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それは陽の届かない深淵の中で発生した。
人工の地下遺跡ゆえ照明の類は備わっていたが、最大の光源は人間すら飲み込む真っ赤な業火だ。燃料も無しに燃え続ける様は、神秘と言う他ない。
ここはかつての戦場だ。広大な広間で縦横無尽に争ったのだろう。床や壁は切断され、溶かされ、砕かれている。
巨大な炎を見上げながら。
その中心でたゆたう女の後ろ姿を眺めながら。
それは自分達の置かれた状況を即座に察する。
「ハじめましテ。ワタシの名前ハ……」
自己紹介から始まる、歪な出会い。今からおよそ四百五十年前の出来事だ。
そして現在。
尖兵としてコンティティ大陸を駆け巡り、ついに見つけ出す。
「そ、それだけは、止めて……」
少年に出来ることは懇願だけだ。相手が魔物であろうと、そして母親を殺そうとした宿敵だったとしても、解決策はただ一つ。
己の無力さを噛みしめながら、人質の解放を訴えるしかない。
「パオラは……、おまえとハクアさんが探して求めてきたた超越者なんだぞ! だったら……」
「ファファファファファ! ワタシにとってはキミ以外ありえないんだヨ。ダから、コんな偽物に興味なんてわかないシ、邪魔でしかなイ」
それゆえに殺せてしまう。
前提として、オーディエンが抜擢した主役はウイルだ。この少女に任せられる役は精々がエキストラであり、ならば死体役であろうと文句は言わせない。
配役の権限は誰が持ちうるのか? それは誰にもわからないが、この魔物は自分自身だと思い込んでいる。
それを承諾するかどうかは別問題ながら、否定しようにも実力が伴わなければ抗うことすら許されない。
この世界のルールは弱肉強食だ。敗者は殺されるか従うしかない。今回の場合、この魔物が強者と言えよう。
ゆえに、彼らはパオラが殺される様子を傍観するしかない。そうすると宣言されてしまった以上、異議申し立ては不可能だ。
「どうして……、僕なんだ。なんで僕に固執する⁉ 才能だけで言えば、凡人なんだぞ!」
以前から抱いていた疑問点を、ウイルは大声で吐き出す。
エルディアが手を差し伸べてくれなかったら、傭兵にすらなれなかった。
魔女の協力なしには、母親すら救えなかった。
なにより、その母親が病魔に侵されなければ、学校でのいじめを苦に自ら命を絶っていた。
弱い人間だ。そう自覚しているからこそ、オーディエンという常軌を逸した魔物にまとわりつかれる現状は、不気味な上に不快だ。
「フ~ん、思い違いをしているようだかラ、教えてあげル。キミは、決して普通なんかじゃなイ。ウうん、ムしろ異常だヨ」
「な、何を根拠に……」
悪口なのか、そうではないのか。それすらもわかないまま、ウイルはたじろぐように否定する。
傭兵という仕事は、異常者でなければ務まらない。そのこと自体は王国における一般常識だ。
魔物は卓越した身体能力を誇っており、巨人族ともなれば丸太のような剛腕だけで人間や動物を肉片に変えられる。
そんな化け物と渡り合える傭兵が、普通であるはずがない。
そういう意味では異常なのかもしれない。その一人でもあるウイルにも、当てはまる言葉なのだろう。
しかし、オーディエンの真意は別にあり、それを今から説明する。
「キミは決して諦めなイ。意志の強さはもはや別格ダ。アのハクアでさエ、動揺するほどに、ネ。コれだけでも魅力的なのニ、ソれだけじゃなイ……」
あえて言葉を区切り、魔物はウイルから別人へ顔を向ける。
その方角に立っているのは、三人の魔女。その内の人、エルディアが目を丸くさせたまま瞬きをすれば、それが演説の再開を促す。
「イつも一緒にいたキミだったラ、気づいてるよネ?」
「何のことー?」
「ウイルの特異性サ」
その問いかけに、エルディアは首を傾げる。
魔物の指摘通り、四年近くもの間、共に傭兵としてこの大陸を走り回ったのだから、ウイルについて最も詳しい人物のはずだ。
「うーん、天技?」
天技の習得者は非常に稀だ。覚醒者と呼ばれる彼らは、光流暦千十五年のイダンリネア王国においては数十人程度しか確認されていない。先天性であれ、後天性であれ、宝くじのような確率だ。
そういう意味では、エルディアの回答は正解と言える。
そのはずだが、魔物は顔を歪めずにはいられない。
