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#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

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木風
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#サレ妻
都築七美
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一月十四日、水曜。年明けの事務所は、年度末に向けて帳簿が積み上がり始めていた。
十時過ぎに、顧問先の「ひまわり介護」の社長の奥さんが来た。六十前の、小さな人で、応接の小部屋に入る前から、ハンカチを握っていた。
神谷が応接に入って十分ほどして、扉が開いた。
「篠原さん。来てくれ」
真尋は、年末調整の残りの一冊を閉じて、応接に入った。
机の上に、ひまわり介護の三年分の月次の帳簿が積んである。奥さんは、ハンカチを目に当てていた。
「奥さんは、ご主人が会社の金を別に動かしているのではないか、と心配されている。私は、顧問として、月次の数字を見てきた。ただ、私が見る数字と、奥さんが心配している数字は、違う」
神谷は、帳簿を真尋のほうに押した。
「この三年の月次を、読んで。家の金の読み方で」
真尋は、座って、帳簿を開いた。
社長の報酬の振込。毎月二十五日。それから、翌日の二十六日に、別の支出が一つ。『仮払金』。毎月、同じ額だった。十五万円。三年分、三十六回。
真尋は、仮払金の戻りの欄を探した。仮払いは、立て替えてもらった金を、あとで精算して戻すものだ。戻りの欄は、三十六回とも、空いていた。
「毎月二十五日の社長の報酬の翌日に、別の支出が一つ出ています。『仮払』、十五万円。三年、同じ額、同じ日です。仮払の戻りが、三年で、一度もありません」
奥さんが、ハンカチを下ろした。
「それは」
「仮払は、会社が社長に貸している形のお金です。戻りがないなら、三年で五百四十万円が、戻らないままになっています。帳簿の上では、会社が貸しているだけで、使い道は分かりません」
真尋は、言い終えて、帳簿を閉じた。感想は要らない。数字だけでいい。
奥さんは、しばらく黙っていた。それから、真尋を見た。
「あなた、どうしてそんなに、すぐ分かるの」
「毎月二十六日に、同じ額が同じ形で出るのは、人が決めてやっていることだからです。会社の都合で動く金は、額も日付もそろいません」
「あなたみたいな人が、家にいたら」
奥さんは、そう言って、少し笑った。泣いたあとの、笑い方だった。
真尋は、少し迷って、言った。
「私も、家の分は、九年つけました。それで、分かったことがあります」
奥さんは、真尋の顔を見て、何かを察したらしかった。何も聞かなかった。
神谷が、「仮払の戻りの件は、私から社長に確認します。それは顧問の業務です」と言って、奥さんを見送った。
奥さんが帰ったあと、神谷は所長室に戻る前に、真尋の机の横で足を止めた。
「篠原さん。四月から、話がある」
「四月、ですか」
「今は年度末で、忙しい。三月まで、この話はしない。四月になったら、言う。覚えておきなさい」
神谷は所長室に入った。
大久保が、湯呟みを持って、真尋の横に来た。
「それ、正社員の話よ」
所長室の中から、「まだ言うな」と返ってきた。
大久保は笑って、自分の席に戻った。
真尋は、机の上の年末調整の最後の一冊を見た。四月。三か月先。調停の初回が二月で、法事が二月二十二日で、その先に四月がある。
椅子に座り直すと、椅子が、がたついた。
この椅子は、十二月の初めから、右の後ろの脚が少し短い。座るたびに、一度、傾く。真尋は、誰にも言っていなかった。パートの椅子ががたつくことを、言う場所がなかった。言う必要も、なかった。
翌朝。
真尋が座ると、椅子は、傾かなかった。
四本の脚が、同じ高さで床についている。見ると、右の後ろの脚の下に、薄い板が一枚、貼ってあった。
「それ、所長が夜中にやってたわよ」
大久保が、湯呟みを並べながら言った。
「昨日、みんな帰ったあと。私、忘れ物取りに戻ったら、所長が床に膝ついて、真尋さんの椅子、ひっくり返してた。業務だって」
真尋は、椅子の脚の板を、指で押した。動かなかった。板は、事務所の棚の、古い帳簿の背の補強に使っている板と、同じ厚さだった。
所長室の扉は、閉まっていた。真尋は、礼を言いに行かなかった。言えば、業務だ、と返ってくる。
真尋は、何も言わずに、帳簿を開いた。
十五日、木曜。五時に上がって、学童に結衣を迎えに行った。
結衣は、門のところで待っていて、真尋を見ると、いつもより早足で来た。
帰り道、結衣が、ポケットから何かを出した。個包装の、小さなチョコレート。
「もらったの」
「誰に」
「お姉さん」
真尋は、歩く速さを変えなかった。
「どこで」
「学童の門のところ。三時くらい。外で遊んでたら、門の外から、結衣ちゃん、って呼ばれた。お正月に、おばあちゃんの家にいた、お姉さん」
瑠美だ。
「それで」
「お菓子、くれた。みんなにはだめだからって、わたしだけ。それから、言ってた」
結衣は、チョコレートを手の中で、転がした。
「おなかに、赤ちゃんがいるって。わたしの、きょうだいだって。もうすぐ、一緒に住むんだって」
真尋は、立ち止まった。
結衣も止まって、真尋の顔を見た。
「お母さん。きょうだいって、ほんと?」
真尋は、結衣の手の中の、チョコレートを見た。銀色の包み紙。結衣は、まだ開けていなかった。
コメント
1件
いやあ、今回もじんわり沁みました……。真尋が数字だけで淡々と仮払いの異常を指摘する場面、あの静かで確かな感じがすごく好きです。そして何より、椅子の脚を直す所長。一言のやりとりもなくて、でも確かにそこにある信頼関係が美しいなって思いました。それにしてもラストの瑠美のチョコレート……まだ開けてないっていう描写が、これから来るものの重みを予感させて、すごく心に残りました。続き、気になります……!