テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──放課後。チャイム直前の教室。
残された数人の気配と、机を引く音。誰も遥に触れようとしない。
遥は、ずっと窓際で座ったままだった。
鞄も開かず、教科書も出さず、ただ時間の流れに取り残されていた。
席を立とうとして、日下部が一度だけ遥の方を見た。
けれど、目が合わない。遥は、机の木目をじっと見つめていた。
(このまま帰ったら、あいつ、明日もう来ない気がする)
日下部の中に、そんな予感があった。
──だから、声をかけた。
「遥」
静かな呼びかけ。
けれど遥は、まるで「自分が呼ばれた」という認識すら拒否するように、反応を見せなかった。
「……お前、今日のこと──」
日下部の言葉が、そこで止まる。
遥の指が、机の縁を掴んでいた。
強く、爪が白くなるほど。
でも、それだけだった。無言のまま、ただ黙って、そこにいる。
日下部は、その姿が──
“言葉を差し出せば壊れる”状態だと、直感した。
だから、口を閉じた。
沈黙の中で、時計の秒針だけが響いていた。
「……なんか、さ」
日下部は、ぎこちなく笑った。
自分でも、なにを言おうとしてるのか、わからなかった。
「“好き”とか、“守る”とか……そんなん、他人に言われるもんじゃねえだろ」
遥の指が、びくりと動いた。
「勝手に決められて、勝手に潰されて──そんなの、ただの暴力だ」
その瞬間。
遥の背筋が、ほんの少しだけ、震えた。
けれど──顔は、上がらなかった。
「お前が“気持ち悪い”とか、“抱かれたかった”とか……そんなの、全部、嘘だ」
遥のまつげが、わずかに揺れた。
「……オレは、信じてるから」
その言葉に、遥は微かに反応した。
けれどそのまま、目を伏せて、唇を噛み、静かに鞄を手に取る。
その手つきに、日下部は気づいた。
──“その言葉に、応えないこと”が、遥なりの答えなのだと。
遥は立ち上がる。
一言も発さず、ただ歩き出す。
教室を出る瞬間、日下部の前で一瞬だけ立ち止まった。
けれど、やはり振り返ることはなく、歩き出した。
その背中が小さくなっていくのを、日下部は、何もできずに見送る。
(届かない──けど、まだ消えてない)
(あいつのなかに、“信じてほしい”って気持ちが、ほんの少しでも残ってるなら)
(今、言葉じゃなく、違う形で、俺が残らなきゃいけない)
日下部は、自分の席に戻ると、鞄を開けずに、ただ机に頬を乗せた。
目を閉じて──遥の無言の背中の熱を、ずっと思い出していた。