「チがう違うちがウ。ソんな些細なことじゃないヨ。コんなこともわからないかラ、アルジはニンゲンを滅ぼしたいのかナ? ウん、キっとそうなんだろうネ」
オーディエンは心底つまらなそうだ。それでも問いかけた以上は、正解を提示する。
「マぁ、いイ。教えてあげル。ソれは、予想を裏切る成長速度だヨ。期待以上と言っても良いかもネ。コこまで言えバ、キミだって納得するだろウ?」
この魔物がウイルに魅かれる理由こそ、人間らしからぬ上達っぷりだ。四年の歳月でエルディアを追い越したばかりか、今では王国軍の隊長クラスすら打ち負かす。傭兵の中でも上位に入る実力であり、十六歳の若さでその領域に至れたのだから、オーディエンの持論は的外れではないはずだ。
そのはずだが、彼女には響かない。
「そっかなー。確かにグングン強くなって、今じゃ私より一人前だけど、上には上がいるからなー。それに、私だって一年くらいで追いつける自信あるしねー。むしろ追い越しちゃうかも? その子なんか、あっという間に私達より強くなるらしいし。だから、離してあげて」
かつての相棒として。
一人の傭兵として。
エルディアもまた、率直な意見を述べる。オーディエンとは異なる考え方ながらも、ウイルの実力を否定するわけではない。一方で特段特別だとも思っておらず、その理由は彼が努力を積み上げてきたことを知っているためだ。
「嫉妬にしか聞こえないヨ」
「ううん、ウイル君は毎日頑張ってたもん。いっぱい走って、素振りも続けて、魔物も倒して……。少しずつ、少しずつ強くなってっただけ。すごいけど、すごくない。あんたはウイル君の表面しか見てないから。薄っぺらいのはそのせい」
両者は睨み合う。ウイルの実力を認め合っていながらも、本質は決してかみ合わない。
「マあ、いいサ。話は逸れちゃったけド、ヤるべきことは変わらなイ」
オーディエンの目的は、邪魔者の排除だ。
ウイルが主役の座を降りることなど決して認められない。
この魔物は、客席から眺めつづけてきた観客でしかないが、我を通せるほどの実力を併せ持っている。
今後も楽しむために。
わがままを押し通すために。
紫がかった青い髪ごしに頭部を掴みながら、手のひらに力を籠め始める。
「ん、いたい」
パオラのか細い声が、引き金となった。
その瞬間、ウイルは泣きそうな顔で走り始めるも、異変に気付き立ち止まる。
凶行を阻止するように発生した、不可視のプレッシャー。その正体は戦技のウォーボイスであり、標的なもちろん、炎の魔物だ。
重要なことは、誰が発動させたかだが、考えるまでもなかった。
「そんなこと、させないよー」
「スぐ死にたがる。ニンゲンって本当に不思議だよネ」
エルディアとオーディエン。初対面ではあるが、見知った間柄だ。
そうであろうと人間と魔物である以上、ここからは殺し合う。
もっとも、今回に関しては一方的な殺戮だ。相手がウイルでないのなら、この魔物は手心を加えない。
それをわかっているからこそ、エルディアはかつての相棒に笑顔を向ける。
お別れだ。
一秒にも満たない時間稼ぎでしかないが、今はこれが精いっぱいだ。
自分が殺されることを覚悟した上で、戦技を発動させた。
仮に全員が一斉に逃げようとしたところで、オーディエンはウイル以外を殺害可能だ。魔法の類は一切使わず、一人ずつ追いかけた上で、瞬く間に殺し尽くせてしまう。
それほどの力量差が存在している。皆、それを本能で察してしまったががゆえに、殺される順番を待つように棒立ちだ。
足が動いてくれない。
思考がまとまらない。
魔女の放ったウォーボイスが少女を一刻ながら救うも、あくまでも一瞬だ。
エルディアも、そして、ウイルもそれをわかっているからこそ、これから起こる悲劇を受け入れるしかない。
(エルさん!)
少年は心の中で訴えかけるも、その光景に絶望する。
オーディエンの右手がパオラの頭から離れると、それは次の瞬間にエルディアの真正面へ移動し終えた。パオラの背後には魔女と軍人が待機していたのだから、少し歩けばたどり着けて当然だ。
魔物の右腕が、ゆっくりと持ち上げられた理由は、獲物に死を覚悟させるための猶予でしかない。
魔物の顔は心底楽しそうに笑い、魔女は少年に笑顔を向け続ける。
ウイルはもがくように左手を伸ばすも、素手は空を掴むだけだ。集団から一人離れている少年には、出来ることなど何もない。
見届けるしかないか?
諦める他ないのか?
