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ユーリが一人で倉庫を掃除する日々は、それからも続いた。
当然のように誰も手伝ってくれなかったが、唯一、ティララだけが「手伝おうか?」と言ってくれた。
けれどユーリは首を横に振る。
「ううん、大丈夫。ティララは倉庫係じゃないもの。担当の仕事だけで忙しいでしょ」
「まあ、暇ではないけど……。本当に平気?」
「平気、平気!」
ユーリが空元気で言えば、ティララもそれ以上は何も言わなかった。
数日かけて掃除の範囲を広げたユーリは、いよいよ棚の整理に取り掛かった。
奥にあるものは全て捨てていいとガルスの許可を取っている。何せ十年以上放置してきたのだから、当たり前だろう。
鉱物類などは鑑定人に一応確認するとして、腐りかけのものは全て処分をした。
倉庫の入口付近のようにみっちり詰まっているわけではないが、それでもそれなりの量だった。
ユーリは魔法ランタンをいくつも借りて通路に設置し、ひたすら箱に入れた処分品を出口まで運んだ。毎日筋肉痛で大変だった。
素材を処分した棚は雑巾で拭いてきれいにする。掃除と処分を繰り返しだ。
汚いのも臭いのも腐っているのも虫も(!)気にしないことにしたが、一番困るのはホコリだった。ハンカチのマスクをしても目が痛いし、喉もイガイガする。鼻水もぐずぐずと出て、ずっと息苦しい。
毎日朝から夕暮れまで掃除と整理を続けて、終わる頃にはユーリ自身が真っ黒に汚れている。
ユピテル帝国にはお風呂文化があるので、汚れを公衆浴場で落とせるのだけが救いだった。
片付けても片付けても終わりの見えない作業に、さすがのユーリも挫けそうになっていた。
今日もひどく汚れてしまったので、ユーリは公衆浴場へ向かった。
浴場は町の中に何箇所もあって、小銭で利用できる便利な施設である。
ただ、ユピテル帝国に石けんが存在しない。垢すりはオイルや砂をまぶして擦り落とす。
毎日ひどく汚れるユーリとしては、きちんと汚れをきれにしたいのだが、石けんがないとどうしても完全にとはいかない。
それでも蒸し風呂でしっかり汗をかいて、大きなお風呂でお湯に浸かればだいぶさっぱりとする。
ユーリが脱衣所から出てホールの方に行くと、アウレリウスと鉢合わせをした。
「アウレリウス様! どうしたんですか、こんなところで」
ユーリは驚いた。ドリファ軍団の駐屯地には兵士専用の浴場がある。てっきり彼もそこを使っていると思っていたのだが。
「視察を兼ねて町の浴場を使っている。何か問題でも?」
アウレリウスは当然という口調で言った。よく見れば、後ろにペトロニウスの姿もある。
アウレリウスは軍団長の地位にある人物だが、このカムロドゥヌムの町の責任者を兼ねている。軍団が対魔物の安全保障、および犯罪取り締まりなどの治安維持をやっている以上、そうなって当たり前ということだった。
ペトロニウスが言う。
「この町に限って言えば、数年で任期が終わる属州総督よりも、アウレリウス様の方が力を持っていますよ」
アウレリウスは肩をすくめた後、ユーリを見て言った。
「風呂に入った割には、汚れが落ちきっていないようだが」
ユーリは慌てて顔を触ってみる。ちゃんと洗ったつもりだったが、汚れがついていただろうか?
