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カレーを食べながらの会話だ。そうそうってうなずいて、母さんを見た俺の目に飛び込んできたのは、見たことのない母さんの顔だった。
──そう。やっぱり──三科さんの家の子なの
あの時の母さんの顔。目を見開いたまま薄ら笑いを浮かべていた母さんの顔がなんだか怖くて、俺は今でも夢に見る。
なんとか会話を続けようと、何か知ってるのかと聞いた俺に、母さんは何事もなかったようにカレーを食べながら話してくれた。
なんでも、代々座敷わらしを祀ってて、親戚全員で大きなお屋敷に住んでるらしい。しかも誰も働いてもいないんだ、と。
これを聞いて、驚くと同時にホッとした。いつもどおりの母さんに見えたからだ。
優斗の家の事情はこうだ。誰も働かなくても、お金も食べ物も、欲しいものは座敷わらしが運んできてくれるらしい。たとえそれが他人の恋人でも、だ。
母さんはこれを噂だと笑っていたけど、ただの噂にしたって、とんでもない話だ。ご先祖の遺産や不労所得だって話もあるみたいだけど、どっちにしたって贅沢すぎる。
働かなくても親戚全員が暮らしていけるなんて、まるでマンガの中の存在だ。一庶民が想像できる金持ち像とは、ちょっと格が違う。
「その子、違う環境に放り込まれて、きっと寂しいはずよ。仲良くしてあげてね。そしたらきっと、いつか座敷わらしにも会えるだろうから」
そう言って笑った母さんに、俺も心から同意していた。
そんな日が、ついにきたわけだ。カウンターキッチンの向こうで、母さんが笑う。
「あちらのご家族からはもう許可が取れてるの?」
「うん。優斗はそう言ってた」
「じゃあいつお泊まりするのか、ちゃんと二人で相談しなさいね」
「あー……それなんだけど」
さすがに二週間も泊まる誘いだなんて、ちょっと言い出しにくい。でもその口ごもった言い方を、母さんは許してくれなかった。
「なによ陸。言いたいことがあるんだったら、ちゃんと言いなさい」
母さんが少しイラつき出す。話すときは歯切れよくというのが、母さんの教育方針だ。
このまま引き延ばしても、逆に母さんのイライラが溜まる。それなら早く言ってしまったほうがいいと考えた俺は、祈るような気持ちで拳を握った。
「二週間、泊まらないかって誘われたんだけど!」
目をつぶってようやく言えた言葉に、返事はない。聞こえたのはフライパンの中身が焼ける音だけだ。
「二週、間」
声に抑揚がない。恐る恐る目を開けて確認した表情も、髪に隠れてよく見えなかった。
「そんなに長い間お邪魔して、ご迷惑じゃないかしら」
静かな、静かな声だった。
怒っているわけじゃない。かと言ってあせったり、困ったりしているわけでもない。
俺には、その感情が読めなかった。
「それも……許可取ったって言ってたから」
「──そう」
不意に悪寒が走った気がした。
「じゃあ行ってきなさい。くれぐれもあちらのご迷惑にはならないようにね」
「う、うん」
顔を上げた母さんは笑顔だった。だけどこのじっとりと冷や汗がにじむような感覚は、一年前から知っている。
あの──
母さんの得体の知れない笑顔を見た時の感覚と同じだと、俺の直感が告げていた。
「じゃあ俺、優斗にも伝えてくるよ」
不自然にならないようにダイニングを出て、階段を上がる。だけどたった二段上がっただけで、俺の足は止まってしまった。
壁に肩を預け、深く息を吐く。一瞬にして張り詰めた糸が、緩んだ気分だった。
普段、母さんは別に怖い人じゃない。もちろん怒らせると鬼の形相だけど、そんなのはどの家の母親も同じだと思う。その程度に普通の人だ。
優斗に対してもニコニコ挨拶してるし、なんなら夕食まで食べさせて帰すくらいには気に入ってる。優斗のお母さんとの付き合いはないらしいけど、いつか挨拶にでも行くつもりなのか、どんな人なのかとか、いろいろと優斗から聞いているみたいだ。
だからなにかあるとしたら優斗の家──三科家に対してなのかもしれない。
なにか思い出とかあるんだとしても、あまり聞き出したいとも思えなかった。俺はため息を吐き、優斗の待つ部屋に戻る。部屋のドアを開けたとき目に入った優斗が、試験勉強なんて忘れたようにマンガを読んでいたのに笑ってしまった。
──パタンと音を立てて、かつて書かれた日記を閉じる。今となっては紙もところどころ破れ、水に濡れたページもよれてしまっていた。
唇を噛みながら読み返していたはずなのに、いつの間にか、重苦しいため息が漏れ落ちる。この日記を読み返すといつも同じだ。そして、いつも同じことを考えてしまう。
泊まりなんてやめておけばよかったと。
いや──決行したとして、あんな頼みを聞くべきじゃなかった。たとえ三科家の人間からどう思われようと、あれに触れるのはやめたほうがいいと、これ以上欲を持つのはやめるべきだと、一言でも進言していればよかった。
言ったところで、聞き入れられたとは思わない。だけどもしかして、万が一にも思い留まった人がいたかもしれない。そうすればあんな惨劇に巻き込まれず──知りたくなかった事実を知ることもなかったかもしれない。
あの、墓銘のない墓にさえ触らなければ。
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