刹那、ウイルは思い出す。
傭兵試験で死にかけた時のことを。
昇級のためにルルーブ森林へ出向いたことを。
特効薬を求めて、遥か西を目指したことを。
その全てが、エルディアとの思い出だ。彼女無しではありえなかった。当時の自分はその後ろをついて歩くことしか出来なかった。
あの頃から四年の年月が過ぎ去り、守られる側から守る側へ成長出来たと思っていた。
思い込んでいた。
現実は非情だ。オーディエンがエルディアを殺そうとしているにも関わらず、見ていることしか出来ない。
走り出したとしても、間に合わない。
仮に先回り出来たとしても、この魔物はウイルをあしらった上で彼女を殺すはずだ。
今のままでは救えない。
誰かに助けを求める時間すらない。
それでも、諦めたくないという感情はわがままか。
実力が伴っていないのだから、そうなのだろう。
それでもそう願ってしまう傭兵こそがウイルであり、この状況においてもエルディアを助けたいと思い続ける理由は、困難に立ち向かう意思の強さに他ならない。
間に合わないのなら、間に合わせる。
倒せないのなら、別の方法で対処する。
そのための切り札は、既に手のひらの中だ。差し出した左手は彼女に届かないが、その必要がないのだから慌てる必要などない。
その笑顔に気づかされた。
初めから、そのための力だった。
魔物の右腕が、薙ぎ払うように振り下ろされる。
狙うは、エルディアの頭部。その一点へ狙いを定め、残酷なまでに力強く疾走する。
反応出来た者はいない。
周囲の魔女も、居合わせた軍人達も、狙われているエルディアさえも、オーディエンの速度には対応出来ない。
例外は一人だけ。
本能的に。
理性的に。
本質を理解した今、天から与えられた力を制御することから始める。
「きゃっ?」
少女のような悲鳴はエルディアのものだ。首が跳ね飛ばされる直前、彼女は倒れ込むように尻もちをついてしまう。
腰が抜けたからではない。
オーディエンの攻撃に反応出来たわけでもない。
第三者が介入した結果だ。
「そうか、そういうことだったのか。うん、やっとわかった」
その声は落ち着いており、冷静なだけでなく力強い。
発生源は集団から離れた場所だ。
それゆえに、炎の魔物はその方角へゆっくりと振り返る。獲物を殺し損ねたが、そんなことは些末なことだ。それよりも重要なことがあるのだから、女の顔は歪むように笑みを浮かべる。
「キミの……仕業なのかナ? デも、どうやっテ?」
その問いかけに答える暇はない。
エルディアはまだ魔物の足元で座っており、ついには潰れるように寝そべってしまう。
「むぐ? 体が、なんか重い……」
不測の事態なのだろう。起き上がる素振りすら見せず、現状を嘆いてしまう。
上から押さえつけられているような、下から引っ張られているような、奇妙な感覚だ。何であれ、命拾いしたのだから喜びたいところだが、異変が継続している以上、エルディアは地面に倒れたまま苦しそうに唸る。
その様子を眺めながら、ウイルだけは取り乱さない。
「ベクトルの変換は……、よし。完全に理解した」
単なる独り言ではない。目的達成の合図だ。
エルディアを救いたいと願ったのだから、彼女の回収を完了させる。広げた左手を返し、掴んだロープを引っ張るように動かせば、能力の操作は完了だ。
「こ、今度はなにごとー⁉」
その異変がまたもエルディアを困惑させる。重荷を背負うような負荷から解放されたかと思えば、ズルズルと体が引っ張られ始めたのだから、本人としても驚きだ。
初速こそ遅かったが、あっという間に加速し、彼女は吹っ飛ばされるように手繰り寄せられる。
受け止めた少年と、引っ張られた魔女。
守る者と守られた者。
その構図は誰の目からも明らかだ。
「ソれって魔法でも戦技でもないよネ? ドうやったノ? 教えて欲しいナ!」
オーディエンの表情がせわしなく変化する。
目を丸くし、次いで引きつりながら笑いをこらえ、最終的には最大級の笑顔だ。
獲物を殺し損ねたが、そんなちっぽけなことには目もくれない。自身の直感が正しかったと再認識しながら、嬉しそうに問いかける。
ウイルが何をしたのか?
何をして、自分を驚かせてくれたのか?
