山の中腹にある光の霊堂の前に長机を置き、絶景を眺めながらみんなで食事をする。
もちろん、シリスも一緒だった。
「ごちそうになったの。すごく美味しかったの」
「そう、龍の口にも合ってくれたみたいでよかったわ」
側に寝そべる狼を撫でながら、シリスがヒバナの料理をべた褒めし、それにヒバナが少し嬉しそうな顔をする。
それにしても、シリスが気に入るのもよく分かる。
「ヒバナの料理、本当に美味しくなったよね」
「……まあね。日々の練習の成果よ」
彼女は髪を弄りながら、赤くなった顔を隠す。
ヒバナはほぼ毎日料理の練習をしていたし、それが実を結んだということなのだろう。
私とシリス以外にも好評だったが、唯一アンヤからはもっと甘い方がいいという要望が入った。当然のように却下されていたが。
「あなたはいい加減、その偏食っぷりを治しなさい。正直に言って何にでも砂糖を入れてアレンジするのは味覚が狂っているとしか言えないわよ」
「……アンヤの勝手。こっちのほうがおいしい」
「作っている側の気持ちも考えなさいよ、まったく。少なくとも、外ではやらないでよ?」
ヒバナの言葉にアンヤは思い悩んでいるように見えるが果たして――。
「…………気を付ける」
「ん、偉いわね」
結局、ヒバナも砂糖のように甘い。
それにしてもヒバナが外聞というか赤の他人のことを気にするような発言をするとは思わなかったので驚いた。
もしかすると料理を作る立場になって少し視野が広まったのかもしれない。
そんな楽しい食事の時間も終わり――。
「さて、そろそろ戻らないとね」
「……もう帰るの?」
「うん、ごめんね。待っている人もいるからさ」
教団の人が船で待ってくれているはずなのだが、いつまでも待たせるわけにもいかない。
シリスは寂しそうな表情を浮かべていたが、最終的には分かってくれたみたいだ。
そして教団の人たちにもこの島で起こったことを話さなければならないため、シリスも一緒に船まで付いて来てくれることになった。
私たちが乗ってきた船は変わらず、接舷した状態で泊まっていた。
魔物たちは船の人たちが驚いてしまうだろうし、シリスの乗っている狼以外は途中でお別れしてきた。
船に近付いていくと、司祭さんが慌てた様子で中から出てくる。
「アリアケ様、お帰りなさいませ。途中、大きな揺れが続いていましたがご無事で何よりです。それであの、そちらの少女は……?」
来る時にはいなかった銀髪の少女に司祭さんは困惑を隠せない様子だ。
私が紹介する前にシリスが前に出た。
「はじめましてなの、人間。シリスはシリスニェーク、ミティエーリヤの娘なの」
「は……」
司祭さんが口をあんぐりと開けて固まったかと思うと、地面に頭を擦り付けるような勢いで崇め奉っていた。
どうにか司祭さんを落ち着かせて、この島で起こっていたことを話す。
聖龍ミティエーリヤ様は邪魔となってしまっていたこと、倒された後その魂は浄化され天へと昇っていったこと、娘であるシリスが彼女の母親の跡を継ぐこと。
それらを聞いた司祭さんは驚き、嘆き、悲しんだ後に静かに祈りを捧げていた。
そうしてシリスと司祭さんが一言二言、話して私たちは島を後にすることになった。
シリスとはここでお別れ……と思っていたのだが、何食わぬ顔で一緒に船に乗ってきた。
彼女は狼に語り掛け始める。
「少し離れるの。その間のことは頼むの」
「シリス、どうして船に乗ってるの?」
「海の向こうまでは付いていくの。どうせ飛べばすぐに戻れる距離なの」
もう少しだけ、シリスと過ごせるらしい。
そして、日が暮れる。
◇
数時間かけて、ようやく港町の灯台が見えてきた。
「人間の乗り物って不便なの。まさかこんなに遅いなんて思わなかったの」
自由に空を飛び回ることができるシリスにとって船旅には不満があったようだ。
それでも船の中では私たちと楽しそうに過ごしていたので、不満だったのは船のスピードだけだろう。
「もうすぐお別れだね、シリス」
「……またいつでも会いに来たらいいの。他の人間は困るけど、きゅーせーしゅと精霊だったら別にいいの。闇の精霊、会いに来る時はあのちょこれーとをまた持ってきてくれると嬉しいの」
「……ん」
近くでそっと佇んでいたアンヤが頷く。
シリスはチョコレートをそんなに気に入ったのか。いや、チョコレートじゃなくて甘い物ならなんでもよさそうな気はする。
まあ、アンヤはチョコレートしか持っていないはずなので確かめる術はないのだが。
港に着き、船を降りようとしていると深夜なのにドタバタと慌ただしく近付いてくる人影があった。