すると彼は苦笑した。
「そうではない。精神的なリフレッシュができていないという意味だ。一日が終わった疲れは、最後に風呂で癒す。それがユピテル人の習いだからな」
「お風呂はいいですね。体を温めると疲れが取れます」
ユーリはうなずいた。
「私の故郷もお風呂文化のある国でした。温泉がいっぱいあって、あちこちの温泉に旅行するのが趣味な人もいましたよ」
「ほう、温泉か。このブリタニカ属州にも数か所ある」
「そうなんですね。じゃあブリタニカにも火山があるんだ」
「火山? 火を吹く山のことか? それと温泉に何の関係が?」
「火山のマグマが地下水を温めます。その水が地表まで出てくると温泉になるんですよ。マグマのガス成分や地盤の成分が溶解したりして、温泉の泉質が変わったりもします」
「興味深い」
そんな話をする。ペトロニウスが人数分の飲み物を持ってきてくれたので、ユーリはありがたく頂戴した。
「おいしいです」
飲み物はぶどうを絞ったジュースだった。甘い果汁の風味が疲れた体に染み込むようだった。
美味しそうにジュースを飲むユーリを見て、アウレリウスが言う。
「さて、引き止めてしまったな。体が冷える前に帰りなさい」
「はい。ジュース、ごちそうさまでした。それでは、また」
「ああ」
ジュースを飲み終わったユーリは、浴場を出て宿舎へと歩き始める。
久々にアウレリウスと話して、思った以上に気持ちが切り替えられた。いつもと変わらない彼の様子は、周囲に冷たくされてばかりのユーリを励ましてくれれた。
また頑張ろう。自然とそう思えた。
それから数日。ユーリはその日の倉庫整理を少し休んで、ドリファ軍団の駐屯地まで来ていた。
素材の配達にアウレリウスがユーリを指定したのだ。
「顔色が良くないようだが、何かあったのか?」
司令室に入ると開口一番、彼は言った。どうやら先日の浴場で会ったとき以来、気にかけていたようだった。
「大丈夫です。最近は倉庫の掃除をしていて、力仕事が多くてちょっと疲れ気味な程度ですよ」
素材を引き渡しながらユーリは答える。
「掃除? そういえば、この前の浴場で会ったときも、汚れを気にしている様子だったが」
「大きな倉庫ですから。掃除も整理も、なかなかすぐには終わらなくて」
ユーリが倉庫に入ってから、既に十日近くが経過している。たった一人でやっているため、作業は進んでいるとは言いがたい。
だが、それはアウレリウスには関係のない話だ。ユーリはごまかすことにした。
「掃除自体はいいんですけど、ホコリがつらいですね。布で顔を覆っても目が痛くて、鼻はぐずぐず、喉はイガイガ」
わざと茶化して言ったのだが、アウレリウスは真面目にうなずいた。
「きみは努力家なのだな。この国にやって来てまだ間もないというのに、弱音ひとつ吐かずにやっている」
「いえ! そんな大層なものではないです。私が望んでやっている仕事ですし」
「そう、か……」
彼は少し考えた後、立ち上がって棚の箱を開けた。中には丸い形の魔石が入っていた。前にユーリがもらった、浄水の魔石に似た紋様が刻まれている。
魔石はビー玉くらいの大きさで、不思議な紫色。角度を変えると微妙に色合いが変わって、とてもきれいだ。石には通し穴がついていて、革紐がつけられていた。
「それは?」
ユーリは思わず、その美しい石に目を奪われる。
「浄化の魔石だ。先日きみに渡したものとはまた違って、風の流れを浄化する」
「風の流れ……空気ですね」
「異世界の言葉で言えばそうなるか。これがあれば、ホコリ程度は気にならなくなる。毒気などに対しては、少々心もとないが」
「じゅうぶんです! ホコリが一番つらかったので」
ユーリは嬉しくなってニッコリと笑った。これで掃除がだいぶマシになる!