それを知ることは、人間を間引くよりも遥かに重要だ。
「おまえがさっき否定した、僕の天技だよ」
(あれ~? 話が終わるまで、私ってこのまま抱きついてないとダメなのかな? でも、な~んか離れられないというか、引っ付いちゃうままなんだよねー……)
オーディエンとウイルがにらみ合う中、救助されたエルディアだけは居心地が悪い。少年の左半身に衝突後、細い左腕に支えられたまま動けずにいる。
張り詰めた空気を察して沈黙を選ぶも、天技が解除されていないのだから正しい選択と言えよう。
「索敵じゃないノ?」
「そうだと思っていた。だけど、そうじゃなかった。これが本来の能力で、魔物の感知は副次的なものなんだと思う。うん、きっとそうなんだ……」
「ファファファファファ! スごいすごイ! モっともっと教えテ! 私ニ!」
観客ははしゃぐように笑う。予想すら出来なかった状況が、楽しくて仕方がない。
なにより、それがウイルによってもたらされたのだから、喜びもひとしおだ。
「おまえになんか教えたくないけど、まぁ、いいか。そういえば、エルさんにも伝えてなかったかな?」
「え、何々ー?」
このやり取りと共に吸引力のような作用は解除され、長身の魔女は少年から離れる。
ジョーカーと命名された天技について、十分理解しているつもりでいた。傭兵ならば魔物を探すことは日常的なことであり、ウイルの天技は大いに貢献してくれたからだ。
「僕の天技は、魔物だけじゃなくてエルさんの居場所も感知してくれるんです」
「へー、初耳」
「すみません、今まで黙ってて……。むしろ、一番最初はエルさんから始まったんです。その後から魔物の居場所がわかるようになったんです」
「なんか恥ずかしいねー」
当然の反応だ。常に監視されていたのだから、乙女心が彼女の顔を赤らめる。
「エルさんと魔物の感知。僕の天技はそういうものだと、ずっと思っていました。だけど、違った。これは、この力は、理由まではわかりませんが、エルさんに作用する重力を操作することが可能なようです。正確には、重力加速度の値と向きを変化させる、ですね」
この地に存在する全ての物質は、それが生物であろうと例外なく、真下に引っ張られている。大地そのものでもあるこの惑星が、周囲と比べて最も大きな重量を持っているためだ。
実は、地上の人間や魔物自身も、惑星を引っ張っている。その力は重量に比例するため、大地が浮き上がるようなことはない。
重力相互作用と呼ばれる物理現象なのだが、ウイルはこの部分に干渉している。
エルディアが尻もちをついた理由は、彼女を引っ張る重力の強さを引き上げたためだ。
彼女が少年の元へ引き寄せられた理由は、重力の向きを真横へ変更した結果だ。
「な、なるほど……。ジュウリョク? すごいよね……」
(わからないならスルーしてくれていいのに……。学校で物理学を習ってないと、確かにチンプンカンプンか)
物を落とせば真下に落ちていく。誰もが感覚的に理解しているが、仕組みの理解となると勉学が必要だろう。
「キミは土壇場デ、天技を進化させたということかイ? ヤっぱり、キミは最高ダヨ! ワタシの目に狂いはなかっタ!」
周囲の野次馬など気にも留めず、魔物は炎の体を揺らしながらはしゃぐように笑い出す。
残念ながら、彼らの力量ではオーディエンに傷一つつけられない以上、魔女や軍人は大袈裟な言動を見届けるしかない。
そういう意味ではウイルも同様なのだが、誰よりも落ち着きを払いながら、言葉を紡ぐ。
「進化ではないような気もするけど、あえてそう定義づけるのなら、そうだな……。うん、意味はないけど、今後はこう呼ぼうかな」
エルディアに促され、自身の天技に名前を付けた。
後ろめたい自由を嘆かないために。
愚かな自分を受け入れるために。
傭兵として、、前を向いて進むために。
様々な意味を込めて、ジョーカー。十二歳の少年はそう命名した。
今は十六歳。
立ち止まるにはまだ早い。生きていくためには、なによりエルディアを救うためには、自分の足で歩き続けるしかないのだと気づかされた。
だからこそ、そう名付けたい。
「ジョーカー・アンド・ウォーカー」
これはそのための一歩だ。
先ずは、彼女をオーディエンから助け出せた。
それでも、脅威は排除出来ておらず、魔物は高々に笑っている。
「イイネイイネ! マるでワタシとキミを示し合わせたような名前じゃないカ!」
「そういうつもりじゃないんだけど……」
「新たな力でそのニンゲンを守れタ! ダけどワタシはここにいル! マだなにも解決していないヨ! サぁ、どうすル? ワタシに教えテ! ワタシを驚かせテ!」
魔物の言う通りだ。ウイルの行為は一時しのぎでしかない。悪意の塊は戦場の中心で仁王立ちしており、脅威は未だ健在と言えよう。
倒すしかない。
しかし、倒せない。
ゆえに諦めるしかないのだが、そのような選択肢は初めから論外だ。
「白紙大典」
ウイルの要請を受け、目の前に純白の本が出現する。
「ビックリまさか呼ばれるとは……。グラウンドボンドで切り抜けるんじゃないの~?」
「ううん、それじゃダメなんだ。何秒縛れるかわからない上に、そもそもみんなの目の前にいるしね。あいつだって魔法くらいは使うだろうから、別の方法じゃないと」
呼び出した本と会話を交える少年。その光景が事情を知らぬ者達を驚かせる。
例外はエルディアとパオラ、そしてオーディエンだけだ。
魔女や軍人達は唖然としながらも沈黙を続ける。
「私を呼んだってことは、何か期待してる? 出がらしなんだから、な~んもないよ~」
「ご謙遜を。白紙大典の本質が魔法の貸与じゃないってことはもう見抜いてるから。千年前のようにはいかないと思うけど、それでもやれるでしょ? 封印を」
「あ~、さすがにバレちゃってるか~」
「僕の目の前であれだけハクアさんとイチャイチャしながら思い出話に花を咲かせれば、節々から普通に気づいちゃうって。エルさんはそうでもなさそうだけど……」
「まぁ、エルはおっぱい大きいだけだしね~」
(本人を前にして平然と悪口を言っちゃうところ、ウイル君の悪いところなんだけど、正解だから許してあげるかー。んで、封印って何だろ?)
