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こちらの茨さん🖌️
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「いらっしゃ〜い。あらザック、今日はずいぶん疲れた様子ねぇ」
ザックと呼ばれた男、彼は王女様の命を受けて、湯の運び出しを行っている男衆のうちの一人だ。
ここは、ラヴァリン王国平民区画に近い場所にある竜山亭という食堂……とは名ばかりで、営業は日が傾いてから。酒を飲ませるために暖簾を掲げている店だ。
丸々と太った女将に話しかけられても、ザックは返事もしない。まるで屍のような顔をしながら、カウンター席に座ると、そのまま前に腕を投げ出して、カウンターに突っ伏してしまった。
「だ……大丈夫かい?どっか怪我でもしたのかい?」
豪快でいつも笑顔の女将も、普段とは違いすぎるザックの様子に、流石に心配になった。
「……怪我はしてねぇよ。こいつぁ心労だ」
ザックは顔を上げずに、くぐもった声を出す。
「心労ってアンタ。なにをそんなに悩んでるのさ、アタシで良ければ話してみな!」
女将は、突っ伏したザックの背中をバシバシと叩いた。この手の中年は、調子が悪い物はなんでもかんでも一回叩いてみる。
調子の悪い物は叩けば治るという迷信が、この世代の人間にとっては、ある種の常識になっている
「女将さんも知ってんだろ………シトリン姫が、あの山から水を汲んで来てるって。アレを運んでんのがオイラ達なんでぇ………」
ザックは、力無く語る。突っ伏したままなので、声量が小さく、聞き取りづらい。
「王女様から声がかかるなんて、大出世じゃないかい!何を悩む事があるのさ!」
女将は、豪快に笑いながら、またザックの背中をバシバシと叩いた。
柄の悪い仕事師に来る仕事の大抵は、柄の悪い連中から頼まれた、柄の悪い仕事である。時には、犯罪の片棒を担がされているのでは?と思うほど、怪しげな仕事もある。
そんな、あまり褒められた仕事で日銭を稼いでいたザックが、王女様からの以来で、お国のために働いているというのだから大出世である。女将は自分の事のように、喜ばずにはいられなかった。
「お給料も良いんだろ?」
「それはそうだけどよぉ………」
確かに給料は良い。以前の仕事なら、一週間働いて稼ぐ額を、一回の荷運びで稼げるようになった。
その事自体は良いことだと、ザックも思ってはいる。
「だったらどうしてそんなに項垂れてんのさ、幸せじゃないかい」
女将の問いに、ザックは出来れば言いたくないという雰囲気を醸し出しながらも、観念したようにポツリと呟いた。
「竜が……怖えんだよ………」
「ああ……」
女将は、一瞬で何もかも飲み込んだ。そして、ザックの心情を慮った。
シトリン王女がいくら竜神様と呼んでいても、ラヴァリン国民の一般的な認識では、あの山に棲まう竜は、ただの怪物である。
王女様が、その竜の眼前まで行って、水を汲ませているという話を聞いた時は、埒もない噂話だと思って記憶の彼方に追いやっていたが、あのザックがこのザマになっているのだから、事実であるのだろう。
ザックのような男が、アレが怖いコレが怖いだのと言っていたら、茶化してやるのが常なのだが、あの山に住むという竜だけは別格だ。ラヴァリン王国民であるのなら、どんな無神経者でも嘲笑う気にはならないだろう。
「しかもその竜ときたら、オイラを呼び止めてはシトリン姫はどうしてるだのなんだのと質問責めにしてきやがる。オイラだって、ケンカに自信はおるけどよ、でっけえ竜の前じゃあ方無しよ」
(そりゃあ大変だねぇ)
なんとか励ましてやりたいが、かける言葉が出てこない。
巨竜に睨まれたら、それはそれは恐ろしい事だろう。しかし、その場面に同席した訳でもない女将には、その気持ちを真に理解出来ないと思ったからだ。
となると、飯屋の女将に出来る事は、ただただ腹いっぱい飯を食わせて、元気づけてやる事くらいしかない。
女将はザックの右手を両手で掴むと、ぎゅっと握って激励の言葉を投げかけた。
「とにかく、たくさん食べて、たくさん飲んで元気だしなよ。お代は気にしなくていいから!」
「お……女将さん……」
ザックは人の温かさに、思わずこみ上げてくる物を必死に抑えた。弱った心に染み入る温かさに感謝しながら、女将の手に自分の左手を_____
「女将さん?」
女将は、なにやら蕩けた顔……うっとりしていると言えばいいのか。そういう顔で、ザックの右手を揉みしだいている。
(な……なんだよ……)
ザックはにわかに混乱した。女がうっとりとした顔をする時は、大抵色恋沙汰だとザックは思っている。
まさか口説かれるのか?女に好かれるのは嬉しいが、流石に女将さんを恋愛対象としては見られねえ。そもそも女将さんは旦那が居るじゃねえか。などと、一瞬のうちに思考を巡らせた。のだが____
「ザックの手、ずいぶんすべすべじゃないか……まるで赤ん坊みたいだよ。どんな化粧品を使ったら、こうなるんだい?は〜……羨ましいねぇ………」
女将は、ザックの右手以外の全てを無視して、その掌を愛で続けている。
ザックは、口説かれる訳ではないと知って安心した。そして、自分の手がこうなった事情について、気怠げに話し始めた。
「ああ、これかい。こいつは、あの山の水を汲んでたら、勝手になっちまったんだよ。あの水、ずいぶんと美容効果があるって話でよぉ。水汲みをしてるうちにこのザマよ」
ザックは、皮肉っぽく笑って話を終えた。
すると女将は、先程までとは打って変わって、真剣な眼差しで、ザックに詰め寄った。
「そ……その水、どこで売ってるんだい!?いくらするんだい!?」