コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
カイランが領地へ向かうため朝早くから邸は慌ただしかった。朝早いため見送りはいらないと聞いていたが、私はホールへ来ていた。カイランとトニーそしてハンクの従者を務めるハロルドが馬車に乗ってゾルダーク領へ向かうようだ。外には護衛騎士も数名、すでに馬に跨がりカイランを待っていた。ソーマも見送りにきたのだろう。ホールでカイラン達と話をしていた。近づいていく私に気づいたのはカイランだった。
「キャスリン、朝早いから見送りはいいと言ったのにきてくれたのか」
カイランは嬉しそうに私を見つめる。その意味はわからないがカイランの感情など関係ないので考えることはやめた。
「ええ、起きてしまって。せっかくだもの、見送りをさせてね」
私は良き妻を演じるために朝早く起きてきたのだ。ゾルダークの人達には良い印象をもって欲しいから。
「夜会には間に合うように帰ってくるよ。揃いの衣装楽しみにしてる」
「ふふ、私も楽しみよ。きっとカイランも気に入るわ。気を付けて行ってきてね」
三人が馬車に乗り込むのを見守る。前後に護衛騎士を配置して出立した。これから数日カイランはいない。心が軽くなる気がしたのは仕方がない事よね、これから私は大事な目的を果たすため不安を取り除く必要があるのだから。馬車が見えなくなってからソーマへ振り向く。
「若奥様、お疲れさまでございます。朝食はもう召し上がりましたか?まだでしたら閣下がこれからテラスで召し上がる予定ですのでご一緒されますか?」
ソーマの提案にそのまま頷くと、では一緒に参りましょうと歩き出す。嫁いでから誰かと朝食をとるのははじめてだった。
ハンクの自室のテラスへ案内された。ここのテラスはハンクの私的空間を通らずともたどり着ける様になっていた。テーブルの上にはすでに朝食の準備がしてあり、あとは主を待つのみとなっていたがハンクの姿はない。ソーマに椅子を引かれ座りハンクを待つ。とても天気が良い。こんな日はこうやってテラスで朝食をとっているのかもしれない。そんなハンクを想像していたら本物が現れた。夕食の時よりも軽装で髪も後ろに撫で付けてはいない、眉間のしわは健在だが幾分若く見え、表情も柔らかい。
「おはようございます閣下、お招きありがとうございます」
私が立ち上がり挨拶すると、手振りで座れと合図した。沈黙の中、食事が始まる。私は朝食が少ないほうだがハンクはたくさん食べている。見ていて飽きないくらい大きな口の中に食べ物が入っていく。だからあんな大きな体になるのかしらと感心しているとハンクと目が合った。見られるのは嫌だったかしらと首を傾げると目はそらされ食事に戻った。食後の紅茶をソーマがいれてくれた。
「あれだけで足りるのか」
ハンクは私を見ずに話し出した。足りるのか…とは朝食のことかしら。
「はい。朝はあまり食べないのです。なので閣下がたくさん召し上がるのを見ていて驚きましたわ。だからそんなにお体が大きくなりますのね。私ももっと食べたら大きくなれるのかしら」
ふふ、と笑顔で話すとハンクはやっとこちらを見た。今どう思っているかなど感じさせない黒い瞳は朝日を浴びてとても綺麗だった。
「まだ成長しているのか?」
「いいえ、もう背丈は伸びておりません。でも小さいよりいいなと、貧相に見えますでしょ?」
ありのまま本音を話す。私は他の令嬢と比べて小さいのだ。そうなるとドレスも不恰好かしらと、特にダンスなどは身長の高いカイランと並んでも合わないなと感じてしまう。なので小さいより大きいほうがよいと思っていた。
「貧相と誰かに言われたのか?」
私はきょとんとしてしまう。そういう風に聞こえたのかしら、ただ自分勝手にそう思っているだけのことなのだ。父も兄も小さくて可愛いと言ってくれていた。ハンクは私が誰かにそう言われて侮辱されたのか聞いているのかしら、なら誤解は解かないと。
「ふふ、誰にもそのようなことは言われておりませんわ。自分でそう思っているだけですの。カイランは大きいので隣に立つと特に目立ってしまって…でもディーターでは小さくて可愛いと言って貰えますから、ただ背が高い方が羨ましいということなのです。憧れですわ」