白紙大典。千年を生きる古書であり、ウイルに火と土の魔法を与えた張本人だ。他者への魔法贈与しか披露していないが、彼女がそれ以外の特技を保有することを少年は見抜いている。
「ハクアさんが言ってた通り、あいつは味方なんかじゃない。絶対に倒さないといけない敵だ。だけど、僕じゃ無理だから、みんなを守るためには封印するしかない。時間稼ぎにしかならないけど、王国軍や四英雄が動いてくれれば、そこにハクアさんが加わってくれれば負けるはずがないもの」
今のウイルにはオーディエンを倒せない。
ここにいる全員で一斉に挑もうと結果は同じだ。
逃亡すら許されない以上、やはりこの魔物をどうにかする他ない。
「だから私の天技、絶対支配であいつを封印したい、と」
「うん」
そのための最終手段が白紙大典の異能だ。この本にしか出来ないことがあり、イダンリネア王国が建国以降、千年の歴史を紡げている理由もそこにある。
そのはずだが、純白の本は首を縦に振れない。
「ごめん、君じゃ無理」
「なんで?」
「王のような超越者の中の超越者でないと、私は扱えないの。具体的には、ハクア以上の魔力を持った人間じゃないと、かな。そうでないと絶対支配は本来の性能を発揮しないばかりか、契約者を巻き込んで殺しちゃう。私の天技は、それくらい物騒なの」
つまりは、ウイル程度の凡人にはその資格がない。無理に使おうものなら、少年の命そのものを消費してしまう。
ゆえに、この案は却下だ。他の作戦を考えなければならない。
そのはずだが、傭兵は安心したようにオーディエンへ視線を向ける。
「だったら問題ないよ。今、あいつをどうにか出来るのなら僕はどうなったって構わない。大事なことは、エルさんとパオラ、それとみんなに逃げてもらうことなんだから」
この少年は目的のためなら手段を選ばない。この四年間でそういう思考が身についてしまっており、だからこそエルディアの無茶に付き合いながらも生き延びることが出来た。
ましてや元貴族だ。
エヴィ家の長男だった。
綺麗ごとだけでは他者に出し抜かれることを知っており、傭兵という世界においても本質は不変だ。
ウイルは覚悟を決める。死ぬことは怖いが、それ以上に全滅だけは避けたいと考えており、そのための犠牲が自分一人で済むのなら、決してためらわない。
そんな中、隣の女性は驚きと共に問いかけてしまう。
「え、ちょっ、し、死んじゃうってどういう……」
飄々としているエルディアでさえ、戸惑わずにはいられない。かつての相棒が自身を犠牲にこの状況を乗り切ろうとしているのだから、仮にそれしか手がないのだとしても受け入れがたいはずだ。
「あ、エルさん、申し訳ないんですが、パオラのこと、頼みます。本当はエヴィ家で引き取るつもりでしたが、こんなことになっちゃったら、もう無理でしょうし……、すみません」
「な、なんでそんな……」
「落ち着いたらハクアさんに預けて……、あ、でも、魔物と戦うよりも他のことに興味を持つようだったら、その考えを尊重してあげてください。ううん、本当は初めからそうしてあげるべきなんでしょうけど、オーディエンとセステニアを殺せるのは彼女だけかもしれませんし……。残酷な世界ですよね、本当に……」
人間と魔物は殺し合う。この世界の摂理であり、そうであることは争いの歴史が証明している。
決着は人間が滅びた時だけだ。魔物は無限に生成されるため、それが結果的に食糧問題を解決してくれてはいるのだが、敗者にはなりえないことを意味している。
そうであろうと、人間側は抗うだけだ。
そして、眼前のオーディエンに対しても、降参という選択肢はありえない。