「ぜひ譲ってください。おいくらでしょうか?」
冒険者ギルドから給与は既に出ている。ユーリははりきって財布を取り出した。
しかしアウレリウスは首を横に振った。
「代金はいらぬよ。これも私が趣味で作ったものだ。きみの役に立つのであれば、それでいい」
「え、でも……」
「代わりと言っては何だが、異世界や雑学の話を時折聞かせに来てほしい。きみの話は興味深いからな」
「分かりました。そんなことでよければ、いつでも。ありがとうございます」
魔道具を受け取ったユーリは、さっそく革紐を首にかけてみた。
「どうでしょう、似合いますか? あれ、そういえば、この石はアウレリウス様の瞳の色とよく似ていますね」
「…………!」
アウレリウスは軽く固まった。しかし照れ笑いをするユーリは気づいていない。
「私の国は、みんなが黒い髪と黒い瞳だったせいで、自分の色のアクセサリーっていう考え方がなくて。ちょっと照れるけど、こういうのもいいですね」
「…………」
「あの、アウレリウス様?」
ようやくユーリは不審そうに首をかしげると、アウレリウスが呻くように言った。
「ユーリよ。色については他言無用で頼む」
「はい? まあ、かまいませんが」
何も気づいていないユーリに、アウレリウスは言い出せない。自分の髪や瞳の色のアクセサリーを贈るのは、恋人相手だけだと。
(うかつだった。だがこれはアクセサリーではなく、浄化の魔道具だ。それにユーリは異世界人、何も気づいていないだろう。あえて伝える必要はない)
内心の動揺を押し殺して、アウレリウスはうなずいた。
「配達ご苦労だった。また頼む」
「はい。またよろしくお願いします」
そう言って出ていったユーリがさっそくペトロニウスに見つかり、アウレリウスは部下からさんざんに囃し立てられる羽目になるのだが、それはまた別の話。
アウレリウスにもらった浄化の魔道具はよく効いて、ユーリはホコリに悩むことがなくなった。
おかげで掃除ははかどって、さらに整理を進められた。
最初に倉庫の掃除を始めてからもう二週間。すっかり慣れた作業である。
「それにしても、不思議よねー。このきれいな玉が空気清浄機なんだもの」
休憩する時、ユーリはよくこの紫の石を眺めている。深い色合いを見ていると心が落ち着くのだ。
石を魔法ランタンにかざして見ると、紫色の中に微かな金色が渦巻いている。
もう一つの魔道具、浄水の赤い石を取り出して並べてみる。こちらは静かな虹色で色の動きはない。
どうやら渦巻く金色は、魔道具が起動している証のようだ。
金色が、そして神秘的な雰囲気がどこかアウレリウスを思い起こさせて、ユーリは慌てて紫の石を握った。
「そりゃあアウレリウス様は頼りになる人だけどさ! ついでにイケメンだけどさ。私を異世界に連れてきてしまった責任があるから、優しくしてくれるだけだよ。それ以上はなんにもないよね」
口に出して言って、思った以上に悲しくなって、ユーリは驚いた。
気持ちを切り替えようと、ぶんぶんと首を振る。
現在のユーリの第一目標は、この倉庫を何とかすることだ。まずはそれに専念しなければ。全てはこの件が片付いてから。そうでなければ、他ならぬユーリ自身が納得できそうにない。
地道に続けた掃除は倉庫の四分の三ほどが終わった。残りはもう少しだ。
古すぎて傷んでいる素材もかなり処分を進めて、奥の方の棚はすっきりしている。
ユーリは棚に素材を並べる順番を考えた。
基本的には分類の番号順だが、入出荷の頻度が高いものは入口近くに配置するべきだろう。
過去の記録を見て、どこにどう配置するかを改めて決めなければ。
入出荷の記録は非常にいい加減だったが、売買代金の帳簿はさすがにもう少しちゃんとしているはずだ。
「ナナさんに頼んで書類を見せてもらおう」
ユーリはそう言って、事務所へ行くべく倉庫の出口に向かった。
コメント
1件
うわあ、この回めちゃくちゃ良かった…!ユーリが一人で倉庫掃除を頑張ってる姿が健気で、ホコリに悩む描写がリアルすぎて「わかる…」ってなったよ。アウレリウスから空気清浄の魔石もらうシーン、あの紫の石が彼の瞳の色と同じって気づいちゃうところがもう…甘酸っぱい!ユーリはまだ自覚してないけど、読者としては「それ絶対恋愛フラグだよ!」ってニヤニヤしちゃった。掃除頑張るユーリを応援したくなる回だった!