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「球場にいらしてたのですか?」
ツトムは思わず声をあげた。
「そうだ。野球ファンでも南海ツトムのファンでもなく、ある百貨店が手がけようとしていたオリジナルTシャツブランドの営業のためだったがな」
「接待かなにかですか」
「いや、競合他社との最終決戦の場だった」
大垣はそう言ってワインを一口すすった。
「最終決戦といいますと?」
「ウチの有能な営業社員のおかげで、最終二社相見積もりまでこぎつけたんだ。そしたら百貨店の会長から、直々に野球に誘われてな。
俺はてっきり契約成立だと思って駆けつけたんだが、行ってみるとそこにはライバル会社の社長も同席してた。
俺たちが揃うのを見てから会長はこう言いやがったんだ。二社の商品は品質も価格も、そして営業社員の情熱も素晴らしく、私はとても悩んでるんですよ、とな。
ピンときたよ、俺も相手方の社長もよ」
「まさか、賭けですか?」
「そのとおり。真剣にスポーツに取り組んでるおまえらにゃ悪いが、世のなかにはそういったおふざけのような真剣勝負が存在するんだ。品質に遜色ないふたつの会社があるのなら、より高い運気をもつ会社と取引するって寸法だ。
おまえにとっては腹立たしい論理かもしれんが、百貨店の会長にとっては、大まじめな趣旨選択の最終局面だったんだよ」
テーブルには百瀬あかねが運んだ料理が並んでいく。
柔らかそうな肉料理とフリットミスト、バジルクリームのニョッキが、湯気をたてて香りを運んでいる。
「いいタイミングでもってきたな」
大垣は不服そうに言った。
「はなしの腰を折ってしまったのですね。お許しください」
「ムカついた。ワイン一本追加だ」
「いつもありがとうございます!」
ツトムはふたりのやりとりを見ながら、テーブルを彩る美しい料理の匂いに空腹を自覚した。
「なにやってんだ。熱いうちにさっさと食え」
「オーナー、ぼくだって一応はプロ野球選手です。しかもその試合に出場していた選手です。さきに話の結末を聞かせてください」
「面倒なヤツだな……。で、けっきょく球場でジジイふたりが賭けをやらされたってわけだ」
「オーナーはどちらを選んだのですか」
思わずテーブルに身を乗りだしていた。
「もちろん、南海ツトムがいないほうだ。俺も相手の社長もな」
「朝日フライングバグス、花塚さんか」
球界の大スター、花塚茂(はなつかしげる)が在籍する朝日フライングバグスを選ぶのは当然の選択だろう。
5年前。
花塚茂との魂を賭けた戦いを思いだすと、そのたびにツトムの胸は震える。
「野球を知らん人間には、ネームバリューがすべてだ。俺もむこうの社長も、花塚投手しか知らんかったからな。外国人がメイドインジャパンの電化製品を選ぶのと同じように、俺たちは花塚茂というブランドを選んだわけだ」
大垣はフォークでニョッキを刺して口に放り込んだ。
「理解します」
「で結局、大まじめなじゃんけんの末に、ウチが商談を成立させた」
「大垣オーナーがじゃんけんに勝って、朝日フライングバグスを選んだ。そして見事に商談は成立した、ということですね」
話の筋が見えたところで、ツトムはようやくフォークとナイフを手にした。
柔らかな肉料理をナイフで切って口に運ぶ。
「いや、俺はじゃんけんには負けたんだ」
「負けたんですか?」
「ああ。だがな、ライバル会社の社長はなにをトチ狂ったか、南海ツトムを選んだ」
「どうしてですか? まさか裏をかこうとか」
「社長やってるヤツなんて所詮、ひねくれ者の集まりだ。まだこの世に存在しない物やサービスを掘り起こそうと狙ってやがるから、土壇場で南海ツトムを選んじまったんだよ」
「ああ……オーナー、ちょっとすいません」
ツトムはとつぜん口ごもった。
「なんだ?」
ツトムは口内から全身へと広がる料理の旨味に、心を奪われた。
じっくりと煮込まれた肉がソースとからみ合い、溶けるように喉から胃へと流れ落ちていく。
神谷ひさしのショートケーキにつづき、ここでもツトムの体は、濃厚な旨味に歓喜の声をあげた。
「この肉、ちょっとおいしすぎませんか? これ、なんという料理ですか」
ツトムは目を丸くしたまま、さらに一口を放り込んでアゴをすばやく動かした。
「おい」
大垣が百瀬あかねを呼んだ。
退屈そうに立っていた百瀬あかねが、すぐに席へとやってくる。
「これはオッソブーコといって、仔牛の煮込み料理です。輪切りにしたスネ肉を長時間煮込んでいて、骨髄まで食べられるんですよ」
「……オッソブーコ」
ツトムの脳裏に、かつて口にしてきたオッソブーコがよみがえった。
「たしかに悪くないな」
大垣もオッソブーコの美味さに舌鼓を打った。
「悪くないどころじゃありません。こんなにおいしいオッソブーコ、いままで出会ったことがありません」
「おまえ、料理名も知らなかったじゃねーか」
「知らなかったのではなく、気づかなかったんです。あまりに違いすぎて……」
オッソブーコにつづいて、バジルクリームのニョッキとフリットミストにも手をつけてみる。
いずれもかつてツトムが口にしてきたものよりも、群を抜いて美味しかった。
プロ一年目に一軍への昇格を果たし、何度か高級イタリアンレストランを訪れた。
だがどこもラ・コンナートの3倍の値が張るだけで、その味は記憶にすら残っていない。
「本物ってのは、意外な場所にあるもんですね」
ツトムは感動のあまり料理人がいるキッチンへと目をむけた。
ガラス張りのキッチンでは、野性味あふれるアゴ髭をたくわえた40台ほどのシェフが、スーシェフに指示をだしている。
スーシェフは明日の仕込みでも行っているのだろうか、ホール側に背をむけて料理に打ち込んでいる。
ツトムは手にしたナイフとフォークで、再びオッソブーコを口に運んだ。
「この料理。実はな――」
大垣がオッソブーコを飲み込んでから声を落とした。
「能力を使って作ったものだ」
「食べた瞬間に、そうだろうと直感しました。ずば抜けておいしいので」
「けっ、瞳孔かっぴらいて驚くのを楽しみにしてたのに。興ざめだ」