この魔物の本質は、単なる快楽主義者だ。目的のためなら、何より楽しむためならば、他者を使い捨てるつもりでいる。自分の命でさえ軽んじているのだから、魔物としては最悪の部類だ。
そのはずだが、今回ばかりは慌てた素振りを見せてしまう。
「ソの本の封印は確かに強力ダ。デも、ワタシを閉じ込めることは出来ないヨ。キミはまだ育ち切っていないシ、属性を二つしか取り戻せていなイ。早まったって良いことなんてないんだシ、封印なんて諦めてヨ」
「嫌だ。白紙大典、僕の命を使ったとして、あいつをどのくらい閉じ込められる?」
「わからない。一年か、十年か……。もっと長いかもしれないし、短いかも?」
「やってみないとわからないって感じか。それでも構わない、やろう」
オーディエンの戯言に耳を傾けない。今から封印する相手なのだから、むしろ嫌がることを実行するのが正解だ。
ウイルはそれをわかっており、その結果、自身が死ぬことになろうと今回ばかりは立ち止まらない。
「やっぱり、君って私とソックリだね~」
ふわふわと漂いながら、真っ白な本が静かにつぶやくも、少年は首を傾げる。
「え、どこが?」
「誰かのために命を手放しちゃうところ。私も、あの戦いで同じことしたんだよ~。後、おっぱいが好きなところ」
(大事な話をしてるんだろうけど、おっぱいの件で台無しだ……)
真面目な顔をしながら、ウイルは心の中で呆れてしまう。自分達が似ているとは微塵も思えないが、今から死ぬのだから深くは考えない。
一方、それはこのやり取りとは関係なしに取り乱す。この中では最強ながら、命乞いをするように大声をあげずにはいられなかった。
「ソれだけはダメなんダ! ウイル! 今すぐ撤回しロ! サもないと、このニンゲンを殺すヨ!」
この瞬間、オーディエンの左手が、パオラの首をグイと掴む。
人質だ。
少女の痩せこけた顔が苦しそうに歪むも、魔物はその手を決して離さない。
脅された以上、ウイルと白紙大典は要求を受け入れるしかないのだが、思い違いを指摘せずにはいられなかった。
「考え方が違うよ。死ぬのはその子じゃない、僕なんだ。おまえが誰かを殺しても、僕は死ぬ。おまえが封印されれば、僕は死ぬ。今はそういう状況だってわかるんだよ」
「グ、ウ……。オイ! アルジを封印した時のようニ、今度はウイルを犠牲にするのカ⁉」
魔物の問いかけは、どこか人間臭い。ウイル以外は殺しても構わないと思っているのだが、裏を返せばウイルだけは死なせたくない。歪ではあるが守ろうとしてることから、魔物らしからぬ物言いとなってしまう。
その要求を傭兵とその本は受け入れない。
「これからも歩き続けるって宣言した矢先にこれじゃ、ちょっと恥ずかしいけど……。僕一人の犠牲でおまえに一泡吹かせられるのなら、考えるまでもない」
「私は自己犠牲そのものだからね~。ウイル君を止める権利なんてないな~。うん、最後まで付き合うよ」
用意された台本通りに演じるのが役者なら、ウイルは違う。自らの意思で散り際を選んでしまうのだから、演者としては不適切だ。
生きることを諦めない。これこそがこの少年の根幹ながら、今回ばかりはそれを手放す。目的達成を最優先とするからこその決断だ。
「フ、フざけるナ……。コのニンゲンを殺すヨ!」
「う、う……」
炎の魔物は動揺しながらも、その手は細すぎる首を掴んだままだ。
それゆえにパオラは悶絶するも、その光景だけでは少年は立ち止まらない。
「白紙大典、封印の手順を」
「うん、これでお別れだね」
「オーディエン! 終わらせる!」
人間側が生き延びるためには、犠牲はやむを得ないのか?
