「でも――」
「いいんです」
「何の話をしてるの?」
「何でもないから大丈夫だ」
「それより、荻野さんに今すぐ電話をしたいんだけど」
目の前にいるマナは荻野さんの死を知らない。もしその事実を知ってしまったら、またあの時のように何度も手首を切って死のうとするだろう。
「マナ、実はな――お前は記憶を無くしてしまってるから憶えてないけど、荻野さんとは別れたんだ」
「はぁ? 何で荻野さんと別れなきゃいけないの? プロポーズまでされてたんだよ。意味わからないんだけど!」
「――――」
「圭ちゃん、何とか言ってよ!」
マナは顔を真っ赤にして俺に怒りをぶつけてきた。
「それは――2人の問題なんだから俺にはわからない」
「いい加減にしなさい! 別れたのはマナちゃんと荻野さんの2人で決めたことなの。圭太くんを責めるのは筋違いでしょ!」
俺の困惑している顔を見て、マナの母親が助け船を出してくれた。
「信じられない! 私、電話して直接荻野さんに聞いてみる」
「やめろって! 荻野さんはマナとは話したくないって言ってるんだ。お互い別れるってことで話はついてるんだから、放っておいてやれよ!」
「やだっ!」
するとマナはスマホを手に取り操作を始めた。そしてスマホを耳にあてながら俺の顔を見ていた。
『もしもし荻野さん、わたっ――』
『お掛けになった電話番号は現在使われておりません』
耳から離したスマホから音声が漏れて聞こえてきた。
「マナ、もうよせって!」
俺はマナのスマホを奪い取ると、声を荒らげてそう言った。マナは何も悪くない。でも、真実は余りにも残酷で、記憶の一部を失ったマナには真実からかけ離れた偽りの現実の中で生きていた方がきっと幸せなハズだ。知る必要のないことは知らなくていい。
「別れたって連絡するくらいいいでしょ?」
「向こうは迷惑してんだよ。荻野さんがもう2度と連絡をよこさないように言ってたんだ」
「そんなの嘘――」
マナはベッドの上で落胆した表情を浮かべると、唇を噛み締めながら横を向いて涙を流していた。
「ごめんな――」
「何?」
「なっ、何でもない――」
マナ――あんな悲しい思いをするのは1度で十分だ。絶対にあんな悲しい思いを2度とさせないからな。俺はそう心の中でマナに語りかけた。
「だったら、私は誰と結婚するのに区役所に向かってたの?」
「それは――俺もわからない。マナから何も聞いていなかったから。でも、マナの記憶が戻れば全てが明らかになると思う」
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