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タクシーで支店に戻る。
このあたりをよく走る運転手なら、きっとこの場所を知っているだろう。
この時間帯も、ここで働く女性たちを送ることがあるはずだ。
……なんだかジロジロ見られてる気がする。
――って、そういえば服!
すっかり忘れてた。
時雨さんが洗濯してくれたんだった。
また取りに行かなくちゃいけないじゃない。
ああ、もう……。
タクシーを降り、事務室のひとつ上の階へ向かう。
下のフロアでは、きっと今も多くの女性たちが画面越しに男たちを悦ばせている。
私も気持ちを切り替えないと。
頑張らないと。
頑張った分だけ、生活が潤うのだから。
スマホを見ると、藍里からのメール。
『おやすみ』
相変わらずそっけない。
普段はあんなに話すのに、メールだと短い。
――前に聞いたら、「普段喋るんだから、メールまで長文なのは照れくさい」って言ってたっけ。
そういうものなのかな……。
私は疲れ果てて、そのままベッドに倒れ込んだ。
窓の外では、まだ雨の音が続いている。
⸻
……つづはら、しぐれ。
漢字は『時雨』。
……雨、か。
⸻
コンコン。
ドアを叩く音がする。
「おはよう、橘さん」
女性スタッフの声。
――って、もう朝?
気づいたら、夜が明けていたらしい。
私は体を引きずるようにドアを開ける。
「……事務長から聞きましたよ。大変でしたね」
何をどう聞いたのかは知らないけど、余計なことを言われていたらどうしよう。
「今日はどうしますか? 休んだほうがいいですよ」
「……でも、休むと――」
「無理しても、ベストなパフォーマンスはできません。お客様にも失礼ですし、今無理をして働いても、あとでボロが出ます。休んでください」
彼女の口調が、少し強くなる。
神奈川にいた頃は、「無理でも出てきてくださいね」「稼げる時期に、たくさん無理して稼いで!」って、そういう方針だった。
「無理をするな」「休め」と言われるのは、むしろ落ち着かない。
「……でも、生活がかかってるのよ、私……」
「だったら尚更、休んでください! 今、壊れたらどうするんですか」
強い口調で言い切る彼女。
「病院にも行ってるんでしょ? もう無理をしないでください。これは、私の権限です」
権限?
そう言われても、彼女は私より年下に見える。
まだ二十代後半くらいか……指輪はしていない。
「私もシングルマザーです。二十歳の頃から、この仕事をして、一人で子どもを育てています。体を壊したら、終わりなんです」
……この子も経験者なんだ。
でも、今は事務長。
若いのに……。
「私は、ここの方針を変えたくて、裏方に回りました。キャストとして働いていた頃より、給料は減ったけど……環境を変えるために、何人かのキャストと本部に乗り込んで、ここを乗っ取ったんです」
「……乗っ取った?」
「はい。他の支部でも、キャスト出身の人たちが改革を進めています。あの神奈川の事務長も、多分、降格されるでしょうね」
そして、彼女はもう一度、まっすぐ私を見つめて言った。
「だから、今は休んでください!!!!」
私は、その勢いに押されるように、ベッドへ横たわった。
「……わかりました」
すると、彼女はそっと私の手を握った。
「ここに移転していただけたら、私たちがさくらさんを徹底的にサポートします。約束します」
――そんなこと、誰にでも言うんじゃないの?
疑いの気持ちがよぎる。
でも、彼女の手は温かくて、強かった。
「専属のアシスタントをつけます。一人一人のキャストさんを大事にしたい。覚悟を持ってこの道に入った女性たちを、守りたいんです」
「……私は、守ってほしかった。その一心です」
その言葉が、胸に刺さる。
⸻
私はそれに甘んじて、三日間ゴロゴロと過ごした。
食事も、注文したものを届けてもらって。
こんなにゆっくりしたのは、いつぶりだろう。