ウイルは答えを見出すよりも先に、名乗り上げてしまう。
意思の強さがそうさせた。
諦めたくないがゆえの必然だ。
天技ではエルディアを救い出すことしか出来なかったのだから、それ以上を望むのなら代償が必要だった。
「色褪せぬ赤は、永久不変の心を顕す」
真っ白な本に導かれ、少年は詠唱を開始する。
体からあふれ出る膨大な魔力は、人間のたどり着ける領域ではない。浮かんでは消えていく白い光の泡は、魔法の詠唱時に発現する現象ながら、その規模は嵐のようだ。
「守るために巡り、縛るために記されし言霊達……」
文章をつづるように、ウイルの口からは言葉達が産み落とされる。
もう間もなくだ。
少年の体はその負荷に耐えられず、生命活動を停止するだろう。それと引き換えに宿敵から彼女らを救えるのだから、ためらう理由はどこにも見当たらない。
「我らの旅路を指し示し、絢爛の花を咲かせたまえ」
千年前の再現だ。
オーディエンはそれをわかっているからこそ、正気ではいられない。
これから自身が束縛されることが怖いのではない。
指名した人間が舞台から降りようとしていることが、ただただ我慢ならない。
少女から手を離したことにさえ気づかぬまま、よろよろと歩き始めてしまう。
「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」
この詩は思い出そのものであり、届かぬ理想そのものだ。
父が子に託すように。
母が子に伝えるように。
ウイルは代弁者として想いを歌う。
これで終わってしまう。だからこそ、魔物は叫ばずにはいられなかった。
「ワ、ワかったかラ! 降参ダ! ワタシの負けダ!」
悲鳴のような女の声は、懇願そのものだ。
許しを請うように両手を広げながら、オーディエンは小さな少年に歩み寄る。
人質はパオラではなく、ウイルの方だった。それをわかってしまったのなら、勝者も敗者もいない。
オーディエンは邪魔な人間、つまりはパオラという超越者を殺したい。
ウイルはそれを阻止するために、自分の命を差し出す。
どちらも願いを叶えようものなら、被害者はパオラとウイルの二人となる。
それは受け入れられない。オーディエンにとっては最悪の結末だ。
ウイルを生かすためには、パオラの殺害を諦めるしかない。
ともすれば、折れるのは魔物の方であり、それに気づかされたのだから、少女の解放は必然だ。
「本当だな?」
「本当だヨ。ソんなことをされたラ、ワタシは成す術なイ……。フフ、ソれを見越しタ、パフォーマンスなんだよネ? コうなるとわかった上デ、ワタシを誘導してみせタ……。ヤっぱりキミは最高ダ!」
知恵比べに負けてもなお、オーディエンは妖艶な笑みを絶やさない。炎の体は嬉しそうに踊っており、はしゃぐ姿は道化師そのものだ。
相対する傭兵はすまし顔を維持しながら、封印の詠唱を中断する。自分達は助かったのだから、死に急ぐ必要はない。
「白紙大典、結局のところ、こいつをどう思う?」
「どうと言われてもな~。雰囲気は違うけど、あの女にどことなく似てるし、君が思ってる通り、いつか絶対に倒さないといけない相手だと思う。でも、ハクアでさえ手を焼くって言ってるんだから、この時代の人間って滅ぼされちゃうんじゃない?」
(ふ~む、やっぱりパオラに可能性を見出すしかないのかなぁ。でも、無理強いはしたくない……。セステニアに関しては大人達が何とかしてくれれば一番なんだけど、最年長者が弱音を吐くくらいの相手なんだし……。まぁ、オーディエンに関しては僕がぶっ倒すって決めたんだから、精進あるのみか。王族に魔女が人間だって認めさせないといけないんだし)
前途多難だ。そうである以上、仮初の勝利に酔いしれる暇はない。
ウイルは啖呵を切るように、格上のライバルへ宣言する。
「オーディエン、僕と戦いたいならいつでも来い。だから、他の人には手を出すな。さもないと……」
「ワかってル、大人しく従うヨ。アルジ以外から命令されるなんテ……。実に、愉快! ファファファファ!」
地面を揺らし、薄暗い空を騒がせながら、魔物は人目もはばからずに笑い続ける。
それを遮る声は、ウイル以外にありえない。宣言するように、声高々に言い放つ。
「僕はおまえを許さない。母様だけでなく、パオラやエルさんも殺そうとしたんだ。いつの日か、必ず討伐してやる」
「イいよ。最後はキミに殺されてあげル。モちろン、手加減なんてしないけどネ。ダからモットもっと強くなってヨ! 今はまだ待っててあげるかラ!」
オーディエンの叫び声が大森林に響くも、それは一瞬のことだ。入れ替わるように静寂が訪れた理由は全員が黙ったせいであり、聴衆がにらみ合う傭兵と魔物に魅入ってしまったとも言えよう。
その沈黙もまた、ウイルによって破られる。
「十年くらいは待ってて」
「ソんなに待てるかナ? ワタシもアルジもせっかちだからネ……。 ソうだな、数年後にマた会おウ。ア、デも、呼び出した連中に関しては順次送り出すかラ。ダから、死なないでネ」
言いたいことを言い終えるや否や、オーディエンは音もなくそこからいなくなる。
