テラーノベル
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本家の座敷は、十月より人が多かった。
新年会。親族が三十人ほど。黒い着物が多い中で、麗華の振袖は赤かった。金の帯。長い髪を結い上げて、顎を上げて、座敷の上座に近いところに座っている。
ことはの膳は、末席にあった。
名前の札が、座敷の一番端、襲のそばに置いてある。遼の膳は、博正の斜め前。その間に、十の膳があった。
ことはは、札を見た。見て、何も言わずに、末席に座った。手土産の箱を、膝の横に置いた。柊屋の花びら餅、十二個。正月の菓子。母が「本家に持っていきなさい」と包んだ。父は「渡すだけでいい。食うかどうかは、向こうの話だ」と言った。
末席からは、座敷の全部が見えた。上座の博正。その近くの、赤い振袖。親族の黒い着物。ことはの隣は襲で、襲の向こうは廊下だった。
遼が、座敷に入ってきた。
自分の膳を見た。それから、座敷の端を見た。ことはの札を。
何も言わなかった。
言わないで、ことはの膳を、両手で持ち上げた。
座敷が、静かになった。
遼は、膳を運んだ。十の膳の前を通って、自分の膳の隣に置いた。札も。そこに、人の膳はなかった。空いていた席でもなかった。遼が、空けた。
「来い」
ことはのほうを見ずに、言った。
ことはは、立った。立って、座敷の端から、遼の隣まで歩いた。三十の目が、ついてきた。麗華の目も。振袖の赤が、視界の端にあった。手土産の箱を、両手で抱えて歩いた。箱の重さだけが、自分のものだった。
座った。遼の隣に。
博正は、上座で、何も言わなかった。見ていた。見て、盃を取った。
◇
博正の挨拶のあとで、麗華の名前が出た。
「本店の催事企画部の、部長に」
博正が、短く言った。年明けから。麗華は頭を下げた。親族の拍手。ことはは、頭を下げた。下げながら、部長、という言葉を聞いていた。課長から部長へ。催事を仕切る力が、一つ大きくなった。
膳が進んだ。ことはは、黙って箸を持っていた。遼も、黙っていた。
本家の家政婦が、ことはの手土産の箱を開けて、小皿に取り分けて回っていた。花びら餅。白い餅に、味噌の餡と、牛蓡。正月の菓子。
博正の前にも、一つ置かれた。
博正は、それを見た。見て、箸を取った。
黙って、食べた。
一つ、全部。
食べ終えて、小皿を置いて、ことはのほうを見た。座敷の人の声の中で、博正の声は低かった。低くても、ことはには届いた。
「柊屋」
「……はい」
「父は、最後の日まで、お前の店の菓子を欲しがった」
ことはは、箸を置いた。
最後の日まで。宗一郎。病院の、最後の日まで。
「――それだけだ」
博正は、盃を取った。それ以上、何も言わなかった。
ことはは、頭を下げた。下げたまま、動けなかった。最後の日まで、欲しがった。誰が、買いに行ったのか。足の悪い老人の代わりに、毎朝。病院の最後の日まで。
顔を上げると、遼は、こちらを見ていない。見ていないで、盃を持っている。持っている手が、動いていなかった。
麗華が、上座の近くから、ことはを見ている。父の言葉を、聞いた顔だ。振袖の赤が、座敷の中で、一つだけ色が違った。
◇
廊下で、麗華が待っていた。
手洗いに立ったことはの前に、振袖の赤が立った。
「おめでとう。――席、移してもらえてよかったわね」
「おめでとうございます。部長に」
「ありがとう」
麗華は、顎を上げた。
「春の催事、松月堂よ。看板は。もう決まったの」
「……そうですか」
「あなたの店は、おじい様の思い出で、一回使われただけ。お父様が今、そう言ったでしょう。最後の日まで欲しがった、って。思い出なの。本店の春の看板には、思い出じゃなくて、格が要るの」
ことはは、何も言わなかった。
麗華は、一歩、近づいた。
「それから、もう一つ教えてあげる」
声が、低くなった。
「遼さんの一年のあとは、もう本家で決めてあるの。あなたが店に戻ったあとの、遼さんの隣。――誰が座るか」
ことはは、麗華を見た。
麗華は、笑った。目も、笑っていた。
「楽しみにしてて」
#御曹司
うめぼっち

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鷹槻れん/鷹槻うなの

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#白い結婚
夕凪ゆな
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振袖が、廊下を戻って行った。
◇
帰りの車で、遼が言った。
「麗華が、何を言った」
ことはは、前を見ていた。
「春の催事は、松月堂だと」
「ほかには」
一年のあと。本家で決めてある。遼の隣に、誰が座るか。
言えば、聞くことになる。本当ですか、と。聞けば、答えが来る。答えを聞くのが、怖かった。それは、店のことではなかった。
「ありません」
遼は、前を見たまま、少し黙った。
「嘘が、下手だな」
ことはは、何も言わなかった。
車が、坂を上った。坂の途中で、遼が、もう一度口を開いた。
「今日から、本店の催事部は、俺の管轄を外れた」
「……え」
「叔父が決めた。麗華を部長にして、催事部を社長の直轄にする。今日、決まった」
ことはは、遼を見た。遼は、前を見ていた。
「俺はもう、お前の店に手を出せない。催事部が何を決めても、俺には止められない」
ことはは、膝の上で手を重ねた。黒い革の手袋の上に、手を。遼がくれた手袋の上で、遼が、もう手を出せないと言った。
車が、門を入った。
コメント
1件
遼が自分の膳を動かして「来い」って一言、あの場面はすごかった。家族の前で席を変えるって、それだけで静かな表明だよね。博正が柊屋の花びら餅を食べて「最後の日まで欲しがった」と言ったとき、ことはの動きが止まるのが目に浮かんだ。麗華の「誰が座るか楽しみにしてて」も、喉に小骨が刺さったような怖さがある。そして遼が「俺はもう手を出せない」と認めたラスト…。この一族の空気感が全部、配置の細かさと言葉の選び方で伝わってきて、読み応えがあったよ。