へ向け水流を撃ってみせた。
威力はミアと桁違いで、建物の天井全体を吹き飛ばし、空の彼方へ消し去ってみせた。
「実に苛々する。それもこれも、この私の過去を抉るような酷く不快な声が聞こえたからだ。なぜだかわかるか?」
あんぐりと口を開けた客の視線を一点に受けながら、爪を弾くように裏向きでミアを指さした黒服の男は、「チッ、チッ」と執拗に舌打ちを繰り返し、何かを噛み潰すように口を閉じたまま言った。
「フレア・ミア。原因は貴様のその最高にイラつく声のせいだ」