それはミンネ聖教団の聖職者であることを示す服を身に着けた男だった。
「大変です!」
――その男の口から発せられたのは、世界を揺るがす報せだった。
「闇の霊堂が、何者かによって破壊されました!」
「なっ……」
その場にいた者達が騒然となる。もちろん私もだ。
今のは聞き間違いだったのではないかと思いたかったし、その報せが事実だと信じたくもなかった。
でも、それは紛れもない現実だった。
「アリアケ様と精霊様は至急、本国まで戻ってきてほしいとのことです」
「分かりました。竜騎士の人たちってまだ近くにいますか?」
「いえ、それが――」
ミンネ聖教団は迎えを寄越してくれるらしいのだが、到着は早くても明後日になるらしい。
今は逸る気持ちが抑えられない。早く詳しい話を聞いてみないと、今後どうなっていくのかが分からなかった。
「なら、シリスが乗せていってあげるの」
それは救いの手だった。
シリスの大きさなら、私たち全員が乗ることもできる。
霊堂の1つが破壊されたという出来事はシリスにとっても不安なことだろうが、私たちのことを優先してくれるらしい。
「ありがとう、シリス」
「構わないの。これはきゅーせーしゅと精霊へのお礼でもあるの」
龍の姿に戻ったシリスの背中に私たちは乗り込む。
少し無理な体勢が続くが、今は無理をしてでも先を急ぐべきだった。空の上は冷えるので厚着をして寒さに備える。
「マスターは少し休んでいてください。わたしが支えていますから」
「でも、コウカは……?」
「わたしは疲れてなんてませんから大丈夫です。でも、マスターは違うでしょう?」
肉体的にとことん強いコウカたちスライムは最悪寝なくとも問題ない。ならその言葉に甘えさせてもらっても良いのだろうか。
ミンネ聖教国に戻った先で何が起こるか分からないのだし、万全な状態を整えておくべきだろう。
そう判断した私はコウカの腕の中に体を預けた。
「ありがとう……私を支えていてね、コウカ」
不安な心を奥底に押し込み、今は体を休めるために無理矢理目を瞑った。
◇◇◇
――神界。
静かに目を瞑っていた女神ミネティーナの側に慌てた様子の大精霊レーゲンが駆け寄ってきた。
「大変です、ティナ様! 霊堂が!」
「結界が壊れたわけではないわ、レーゲンちゃん。落ち着いて」
レーゲンとは対照的にあくまで冷静にそう告げるミネティーナに対してレーゲンが声を荒げた。
「どうしてそんなに落ち着いていられるんですか! 状況わかってるんですか!?」
「もちろん。でも慌ててもどうにかなるわけじゃないわ。彼らが地上で活動できるくらいの力を取り戻していたのは想定外だけど、まだ挽回できます」
「……あいつら、さらに地上への干渉を強めるつもりです。あたしたちは神界だけで手一杯だっていうのに!」
霊堂の1つが壊れると邪神とその眷属に対する封印が弱まり、地上界への干渉が強まることは容易に想像がつく。
対して、女神ミネティーナとその眷属は封印の結界を維持するために神界から動くことはできない。
「私たちも少し結界に細工をしましょう。それに地上では既に対応を始めてくれているようです。苦しい時代になってしまうけれど、人々が結束すれば時間は稼げるはずです。人が持つ愛の可能性は無限大ですから」
「……時間を稼ぐといっても……まさか、アリアケ・ユウヒ様を頼るんですか!? 彼女はこの世界に来てまだ1年も経っていないんですよ!?」
「ええ、本当ならもっとじっくりと時間を掛ける必要があったはず。ですが、レーゲンちゃんも知っているでしょう? ユウヒさんは私たちの想像をはるかに超えて頑張ってくれていることくらい」
「……あの方とあの子たちには頭が上がりませんね、ティナ様」
「本当に」
そう言ってミネティーナは立ち上がった。
自分たちができることをするために。
◇◇◇
ここは神界。だが、女神ミネティーナがいる空間とは隔離された空間だった。
そこでは邪神メフィストフェレスが長きに渡りその力を封印されていた。
邪神の側近、プリスマ・カーオスは光すら飲み込む漆黒の存在に向かい、報告を上げる。
「バルドリックが奴らの霊堂を破壊しました……! ようやくです、メフィスト様。ようやく、我らの悲願が達成される時が来たのです」
『そう急くな、カーオス』
歓喜の笑みを浮かべる男の他に、地を這うように低く響き渡る声があった。
『今回、解放された力は全てヤツらの覚醒に回せ。地上の霊堂を破壊させるのだ』
「御意」