ハンクはそうかと頷いていた。なんだか、普通の会話をしていると気付き、少し感動してしまった。それだけハンクは寡黙な印象を周りに与えている。
「閣下、医師の件ありがとうございます。ライアン様はとても親切で丁寧に診察してくださいました。それに閣下が病気になってくださったおかげで気にすることなくライアン様の往診を受けることができました」
「ああ、気にするな」
「ソーマも診察の時にいたので話しましたが五日後から二日間、よろしくお願いいたします。ただカイランが領地から戻ってくる日が重なると少し…」
カイランの戻る日は邸が慌ただしくなるから、もしかしたら忙しくなって流れてしまうかもしれないと考えていた。それは仕方ないことだがせっかく診察まで受けたのだからこの機会を逃したくなかった。私の言葉を聞いてハンクが静かに話し出した
「それも気にするな。七日は戻らん。ハロルドを同行させたから帰りは遅らせるよう言ってある。向こうには奴の祖父が暇をしているから相手をするよう話すだろう」
素直に驚いてしまった。ハンクがそこまで考えてくれていることに。今朝ハロルドがカイランと領地へ行くのは仕事のためかと思っていたけど、カイランが戻るのを遅らせるために一緒に行かせた。ではハロルドは私達の秘密を知る人物ということね。私はハンクを気遣いのできる様な人柄だとは思ってなかったし、これだけ長く話すハンクも珍しい。でも、気遣いのほうは老齢の執事が側にいるのだから彼の意見かもしれないとも思った。
「それは安心ですわ。カイランが邸にいるのといないのとではだいぶ心持ちが違いますから。心遣い感謝します」
私は頭を下げて礼をする。顔を上げハンクを見ると眉間のしわが増えている。失礼なことを言ったかしらと首を傾げているとハンクが、目線を横へ侍るソーマへやり小さな声で話す。
「ソーマがな、お前のためだと」
私もソーマのほうを見つめ微笑む。
「ありがとうソーマ。気にかかっていたの、本当に助かるわ」
ソーマが頭を下げ返事をする。本当に気がきく執事だわ。今のところ私を軽く扱うことはないということね。
「お前の部屋か俺の部屋か」
いきなりな話題に反応できなかったが、少し考え想像する。そうね、初めては痛みがあると聞いていたもの。あまり移動はしたくないわね。動けなくなってハンクの手を煩わせてしまうのは避けたいわ。動けなくなるのかしら…私が思案していてもハンクは急かさず答えを待ってくれた。
「私の部屋へ来ていただけますか?」
「ああ、待ってろ」
ハンクはそう言って席を立ちテラスを離れていく。私も席を立ちそれを見送る。そしてソーマを見る。
「ありがとう。私に気を遣ってくれて。引き留めてごめんなさいね」
どうしてもソーマに礼をしたかった私はつい話しかけてしまった。
「お気になさらず、他に何かお困りなことはございませんか?」
私は昨日のカイランとのことをソーマに話してみた。触れられて震えてしまったことを。
「実は昨日ね、カイランに手を触れられたの。そうしたら手が震えて…閣下にも同じ様になってしまったらって考えてしまったわ。男性に触れることはあまり機会がないからよくわからなくて」
ソーマはふむ、と頷き私の前にさっと手を差し出した。触ってみろというのか、ソーマの意図を確認しようと顔を上げてみると首肯するので、そっと触れてみる。嫌な感じはしないし震えもこない。今度はぎゅっと握ってみた、ソーマの手は私より大きくかさついて骨張っていた。じぃと見ていた手を離すとソーマが私に話しかける。
「年よりの手はどうですか?嫌でしたか?震えてはいないようでしたが」
私は首を傾げてソーマに答える。
「なんともないわ。おかしいわね、本当に震えたのよ」
「カイラン様が駄目だということでしょう。気持ちの問題なのです」
ソーマにそう言われて、すとんと自分の気持ちに納得できた。ああ、私はカイランが本当に許せないのだと。嫌いなどの感情では表せない、この感情は憎いが近いのかもしれない。新婚なのに自分の夫が憎いなんて、先は長いのに…なるべく会わないようにしようと一人決意した。