一方、残されたウイルは冷静だ。背筋を伸ばしたまま、宿敵が立っていた地点をじっと見つめ続ける。
「今の速すぎて全然見えなかった……」
驚きの余り硬直していただけだった。
魔物は透明化したのではなく、足早に立ち去っただけなのだが、今のウイルには軌跡すら追えない。
「私は見えたよ~。左の方にびゅーんって走ってった。あれは確かに速いね~」
「さ、さすが白紙大典……。あっちの方角は西か。まぁ、うん、あいつらの拠点はそっちだし、大人しく帰ったと信じよう」
「そだね~。それじゃ、私はドロンするよ?」
「助かったよ、ありがとう」
「うん、おやすみ~」
脅威は去った。
ならば純白の本も満足げに帰還する。手品のようにボスンと消えるも、行き先は契約者の精神だ。
「ふぅ」
ウイルは息を吐くが、ため息ではない。緊張感から解放されたことから、自然と肺の空気が漏れ出ただけだ。
(死ぬかと思った……。あいつが馬鹿じゃなかったら、本当に死んでたんだろうなぁ。引き換えに封印は成功しただろうけど……。でも、大変なのはここからだ。改めてオーディエンの力量を推し量れたし、黒いのより強い連中が後三体もいるみたいだし……)
前途多難だ。それだけは間違いないと考えながら、エルディアに視線を向ける。
「ウイル君って相変わらず無茶するよねー」
「普段のエルさんほどじゃないです。これからどうされるんですか?」
「んー、やっぱり帰るんじゃないかなー? 疲れちゃったけど、ここで野営する勇気もないしねー」
エルディアの瞳は魔眼だ。
つまりは、魔女だ。
そして、ここには王国の軍人が六人もいる。
この状況下では双方に争うつもりなど毛頭ないが、仲良くキャンプを楽しめる間柄でもない。
「近いうちに、会い行きます」
今のウイルに言えることはここまでだ。
ジョーカーの進化によって、エルディアを探す必要はなくなった。どれだけ離れていようと彼女の温もりを感じることが出来るようになったのだから、天技はやはり進化したのだろう。
ここはジレット大森林。獣や魔物が住まう深き森。
そういう意味では人間は異物なのだろう。この地に限らず、排除しようと何らかの力が作用しているのか、今日もどこかでその命が散っていく。
もっとも、それは魔物側も同様だ。人間は淡々と狩られるだけの弱者ではない。
大事な誰かを守るために、彼らは戦う。敵わぬ相手にも立ち向かえる勇気を、その胸に宿しているのだから。
「こほっ、こほっ。おにいちゃん」
「大丈夫? 一応、回復魔法してもらおっか」
トコトコと近寄ってくるパオラに対し、ウイルは心配そうな表情を浮かべる。少女の首に外傷は見当たらないが、魔物に握りしめられたのだから無傷ではないはずだ。
「ガダムさん、すみません」
「あぁ、わかっている」
長身の男が部下の一人に目配せすれば、それだけで手続きは完了だ。
鋼鉄製の軽鎧をまとった集団の中から一人が飛び出し、パオラに右手をかざす。
その様子を眺めるウイルへ、ガダムもまた、神妙な顔で歩み寄る。
「今晩は監視哨で一泊するのだろう?」
「はい、そのつもりです。お世話になります」
「訊きたいことは山ほどある。知っていること、洗いざらい話してもらうぞ」
「う、アイランおごってくれるなら……」
ジレット監視哨を襲撃した黒い魔物。
火球を体とみなす、女の魔物。
第三先制部隊の隊長として、これらの調査および報告は欠かせない。鍵を握る傭兵が目の前にいるのだから、帰国前の事情聴取は必須だ。
疲労困憊のウイルはさっさと寝たいと考えていたのだが、そうはいかないのだろうと項垂れる。
そんな少年の元へ、全身を真紅の衣服で着飾った魔女が歩み寄る。
「ウイル君、それに軍人さん。お互い大変な目にあってしまったわね。九死に一生を得たと思って、私達は撤収するけれど、その前に改めて礼を言わせて」
ハバネは娘を救われた。ウイルが天技を進化させなければ、エルディアの首は今頃地面に転がっていたはずだ。
ゆえに、心の底から感謝している。里の長として、頭を下げるのは必然と言えよう。
「いえ。むしろ巻き込んでしまったと言いますか……」
ウイルは申し訳なさそうに肩を落とす。
探していたミケットを黒い魔物に殺されたばかりか、回収出来た部位は頭部だけだ。
被害という意味では軍人の方が悲惨だが、彼女らが心を痛めたことに変わりない。
軍人と魔女と傭兵が肩を並べて途切れることなく話し込んだ結果、少女がゆっくりと沈黙を破る。
「つかれた」
「あ、ごめん。だっこするね」
「うん」
これが合図となり、大人達は挨拶を済ませ、それぞれの帰路に就く。
魔女は西へ。
軍人と傭兵は東の軍事基地へ。
薄暗かった空はすっかり闇色に染まり、灯り無しでは森の不気味さが際立ってしまう。
そのはずだが、少女は安らかな寝息を立てている。ウイルの腕の中が安全だと、誰よりもわかっているからだ。
今度こそ、旅は終わりだ。イダンリネア王国はまだ先だが、目的を果たせたのだからパオラは眠りながらその時を待てば良い。
静かな寝息が夜の静けさに溶け込む。
ぬいぐるみのように軽い体には、無限の可能性が眠っていることを、少女だけがまだ知らない。