深く一礼した後、プリスマ・カーオスはその場を後にしようとしたが、何かを思い出したかのようにその場で立ち止まった。
「それとどうやら地上界には我らを邪魔する女もいるようですが、私の仕込んだ種が直に芽吹く。そうなればあの女は終わります。ご心配には及びません」
歪んだ笑みを浮かべながら再び歩き出したプリスマ・カーオスが向かった先は朽ち果てた神殿のような建物だった。
その先の大広間では4つの椅子が並べられており、4つのうち3つに人影が見える。
「ようやく目覚めましたね」
「あー! プーちゃん! おじさんがいないんだけど、どこ行っちゃったの?」
そのうちの1つ。
小さな影が椅子の上で足をブラブラと遊ばせながら甲高い少女のような声でプリスマ・カーオスに呼び掛けた。
「バルドリックはあなた達よりも目が覚めるのが早くてね。諜報活動をさせていました」
「えー……あのおじさんに諜報活動なんて無理だと思うけどなぁ……」
「ええ。……奴め……急に連絡を寄越したかと思えば、霊堂を破壊したなどと……」
プリスマ・カーオスがブツブツと愚痴を漏らす。
その様子を見ていた少女はその顔に浮かべていた笑みを深くした。
「そっかぁ……じゃあもう始めちゃったんだね! 今の地上にはどんなお人形があるのかなぁ、あー楽しみだなぁ!」
「もう、煩いわよガキンチョ。爪を磨いているんだから静かにしなさい。今度こそ運命のヒトを手に入れるために、しっかりおめかししなくちゃいけないんだから」
ドレスを着た妙齢の女性が椅子の上で膝を立て、足の爪を丹念に磨き上げている。
「おばさんさぁ……歳考えなよ。その歳で運命のヒトとか痛々しくて目も当てられないんだけど」
「はぁ!? 誰がおばさんよ! アタシとアンタ、そんなに歳も変わんないわよ!」
「キャハハハハ、ざんねぇーん。ヴィヴェカちゃんはガキンチョだからぁ。おばさんがそう呼んだんだよぉ?」
ケタケタと笑う少女が女性をこれでもかとバカにする。
女性の額に青筋が浮かび、長く鋭い爪を少女へと向けた。
「アンタ、一回氷漬けにされなきゃ分かんないかしら?」
「きゃー、ヴィヴェカこわーい。プーちゃん、助けてぇ」
自らをヴィヴェカと呼んだ少女は、椅子の上からプリスマ・カーオスに助けを求める。
しかし、その表情は言葉とは裏腹にどこからどう見ても楽しんでいるものでしかなく、怖がっているようには見えない。
そんな彼女たちの様子にプリスマ・カーオスは頭を抱える。
「はぁ……イゾルダもヴィヴェカもいい加減にしなさい。お前達は“帝”の称号をメフィストフェレス様から頂いているのです。恥とならない行動をなさい」
「あら坊や、一丁前に命令? アタシが眠っている間にそんなに偉くなったのかしら?」
真面目に取り合うだけ無駄だと判断したプリスマ・カーオスは、イゾルダと呼ばれた妙齢の女性の言葉を無視し、通達だけをすることに決めた。
「……地上にある霊堂を全て破壊してきなさい。メフィスト様はお前達のために自身の復活を後回しにされている。その恩義に報いなさい」
冷たい目で3つの人影を見渡していたプリスマ・カーオスであったが、1つの人影が立ち上がり、何も言わずに彼の横を通り過ぎていったため、その端正な顔を歪めた。
「どこに行くのです。ロドルフォ」
「……体が鈍っているのでな。感覚を取り戻す必要がある」
「なっ……これはメフィスト様からの命令だぞ!」
ロドルフォと呼ばれた男はプリスマ・カーオスの腕を肩から払いのけ、振り返らずに口を開いた。
「オレは強者と心置きなく戦いたいだけだ。そのためにオレはオレの好きなようにやらせてもらう」
そのままロドルフォは歩いて建物の外へと消えていった。
その様子を見ていた残りの2人も椅子から立ち上がり、歩き出す。
「じゃあアタシも。第一席様がそう言っているのなら、その方針には従わなきゃねぇ」
「ヴィヴェカちゃんはプーちゃんの言うこと聞いてあげたいけどぉ、前の戦いでお人形さんがなくなっちゃったから新しく作らなくちゃいけないんだよねぇ。ごめんね?」
ひとり、神殿内に取り残された男は仇を見るような目でそれを見送った。
去っていった3人と見送る男にはある共通点がある。
それは血のように赤い目を持っていることと髪に黒いメッシュのようなものが入っていることだ。
――そう、彼らは全員が等しく邪神の眷属であった。
聖と邪、2つの勢力の衝突の時はそう遠くない。
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