耳元近くで発せられた、あまり抑揚の感じられない偉央の低音ボイスに、結葉の恐れは否が応でも高まってしまう。
それは、結葉を散々苦しめてきた、〝怖い時〟の偉央の声そのものだったから。
偉央の腕の中、小動物のように小さくなって震える結葉に、偉央が静かに語りかける。
「もしも……。もしも僕が子供を作ってもいいって言ったら……結葉の憂いはひとつ消えるよね?」
「こ、ども……?」
偉央の発した言葉の意味が分からなくて、結葉は彼のセリフを無意識につぶやいて。
それと同時、くるりと向きを変えた偉央にベッドへ押し倒される。
「やっ、――偉央さっ……、ん、んーっ!」
偉央に組み敷かれて唇を強引に塞がれて初めて。
結葉は偉央が発した言葉の意味を明確に理解した。
「結葉、いまから僕らの子供を作ろうか。子供はきっと鎹になってくれるはずだから」
強引な口づけを解いた偉央からそう宣言された結葉は、必死に首を振る。
「いやっ。……だって偉央さんっ、私たちもう……」
「うん。壊れかけてる。だからこそ、だよ」
偉央の目を見て、結葉は彼が本気でこんなことを言い出したんだと悟った。
一生懸命偉央の下から逃れようと暴れてみたけれど、偉央はびくともしない。
「結葉、安心して? 今日は……いや、これからはずっと。酷くしたりしないから。ちゃんとキミを気持ち良くして――」
話しながら偉央の手が結葉の身体に伸びてくる。
今日は先ほどキッチンで脱いだコートの下に、オフホワイトのダボっとしたハイネックチュニックを着て、下着がわりのヒートテックを重ねて薄着のわりに暖かい格好にしてきた結葉だ。
そのトップスに合わせたのはベロア素材のプリーツスカート。
偉央に、頬から首、胸から腹部、そうしてその下へと身体に沿って手を這い下ろされた結葉は、全身を震わせて、ジタバタともがいた。
その動きのせいでプリーツスカートの裾がまくれて膝上辺りまで二の足がむき出しになってしまう。
「ココもしっかり濡らしてから挿入るから」
スカートの上から秘所の辺りをそろりと撫でられた結葉は、恐怖で動けなくなる。
「ぃやっ……」
涙目で偉央を見上げて、掠れたか細い声音でイヤだと意思表示をしてみたけれど、偉央にやめる気はないようで。
「まだ離婚届、出してないんだよね? だったら間に合うじゃないか。ねぇ結葉、子供と僕とキミの三人でやり直そうよ。キミが僕の子供を身籠もってくれたらもう無理に閉じ込めたりしないし、ある程度ならキミの行動にも目をつぶるって約束する。だから――」
そこで偉央にギュウッと抱きしめられた結葉は、耳元で小さく「帰ってきて、お願い……」と囁くように偉央が懇願する声を聴いた。
***
想が御庄家のあるタワーマンションに辿り着いたと同時、ポツポツとにわか雨が降ってきた。
今日は雨が降るなんて予報、ひとつもなかったはずなのに、と雨を避けるように手をかざして建物に近付きながら思った想だ。
(こんな馬鹿らしい胸騒ぎ、どうか杞憂であってくれ)
そう願わずにはいられない。
予報にない雨降りは、自分の不安を象徴しているみたいで、想は凄くイヤだった。
(結葉……。頼むから無事でいろよ⁉︎)
現地に着いたら先ほど着信があった番号に折り返すよう指示を受けていた想は、車を降りてマンションに向けて歩きながらスマートフォンを操作する。
画面をポツポツと雨が濡らしたけれどそんなの今の想にはどうでもよかった。
スマホを耳に当てたまま大股で歩いてエントランスまで行って――。
想が、コンシェルジュたちがいる受付けを真正面に認めたのとほぼ同時、電話が繋がって通話口から『ロック、解除しましたのでそのままお入りください』という声が聞こえてくる。
斉藤たちの方も入り口の様子を気にしてくれていたんだろう。
ほぼタイムラグなしで、歩みを止めることなく建物内に入れた想だ。
「三二階の一番奥。三二〇一号室が御庄さんのお宅の部屋番号です」
言われるまでもなく、一度体調の悪そうな結葉を伴って部屋前まで行ったことがある想だ。
偉央を、結葉のことで牽制した場所だ。
よく覚えている。
「あの……ちなみに結葉は――」
ダメ元だと分かっていながらも一応問いかけたら「まだ。――彼女もご主人もお見かけしていません」と鎮痛な面持ちで斉藤が言って。
彼女のすぐ横で『白木』と言うネームプレートを付けた女性も、不安そうな顔で想を見つめていた。
「分かりました。とりあえず行ってみます」
(バカ結葉! 心配かけやがって!)
心の中でそう吐き捨てながら、想はエレベーターホールに駆け出していた。
三二階ともなれば、さすがに階段を駆け上がって行くのはしんどい。
きっと箱が降りてくるのを待つ時間がどんなにもどかしくても、エレベーターを使った方が確実に早く上まで行けるはずだ。
エレベーターの呼び出しボタンを押した想は、はやる気持ちを抑えながら階数表示を見つめた。
***
目が覚めた時、微かに寝室の外――キッチン辺りで何かが動いている音がしている気がして、偉央はとうとう自分は幻聴まで聴こえるようになってしまったのかと溜め息をついた。
今日の未明に部屋に戻ってきて、酷くふらつく癖に、ついいつもの習慣でシャワーだけは浴びた。
冷静になって考えてみれば、よく風呂場で倒れなかったものだと自分の悪運の強さに嫌気がさした。
あのままバスルームで倒れて死ねていたら、結葉を失った苦しみから解放されたかも知れないのに。
そもそも、偉央が仕事場から帰宅するなり風呂に直行していたのは、愛する妻に何か悪いものを伝染すようなことになってはいけないと思っていたからに他ならない。
独身の頃は感染力の高い感染症にでも出会わない限り、そこまで神経質に気を遣っていなかった偉央だ。
結葉のいない家に帰って、彼女がいた時のように振る舞ってしまったこと自体、偉央には自分が酷く弱っていて、判断能力を失っている象徴のように思えた。
それでも――。
もしまかり間違って結葉が自分の元へ帰って来てくれたなら、この愚行だってきっと報われるし、意味があると思えるのに。
そんなことを考えながらベッドに身体を預けていたら、想像よりも身体は休息を求めていたのだろう。
いつの間にか泥のように眠ってしまっていた。
カーテンはいつ閉めた時のままなのか、ずっと閉ざされっぱなしだったので、目を覚ました偉央は、今現在何時ぐらいで、外は日が昇っているのかどうかすら分からなかった。
(いや……)
考えてみれば八時過ぎに目覚ましをセットしておいて、病院に電話したんだったとぼんやり思い出した偉央である。
確か、電話に出たのは受付の女性・加屋だった。
偉央が体調不良で休む旨を伝えると、加屋から酷く心配されたのを思い出す。
コメント
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も〜〜結葉ちゃん💦 こうなるのわかってたじゃないの? 想ちゃん早く早く💦