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保健室に、しんとした沈黙が落ちたまま。
翠はベッドに横になったまま、呼吸だけが浅く上下している。
目は開いているのに、
どこか遠くを見ているようで———
もう、これ以上話せる状態じゃないのは、誰の目にも分かった。
その様子を見てから、赫はゆっくり視線を逸らした。
そして、学年主任の先生の方を向く。
「……先生」
声は低く、でもはっきりしていた。
「もう一回、お願いします」
学年主任が、赫を見る。
「……何をだ」
「証拠として提出された動画です」
その言葉に、黄が息を呑む。
「赫っちゃん……」
でも、赫は振り返らなかった。
「昨日も、俺……聞きに行きました」
「誰が出したのか、教えてくれって」
「でも先生、
“本人の同意がないと話せない”って言いましたよね」
学年主任は、静かに頷く。
「……ああ」
「だから、名前はいらないです」
赫は、一歩前に出た。
「でも……」
拳をぎゅっと握りしめて。
「俺、もう気づいてます」
その言葉に、空気が張り詰める。
「動画に、俺はいなかった」
「俺へのいじめが止まったあとから、撮られてる」
「なのに、
“俺の件”で処罰が下った」
ゆっくり、でも確実に。
「……おかしいじゃないですか」
黄が、赫を見る。
その横顔は、震えているのに、逃げていなかった。
「だから、お願いします」
赫は、頭を下げた。
「……俺自身の目で、見たい」
「俺が守られた理由を」
「その代わりに、
誰が、何を失ったのかを」
保健室の時計の音が、やけに大きく響く。
学年主任は、長い沈黙のあと、静かに口を開いた。
「……本来なら、見せるべきではない」
そう前置きしてから。
「だが———
君たちは、当事者だ」
タブレットを取り出し、操作する。
画面が、赫の方へ向けられた。
「……途中で、やめてもいい」
「無理だと思ったら、すぐ言いなさい」
赫は、首を振った。
「……大丈夫です」
でも、その声は少しだけ、震えていた。
動画が、再生される。
音声は小さく、映像も荒い。
でも———
そこに映っていたのは。
赫じゃない。
制服のサイズ。
髪の色。
肩の細さ。
そして何より———
自分をかばうみたいに、身体を丸める癖。
赫の呼吸が、止まる。
「……」
再生が進むたびに、
赫の指先が、白くなる。
(……知ってる)
(これ……)
(俺が……家で見てた……)
家で、何も言わずに笑ってた背中。
夜、静かに部屋に戻る足音。
「……翠、にぃ……」
声が、こぼれ落ちた。
その瞬間、黄がはっと顔を上げる。
学年主任は、再生を止めた。
「……以上だ」
赫は、しばらく動けなかった。
涙は出ない。
声も出ない。
ただ、胸の奥が、ぐちゃぐちゃに潰れていく感覚だけがあった。
「……先生」
やっと、言葉を探し出す。
「これ……」
喉が、ひくりと鳴る。
「全部……
翠にぃが……?」
学年主任は、否定しなかった。
「……彼は、
“赫ちゃんが守られるならいい”と、言った」
赫の肩が、がくっと落ちる。
「……俺……」
「俺、何も……」
そのとき。
ベッドの上から、かすれた声がした。
「……見ないでって……」
全員が、はっと振り向く。
翠が、うっすら目を開けて、震える声で続ける。
「……だから……」
「言わないで、って、言ったのに……」
その一言で。
赫の中の最後の希望が、音を立てて崩れた。