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「何か良いことでもあった? メッセージもよく送ってくるし電話でも明るいわよね、最近の雫は」
「そう? 自分ではいつもと変わらないつもりだったけど……」
良く晴れた週末、お気に入りの喫茶店で親友の麻理とお茶をしている。
本当は彼女の言っていることに心当たりがあったけれど、それは言えないから適当に誤魔化した。もし話せば反対される、それくらいは私にも分かってる。だけど、それを承知で私はあの時の答えを選んだのだから。
「嘘ばっかり! メールや電話だけじゃないわよ、今だってそんなに肌の調子も良くて生き生きしてるじゃない。何があったのか吐いちゃいなさいよ~」
「ヤダ、何もないってば! 駅前の新しいエステに通いだしただけ、それだけよ」
これは本当だった。あの日、奥野君と約束を交わしてから何となく自分磨きをしたくなってそのまま駅前のエステに予約を入れた。どうしてか分からないけど、あの日を境に私はどんどん前向きになってきてる。
それは悩みだった複雑な夫婦関係にも変化をもたらして……
「もしかして、旦那さんと上手くいってるとか? そう言うことは親友の私にはちゃーんと報告しなきゃダメでしょう!」
「だから、そういうのじゃないって言ってるのに」
私と岳紘さんの関係が劇的に良くなったわけじゃない。でもあれから少しずつ二人の間にあった壁みたいなのが、薄くなっているような気はするのだ。
もしかしたら、次に何かあった時の逃げ場が出来たからかもしれない。
『ただ辛い時に慰め合える相手、そういうのって欲しくないですか?』
最初は馬鹿な事を言っていると思ったのに。でもそれくらい奥野君も精神的に追い詰められてるのだと分かって、自分の置かれた状況と重ねて見てしまった。
私に頼られたいと何度も言っていたのは、そうしなければ奥野君自身が不安だったからかもしれない。誰でもいいわけじゃない、だけど本当に必要として欲しい人にそれを言えないから……
奥野君にとっては私は丁度良い場面に現れただけの先輩なのかもしれないけれど、それは私も同じだったので不満はない。
『勘違いしないでくださいね、これが雫先輩じゃなければこんなこと言いません。俺にとって先輩は今でも特別な存在に変わりないので』
『本当に、変な意味は無いの? ただ、こうやって言葉で慰め合うだけでいいって?』
もちろん、それ以上は私だって求める気も無ければ応えるつもりもない。それは奥野君だって分かっているはず、だとするなら……
辛い時、もう一人で泣くのを我慢しなくてもいいの?
『絶対に、誰にも言わないと約束してくれる?』
『……もちろん、俺と雫先輩の二人だけの秘密です』
その言葉に安心したのかもしれない、私は辛い現状から少しでも楽になりたくて奥野君の提案に頷いたのだった。
私の選んだ答えは間違っているかもしれない、だけど逃げ場を作ったことで心がずいぶん楽になったのも事実で。岳紘さんへの想いや不満が無くなったわけではなかったけれど、それでも前よりはずっと良い。
親友の麻理にも話せないことがどんどん増えていくのが少し心苦しいが、今はそれも仕方ないと思う。私たち夫婦がどんな形の未来を迎えても、その時には麻理にも全部話すつもりだから。
「……ねえ。アンタ達夫婦は良い方向に向かってる、そう思っててもいいのよね?」
「大丈夫よ、私も岳紘さんも大人なんだから。彼は夫として役目を、私は妻としての務めをちゃんと果たしているわ」
良い方向なのか、それとも悪い方向へ進んでいるのかは分からない。明るくなった私に岳紘さんは少し戸惑っているようだったが、隠れて誰かに電話をするのは変わらない。
……私は敢えて、それに気付かないフリをしている。
「なんだか曖昧な言い方ね、素直に不満を吐き出してくれる方がまだ安心出来るんだけど。問題なければいいわ、でも覚えておきなさい。いざとなったら雫一人くらい、私だって面倒見ることくらい出来るんだからね?」
「あはは! なんだか告白されてるみたい、麻理は昔からそうよね。ずっと、面倒見がいいお姉ちゃんみたいで」
私が笑えば、麻理は満足そうに微笑んで見せる。何度もこうやって私を励まし、頑張れと背中を押してくれるのだ。だから余計に、これ以上私の事で気を使わせたくはなかったのかもしれない。